私は確かに”青春”していた 5

中国大会出場が決まったとき、最初に思ったのは「よっしゃ!引退伸びた!」と「7限補習回避できる!」だったりする勉強嫌いな私。
中国大会に向けた練習はミーティングから始まった。

練習の質の向上

中国大会の練習を始めるにあたってまず決めたのは大会の目標。
ここまで来たなら笑われようが夢は大きくもとうということで目指す順位は3位以上となった。1位と言えないのが弱小校のつらいところ。県内の強豪校相手に勝てる気がしなかったため3位になった。

順位だけでなく、どんなふうに引きたいかも考えた。動作がそろっている学校はそれだけで強く見える。入退場、矢番え、離れの間隔など、常に一定の速度でぴったりそろえて行うことができれば、結果に残らなくても記憶に残ることもある(実体験)。そんな試合を目指したかった。

次に決めたのは練習の方法。今までのようにただやるだけでは、目標が達成できないのは目に見えていた。とはいえ、練習時間が伸ばせるわけでもない。一回の練習の質を高めることが必要だった。そのために何をするか。決めたことは二つ。

1、動画をとって動作を確認する
2、毎回ミーティングをする

そして私は「私と後輩のどちらがメインで練習を引っ張るか」と後輩に質問した。結果、練習のメインは2年で私はサポート中心にやっていくことにした。私にとっては後輩でも新入生からしたら先輩になる。自分たちで考えて行動するというのが2年の答えだった。ミーティングなどは2年が仕切ることになった。

最初は的中が出なかった。試合の時の方が結果がいいなんてことも多かった。でも、練習を重ね意見を言い合うことでだんだんといい方向へ向かっていった。一本二本と中る矢が増え、中った矢が半分を超えることも多くなった。動作が少しずつそろうようになって、一試合にかかる時間が同じくらいになってきた。これなら、予選は突破できると思えることが増えた。気持ちが一つの方向にそろっていた。

3週間の練習期間はあっという間に過ぎた。
今までの練習の中で一番楽しかったかもしれないと思えるくらい、とても充実した部活だった。
修学旅行がどう作用するかだけが気がかりだったが、やれるだけやったという自信はあったのでどういう結果になろうとも悔いは残らないだろうと思った。修学旅行に行く前日に後輩女子から寄せ書きとミサンガをもらった。メンバー皆でおそろいの矢柄ミサンガで色はそれぞれの矢の色だった。

最後の大会へ

後輩が修学旅行へといったあと、私は1人で黙々と練習をした。そしていよいよ中国大会が始まった。

公式練習は一回のみ。5分ほどしかなかったが、なるべく多くの特徴を憶えるようにした。床の板で平衡を確認できるか、的はどんな風に見えるか、観客席の見え方はどうかなどを憶えて後輩に少しでも情報を渡そうと思った。

私の射は4射2中だったものの、中った矢のうち1本はすごく気持ちよく引くことができた。引率の第二顧問(5段)にもすごくよかったと褒めてもらえた。余った時間は巻き藁で射形の確認をしたり、会場のいろんなところの写真を撮って少しでも参考になればと後輩に送った。

余談ではあるが、開会式前に人を集めるためか、当時放送されていた「ツルネ」という弓道アニメのオープニングが流れて会場がざわついたのがとても面白かった。やっぱりみんな見てるんだなあなんてひとりでのんきに考えていた。


土曜日、後輩と顧問と合流した。後輩たちは修学旅行を存分に楽しんだようだった。後輩たちはいつもより入念に巻き藁で射形や狙いを確認して、1週間のブランクを埋めようとしていた。やっぱり1人で頑張るよりも仲間がいた方が楽しかった。

最後の試合だし、と私の両親がわざわざ見に来てくれた。他にも家族が来ている人が何人かいた。「頑張らなきゃね」と笑顔で言いあった。
試合直前の円陣で、私は言った。

難しいことや余計なことは考えなくていい。ただこの大会に出れたことを喜び、楽しく悔いのないように引こう。私はこのメンバーで中国大会に出れたことが何よりうれしい。

ここで予選を通過したらそれこそ漫画のような話だったかもしれないが、現実はそう甘くない。団体戦の結果は20射6中。予選突破はならず、私の部活は終わりを告げた。
個人の結果は4射3中。最後の一本を外して終わった。

引き終わってすぐ、先生から講評をもらった。よく頑張ったがこれが現実だと。後輩は泣いていたが私に悔いはなかった。ただ、終わってしまったことが悲しくてもっとこの後輩たちと引きたかったなと思ってしまった。その思いが引き金となって涙が落ちた。後輩の前では泣かないようにしようと思っていたのに、私の涙は止まらなかった。

私が泣いている姿を両親がどういう思いで見ていたのかはわからない。弓道に対してはまじめに向き合っていたことが伝わってくれていたらいいなと後から思った。

看板の前で集合写真を撮った。みんないい笑顔で写っていた。
まったく中らなくて苦しい時期もあった。目標を見失い、人間関係に悩んだ時期もあった。ちゃんと指導してくれる人がほしいと思った時もあった。試合で結果が残せなくて悔し涙を流した日もあった。

だけど、こうして振り返ると最後に良いことばかり起きている。
私が2年になってから指導者が来た。険悪だった部員と仲良くなれた。目標を見失っても新たな目標を見つけることができた。試合で入賞することができた。上位大会に出場できた。かけがえのない後輩を持つことができた。悔し涙はうれし涙に変わった。努力は報われた。

部活に打ち込み、暑い日も寒い日も努力を重ねた。悩み、苦しみ、壁にぶつかって親友と仲間と乗り越えた。

きっと、こんな高校生活を青春と呼ぶのだろう。


あとがき

気が付けばこんなに長くなっていました。ここまでお付き合いくださった皆様ありがとうございます。
そろそろ部活の引退の時期だなと思ってこの文章を書こうと決断しました。今年はコロナウイルスの影響で試合が中止となり、不完全燃焼のまま部活がった人も多くいるでしょう。そういう話を聞くと、こうして大団円で悔いなく終われたことは奇跡に等しいのではと思いました。

「報われない努力はない」とは言いません。勝負事には必ず勝者と敗者が存在しますから。ただ、「努力を続けると報われる可能性が高くなる」とは言いたいです。
この場を借りて先輩後輩親友に大きな感謝を。高校生活、とても幸せでした。ありがとう。これからも長くよろしくしてくれると嬉しいです。

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