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門司旅行 後編

7月2日

朝の9時に朝ご飯。
洋食を選んでいたので、サラダ、スープ、おかず、パン、フルーツ、焼きカレーでした。卵料理は目玉焼きかオムレツの選択で、オムレツを選びました。

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思っているよりも量があって少し残してしまったのが残念というか申し訳ないというか…
門司港名物の焼きカレーがおいしかったです。フルーツはスイカとキウイでした。

部屋に戻ると跳ね橋が上がっていました。跳ね橋というのを知らなかったので、驚きました。せっかくなら船が通るのも見たかった。

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部屋でチェックアウトの時間まで少しゆっくりしながら、ゲームのログボ回収やデイリー任務を消化。
11時前にホテルを出発し下関の方へ向かいました。

刀剣乱舞で詳しくなった源平合戦の舞台である壇ノ浦古戦場の方へ向かいました。
砲台と義経の銅像を横目に向かったのは赤間神宮。

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壇ノ浦に沈んだ安徳天皇を御祭神とする赤間神宮。竜宮造りというその名の通り竜宮城のような独特な造りをしています。これが水の下にあったなら、それはまさしく竜宮城足りえるだろうと思いました。
二位尼のいう水の下の都のイメージはこんな感じだったのだろうかと思います。浦島のもちとか持ってたら連れてきたかった…

また、名前の通り赤を基調としていましたがほかの神社の赤(朱)とは全く違う独特な赤色でした。水天門の白とあわさって、とても美しかったです。

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拝殿?のある場所は一段と高くなっており、平氏が沈んだ海をみることができました。
賽銭箱の上の幕は菊の紋と蝶と鳥をモチーフにした絵がありました。
この蝶と鳥の絵、刀剣乱舞双騎出陣の曽我兄弟が付けている紋に非常によく似ていました。あの二人は平氏と同じ源氏に敵対したものたちです。何か意味があるのかなと思いました。
写真左が赤間神宮の幕、右が双騎出陣の曽我兄弟の紋

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次は、高杉晋作が挙兵した功山寺へと向かいました。
境内には高杉晋作の像がありました。
また、アジサイがとてもきれいに咲いていました。

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正面の方へと石段を下りていきました。とても立派な門で紅葉の季節にもう一度訪れたいなと思いました。

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次は功山寺の正面にある下関市立歴史博物館へ行きました。常設展のほかに特別展「志士たちが遺した言葉」が開催中でした。

常設展は、壇ノ浦の戦いなど下関の歴史をざっくりと学べるようになっていました。こうしてみると、下関がいかに歴史的に重要な地点であったかがよくわかりました。時代が動くときに下関でも動きがあったんですね。

大砲や坂本龍馬の愛用していた湯呑などもありました。驚いたことに、刀も一振りありました。

幕末の志士が使っていた無銘刀だそうです。名だたる名刀(美術品としての刀)を見ることが多かったので、こういう普通の武士が使っていただろう刀を見たのは初かもしれません。美術品としての刀というよりは歴史の証拠という意味の刀でしょうか。この刀の物語はどんなものなのでしょうね。

特別展は幕末から明治にかけて活躍した人たちの書が展示してありました。
それぞれの想いや性格がよく表れている書状もあり、どんな性格だったのかなと考えるのも楽しかったです。伊藤博文の金屏風の揮毫は圧巻でした。

下関観光はこれにて終了。おばあちゃんの家に帰りました。

少し休憩した後、おばあちゃんの家を出発。自宅に戻るため、小倉駅へ向かいました。


一番笑ったのはこの後。
レンタカーだったので、ガソリンを入れに行った時のことです。

お母さんは給油口を開けるボタンを探していました。ガソスタのお兄ちゃんが教えてくれようとしたときお母さんは言いました。

あっ、これかな

ガソスタのお兄ちゃんは言いました。

いや、それはボンネットです。給油口はこっちですね。


一応、車を借りるときに聞いてたらしいのですがすっかり忘れていたお母さん。後ろに座っていたお姉ちゃんと二人で大爆笑でした。
あそこでボンネットを開けていたらパーフェクトでしたね。

お兄さん苦笑いだったの素直にすごいと思います。よく笑わなかったなあ。私なら少なくとも噴き出してました。

最期はこんな感じで笑って終わった旅行でした。
ガソスタの話で1週間は笑えます。


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