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今日は眠る前に手紙を書こう

さまざまなメディアのおかげで、世界中の人とすぐに繋がることができる時代。

指を動かすだけで、メッセージや写真が当たり前に送られている。

私が今綴っているこの文章も、スマホやパソコンのキーボードから画面上に生み出されている。

とても便利で、不思議な世界になった。

なんでこんな話をし始めたかというと、昨日久しぶりにペンを握ったことがきっかけである。

手続きのため役所に足を運んだ際、担当の職員さんから書類にサインを求められた。
そこでペンを手にとったとき、ふと思ったのだ。

「あれ、そういえば最近ペンで何かを書くことがあまりないな。」

久しぶりに見た自分の字は、少しぎこちなくて、カクカクしていた。

そこからある出来事を思い出し、私は決めた。

久しぶりに手紙を書いてみよう。



話は遡るが、留学していた頃に家族へポストカードを送ったことがある。


ちょうどクリスマスの時期だったので、イルミネーションの輝くダブリンの街がプリントされたカードを選んだ。

郵便局でカードを出してからおよそ1週間後。私のスマホに、姉からメッセージが入った。

『カード届いたよ!びっくりした(笑)ありがとう!』

あ、喜んでもらえて良かった。
少しにやけた顔で「メリクリ!」と返信した。



この思い出を振り返ると、手紙を書くことの特権に気付かされる。

まず、ショップで色々な写真のカードを眺めているとき。
「どのカードを送れば、喜んでもらえるだろうか。」
家族の顔を浮かべながら、カードを選んだ。

そしてメッセージを書いている間。
「どんなことを書こうか。」
伝えたいメッセージを、できるだけ丁寧な文字で綴った。

最後に郵便局へ出向き、切手を買ってポストに入れるとき。
「届いたらどんな反応だろう。」
心の中が、楽しみで満ちていた。


無論、画面上でやり取りするメッセージにも感情は込められている。

だが、メッセージを書く前から送るまでの感情をじっくり味わうことができるのは、手紙ならではだろう。

そういえば、平安時代には和歌のやり取りが主流であったはず。

契りを交わす夜までは直接会うことができない中、和歌に自分の想いを込めて届ける慣習。
まさしく感情をゆっくりと育てて味わうことのルーツだと言えるのかもしれない。


さらに、手紙に記されている字は、1人ひとり違う完全オリジナル。 

その人の字のクセや形、特徴もまた思い出のパーツとなり、ある種の愛おしさも感じられる。


すぐにメッセージを送ることができるのも、現代の素晴らしい特徴だ。

だが、このエッセイを書いた今日は。
久しぶりにペンを握り、感情に浸ってみようか。


余談だが、手紙を書く相手は私の姉である。


彼女との話も、彼女が怒らない程度に、これから面白く綴っていきたいと思う。
(怒られない…程度に…)

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