私は確かに”青春”していた 2


先輩の引退を意識せざるを得ない高校二年の春、指導者が変わった。
もともと指導は顧問ではなく先輩が行っていた。理由は単純。顧問が指導をしないから。弓道には斜面と正面の二つの引き方があり顧問は正面、私たちは斜面だったため顧問は指導はしなかった。代わりにOBのおじいちゃんが偶に指導に来てくださっていた。
そんな中赴任してきた先生は、県内のそこそこ強豪校の元顧問で斜面だった。指導者が入ったのは強くなりたかった私にとっては朗報だったが、同時に大きな問題にもなった。


指導者の存在と部員の不仲

もともと私たちの代は仲が良くなかった。先輩との距離が近い遠いで二つに分かれており、言葉を交わさないことも珍しくなかった。先輩と距離の遠かった子たちは練習をまじめにしないということもあり、よけいに嫌う原因になっていた。一応、先輩が不仲だと後輩がかわいそうだということであまり関わらないという行動をとることで表面上は取り繕っていた。

そ子に現れた顧問という存在が、さらに部内をかき回した。
顧問は指導熱心で強くしようとしてくれているのはわかった。ただ、今までの指導を真っ向からほぼすべて否定されたこと方向性の違いが私を含めた一部の部員に不満をもたらした。1年そこらしか弓を引いてない先輩が指導にあたっていたのだから間違っていたとしてもしょうがないとは思う。何よりの不満は部活のルールが変わることだった。

武道をしていた人なら共感を得られるだろうか。私の所では部活の最初と最後に掃除をするという決まりがあった。雑草を抜く、落ち葉を拾う、射場を掃く、白砂を整えるなどのことをしゃべらずにやる。それから練習を始める前にするのがルールだったが顧問は掃除に積極的ではなかった。理由は部活時間が短くなるから。
私の学校はそもそも練習時間が短かった。月金は16:00~、火~木は17:00~で最終下校時刻は18:30、片づけなどのため練習終了は18:00だった。練習前後の掃除時間を無くせば20~30分程度練習できる時間が伸びる。強くなりたいなら少なくとも掃除時間を短くすべきだというのが顧問の主張だった。

結局、掃除時間は部活前が短くなってこの話は終わったが考え方の違いから顧問の指導を受け入れる人と受け入れない人の2つに分かれた。


副部長の退部

私はもともと的中はそこそこあったので、後輩の指導という名目の元、先生が1年に教えている場所へ向かい、先生の指導を右から左へ聞き流していた。
後輩の指導は先生が全面的に請け負っていたので私が口を出すこともほとんどなく、必要そうな道具をそろえるだけ。先生も私たちに対しては聞けば答えるし気になれば軽くアドバイスする程度の距離を保っていた。

7月末の試合だった。3人1組の団体戦で初めて決勝に出ることができた。初めて体験する3試合目だった(弓道の試合は4射×2試合の的中数で競うのが基本)。本当に「出ただけ」で賞状はもらえなかったものの、一歩前に進めた気がした。審査も受け、初段に合格することができた。

しかし新たに問題は起こる。お盆休みの後から何も言わずに副部長と女子数名が来なくなった。選手選考もあるのに部活に出ない。幹部としての仕事もすべて部長がひとりでやっていた。お飾りであっても居るのと居ないのでは訳が違う。
部長も部長で部活に来ている2年にさえ話を通さずルールを変えていくので不満も大きくなり、部長不満を持つ女子傍観の3つに分かれた。部長に対して不満を持っているという分類に入った私は、敵(部長)の敵(先輩と距離が遠かった女子)は味方的なノリでもともと仲が悪かった女子と普通に話すようになった。思わぬ副産物である。共通の敵を持つものは仲間になれる。


後輩の台頭


2年女子が部活に来ないため空いた出場枠に1年生を入れることになった9月の試合。私は指導者がいるということの重要さを痛感することになった。
後輩が1人入った3人1組の団体戦で、私は8射3中と相変わらず結果が出せずにいた。そんな中、後輩が初試合ながら皆中(4射4中)を出した

先輩として後輩の成長を喜ぶべきことなのに、負の感情ばかりが出てくる。
一瞬で私の一年の努力を追い抜いていったように感じた。なんで、どうして、私はこんなに努力してもできないことをいともたやすくやってのけるの。そんな言葉が出てきそうだった私はそれを必死に抑えながら「すごいじゃん!おめでとう」と言葉をかけた後、友人にのみ場所を伝え「適当な時間に迎えに来て」と言って後輩たちの前から立ち去った。

会場から少し離れた小さな水場に避難した後私はほんの少しだけ泣いた。後輩に抜かれた悔しさもあったが何より後輩の皆中を喜んであげられない自分がなによりも悔しくて嫌だった。あのまま後輩の前にいたら絶対に後輩を傷つける言葉を口に出していた。そうならなくてよかったと本気で思った。

家に帰って試合の反省をした後、私は”諦めない”という決断をした。
「体格やセンスの差なんて言葉で諦めたくない。先輩のように後輩にたよってもらえる人になりたくて頑張ってきたのだから、絶対に諦めない。」
ノートにそう記録してあった。

3へ続く



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