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『✕○!i』第31話「リローデッド」

 それは、そのお方は、魂の双子も、捧華も居ないときに訪れた。

 僭越、早水心也の余談になります。

 僕にとって月曜日は、他の曜日に比べてゆったりできる日です。

倖子君が台所に居て、彼女の忙しなさのない所作を、

すりガラスをはさんでぼんやり眺められる事に、

ほんの微かな小石を、

心象の池に投げ込まれた程度の波紋の心地好さを感じています。

 こんな時間が永遠に続けばいいのに……。

 僕の創作にしろ、君に仕える事ではあるけれど、

おそらく台所を綺麗にしてくれている、彼女のお仕事に敬服し、

我が君に感謝の言葉を掛けさせてもらいたくなる衝動に駆られます。

 今朝は十分と思える程創作が進んだので、

彼女とふれあい、心の潤いを満たそう。

PCさんを眠らせ、君の居る台所へと、ちょこっと足を伸ばします。

「倖子君、お疲れ様です。いつも、ありがとう」

彼女はこちらをわずかに見たが、その眼光が鋭い。

「だから、貴方の為にやっている訳じゃないから! 調子のんな!」

「はい、ありがとう」

 僕の心には悲喜こもごもが去来する。

「創作進んでんの!?」

「はい、最近は割りと良い調子です」

「なら感謝の言葉なんて要らない、頑張れ」

「はい、頑張ります」

 そこに、絶妙な音色が玄関からじんわり訪れた。

「な……、ノック……、だよね?」

 倖子君にもそう聴こえたのだから、やはりノックなのだろう。

我が家に訪れるノックのパターンはおよそふた通りです。

気を遣いすぎて聴こえないか、問答無用な強めのノック。

凛音様が仰るには、早水家で最も霊格が低いのは僕らしいのですが、

そんな僕にもはっきりと解った。

 玄関の向こうには、尋常ならざる存在がいらっしゃるであろう事に。

まぁ、普通……か。

 数瞬の思考でしたが、

「倖子君、僕が出るよ」

 僕は倖子君より先に、人ひとりが通れるだけの廊下を歩いて、玄関に向かう。

気を張って玄関のロックを外し、玄関を開いた。

 そこには、

誰も、居なかった……。

「失礼、普通学園学園長の、神代(かみしろ)と申します」

 その穏やかな声音は、僕の背後から掛けられた、

おっかなびっくりしながら振り返ると、写真で見知るのみの、

白髪混じりの老紳士が、台所にあるテーブルの4席の内におさまっていらっしゃった……。

 とはいえ、紳士がこの様な振る舞いをするものか迷うが、

これからするであろう話の円滑さには、十分過ぎる自己紹介です。

普通学園を認めた時から、ようやく腰を据えるべき機会に恵まれたのだな……。

 しかし、僕の常識は、このお方に機嫌良く、

「いらっしゃいませ」とはお伝えできない。

けれども、このお方の常識も尊重はする。

 台所から食器の不協和音がするので、

倖子君も動揺はしたみたいですが、

神代学園長である事は彼女も認めたのだろう……。

倖子君も神代学園長も同じ台所に居るが、

倖子君を玄関から視認できないのがもどかしい……。

僕は、気付いてしまう……、

この心の焦燥すら、見透かされている事に……。

………………
…………
……

「失礼します」

 倖子君がそう言って、神代学園長と僕の為に、温かい麦茶を出してくれた。

「ありがとう、倖子君」

 僕はお礼を伝えたが、神代学園長からは、なんのお言葉もなく、

僕だけを見ている。

そして……、

「わたくしは貴方だけにお話があるのです。ご理解いただけますよね、早水さん?」

 瞬時に、僕は罪人として裁かれる日がやって来たのだと覚えた。

「そうですか……、少しだけ、待っていただけますでしょうか?」

「必要でしたらどうぞ」

 そのお言葉で、僕は席を立ち、倖子君と相対する。

「倖子君、ありがとう、愛してる」

「私は貴方に憎悪はあるけれど、愛情なんて一片たりとも無いから安心して」

「うん、そうだね。じゃあ、またあとで迎えに行くね」

「私は永久にさよならしたいわ」

 胸にことさら重力がかかった気がして、

すぐに倖子君の姿は跡形も無くなった。

“第四の壁”を一旦閉じたのです。

なんだかもう誰とも話さずお布団にひきこもりたい気分だけど、

そういう訳にもいかない。

僕は椅子に座りなおし、今度は神代学園長と相対する。

「お待たせいたしました」

「いえ、どうぞ忌憚のない話し合いをしましょう」

「それでは、まず僕に必要な御用がおありですよね。お聴かせ下さい」

「はい、普通学園が普通学園たる為に必要な場所、夢降る森について貴方のご決断をお伺いに参りました」

 夢降る森……、神代学園長は僕が知っているかのような口調だけれど、

これは僕にではなく、

僕の知らない僕へと話しかけていらっしゃるのだろう。

「失礼ですが、僕はそれを存じません。ご説明をお願いできますでしょうか?」

「解っています。先ずはじめに、普通学園では自由意志が尊重されます。ですが、普通学園に入学するという事は、森から必要とされている事とほぼ同義的です。和歌市も学園も森の門番も、日本国内では比肩し得る場所が無い程安全ですが、しかし……、」

 神代学園長は、ここで初めてわずかに人間らしい表情を垣間見せる。

そして、次のお言葉の為に、僕は必死で心に盾を構えた。

本当の目的が僕ではないと解ってはいても……。

「森の中に入る者は、死ぬ事が必至です」

………………
…………
……

「神代学園長の死の定義は、どういうものなのでしょうか?」

 僕は、普通学園に永遠払いが存在する事で、すでに覚悟はしていたつもりだ。

だから捧華に死についてだけは、学んでいてもらいたいと思う。

生きていても死ぬ事はあり、死んでいても生きていられる事もあるだろうから。

「わたくしの死の定義については、地球上に存在するあらゆる言語で表現できません。誤解を承知で、貴方に解りやすく、また端的にあらわせば、脳死あるいは心停止です」

「そう……ですか……」

「しかし、和歌市には皇という、神に選ばれた存在があります。彼がいる限り、結果的には貴方の娘、捧華さんを含めるに至ったとしても、全ての森の住人の命は担保されます。この様な矛盾する説明になってしまい、申し訳ありません」

「せかいは矛盾しながら調和していると思っておりますから、僕には問題ありません。僕の最もの必要としている答えは、でしたら捧華が森の中に入る事になった時、娘の傍に居たい、その望みが叶うかどうかです」

「それも可能であり不可能、としか申せません。そして、森には神格を有する存在も普通におります。早水ご夫妻の“久遠之焔”もその存在には全く無効です。元々貴方の結界は、神格を有する存在の、ほんのわずかな力の一端を貸し与えられているに過ぎませんからね」

「…………、こんな過保護な生活ももうしばらくの間、という事でしょうか?」

「まだ数百年、あるいは数千年は仕方の無い事です。大抵の人間は、親しい者の死には悲哀や憤怒を覚えますが、自身に関係の無いと判断する者の死には喜色や娯楽にすら蜜として味わう。森の中には言語で表現し得る全てが起こり得ます。貴方が森をどう感じるのかまでは分かりませんが、我らは森の中で起こる全ての現象を『祭祀』、そう呼んでいます」

「それはつまり、強姦や戦争、虐殺までも含んでそう仰るのでしょうか?」

「然り、です。全て森羅万象の剪定です。食依存、性依存をする人間には、本質的には反論すらする資格はありません」

「神代学園長は人間が三大欲求とさえ呼ぶ欲求すら克服できると……!?」

「人間が科学を究めてゆく限りは、いずれそうなるでしょう。事実わたくしはブレサリアンです。貴方が信じられるかどうかは分かりませんがね」

 そして、ふと気付く、倖子君の出してくれた麦茶が冷めている事に……。

 ブレサリアン……、食事を必要としない者……。

言葉は知っていても、僕は食欲を克服できていない。

だが、僕がその存在を信じられるかどうかと言えば、

その答えはどちらかと言えばイエスだ。

 その根拠は、僕が薬物依存というものを克服できる可能性を見出したからだ。

覚醒剤等の違法薬物を乱用する事からもたらされる多幸感は強烈だ。

使用していた頃は薬物以外何も要らなかった。

家族も友人も、食事も、睡眠さえ……。

 日本という国にも絶望していた。

何故なら情報操作が行われていないとしたら、

“覚醒剤やめますか? それとも人間やめますか?”というキャッチフレーズは、

日本国の為に戦い、戦争で命を落としていった人々を、

人間扱いしない、そう国自体が宣言しているのと、僕にとっては同じ事だからだ。

あらゆる欲求を克服する事が、

人以外も含む全ての生命への贖罪には繋がるだろう。

 僕はふたつの選択肢を考える。

堕落した天国で麻酔を打ち続けるか、

牢獄たる地獄で覚醒を選び取るかだ。

 僕にとって働くという行為は、人が自我を持つ事そのものに他ならない。

「失礼いたします神代学園長、少し考えるお時間を下さい」

「もちろんです」

 そのお言葉から僕は両目を閉じて俯く。

 もうほぼ結論は出ている、問題は捧華だけだ。

究極的には倖子君もコンもポップも、僕と僕、並行が観測している限り死なない。

そして、僕も究極的には死なない。

それが僕の神仏からの啓示、零線者(ラヴライナー)の本質だから。

だが、捧華だけはまだ生まれたばかりに過ぎる。

 もう一度整理してみよう。

例えば、“全能の逆説”から。

 全能の逆説は、全能でない者である証の逆説である。

結論として、全能とは全て可能という意味なのだから、

全能でない者には「できる」という回答で間違いではない。

例えば、全能者と相対し、その逆説を問い掛けた場合、

全能者は能力を行使し、時間という概念に縛られず、

いくらでも全能でない者達の記憶を操れる。

人間に全知全能者の存在は理解できない。

故に、真の全知全能とは、真の無知無能ともなり得るはず。

だから、本来の答えは、存在しない、という答えが存在する。

ゼロと同じ概念だ。

全能の逆説は、全能でない者が陥る哲学である。疑問を抱く観測者ありきだ。

 僕の言葉で表現するのであれば、

論理とは全知全能でない者の、

確率の比較的高い言い訳に過ぎない。

真に全知全能であるなら、あらゆる言語は必要無いのだ。

全能の逆説は、神様がおわすなら、

可視化してお会いしたいという人々の祈りだろう。

 僕の仮説にもならない言い訳は、全知全能とは死という名の門。

全知全能は僕を全知していらっしゃって、どこにでもおわす。

僕は死んだら全知全能の一部である事を完全に知る。

ただ、全知全能とはこれもまた真の孤独に他ならない。

だから門を通り、

再び完全の中にある不完全な存在として、

慈悲により生み出されるのだと思う。

 つまり、僕は結論として、死なない、になる。

「どんな形だとしても良いなら」ではあるが。

 捧華に愛する人、永遠の人が居るならこんなに迷う必要はない。

僕には倖子君、コンにはポップ、

僕の周りにいてくれる人々には帰れる場所がある。

だから……、この答えに辿り着く……。

「神代学園長、僕らの今後の命運は、末の娘、捧華の判断に委ねたいと存じます」

「そうですか。解りました。ですが、貴方はこれまでのやりとりを一切漏らさず、娘さんに接し続けられますか?」

 その問い掛けに僕の心は苦渋で一杯になる……。

「おそらく……、無理、です」

「でしたら、わたくしに、本日のやりとりの記憶を預けてはみませんか? 娘さんが森の中まで入る時が訪れた際には、今日の記憶を戻して差し上げましょう。如何ですか?」

 なっ……!? それではまるで……、

「神代学園長……、貴方は一体?」

「少しだけ高度な催眠術に過ぎませんよ。ですから、信頼が必要です」

 倖子君ならともかく、

出会ったばかりの人物へ何をもって信頼せよと仰るのか……?

い、いや――……、普通学園は永遠払いを受け入れて下さった。

永遠払いの本質は、あなたと僕はずっと一緒です。

その前提がなければ成り立たない。

それに、コンとポップとの最初の出会い……、

“僕と倖子君を、より大きな自然の舞台へ誘う事”。

この招待こそがまさにその訪れではないのか……?

その疑問と同時に、止めが降りる。

“どうか捧華に関して困った時は、ボク達を信じて、全て「イエス」で通して下さい”。

だったな……。

腹を決める。

「神代学園長――、」

………………
…………
……

 カタカタカタ……カタカタカタカタカタ……、
カタカタカタカタカタ……、カタ……。

「ふぅ……、ついに手を離れてしまったか……。これから、どうなるのだろう……」

 並行の僕も腹を決めた……。僕だって腹を決めなきゃならない、

観測者として……。

これではもう作者と呼べるのかすら解らなくなってしまった……。

僕は良い書き手ではないのだろうな……。深淵を覗き込み過ぎている。

 しかし、僕はみんなによってできている。

それが僕を生かしてくれているが、それが僕を許さない。

 僕は先ず自分自身を大切にする。他者は後回しだ。

それを利己主義者と呼ぶのなら、僕はそれを受け入れる。

 今僕にできる事は、生き延びて、見届ける。それだけだ。

“完璧を目指すよりまず終わらせろ”、その言葉をもとに……。

 さぁ、創作を続けるんだ。

“神はサイコロを振らない”にせよ、

“けれども神はサイコロを振れない訳ではない”のだから。



 あやまりをおかすのはいつもヒト。
すくうためにうそがひつようなときもある。
だれもにきゅうさいを。

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