私は確かに”青春”していた 1

もう一年経とうとしている。

2019年6月23日、中国大会の終了とともに私の部活は終わりを告げた。


高校一年生の春といえば、新しい制服に新しい学校新しい友達作りに胸躍らせるのが恒例ではあるが、私は全くそうではなかった。なぜなら私は中高一貫校出身だったから。校舎は3棟から2棟に移っただけ、制服はスカートの柄が変わりリボンがワンタッチクリップネクタイに変わっただけ。外部からの進学生はいるものの中学とほとんど変化はなかったので新しい生活に胸躍らせるなんてことはなかったのだ。

そんな私は、どの部活に入るか悩んだ。中学の時と同じく書道部に入るか興味のあった弓道部に入るか。土曜日に学校に行くのはめんどくさく思ったものの、何か変化がほしいと考えた私は弓道部への入部を決めた。この決断が、私を大きく変えることになった。

新入部員は1年生男子4人女子7人と2年の男子の先輩が1人。
私に弓道は合っていたらしく、部活はとても楽しかった。最初から弓が引けるわけもなく、紐やゴム弓で型を覚え、筋力をつけ、先輩に合格をもらってやっと弓に触ることができた。まじめに練習に出れば先輩も熱心に教えてくれる。できるようになっていくという感覚は久しく感じていないものだったように思う。

弓を持てるようになったのが6月末ごろ、ちょうど3年ほど前のことになる。矢を番えず引く練習をした後は、巻き藁に向かって矢を放つ練習。巻き藁でチェックをしてもらいやっと的前に立てたのが8月ごろ。夏休みに入ってからのことだった。初めて立った的前は、うれしさと同時に少しの恐怖を感じていたのを今でもよく覚えている。

最初の一射は的の真下に落ちた

的前に立てるようになった後はひたすら引いて引いて引いて、でも中(あた)らなくて先輩に見てもらいながら、型が崩れないように丁寧に正しく引きまくった。初めて中ったとき先輩が言ってくれた「誠!」の声は泣きそうになるほど嬉しかった。一本中ってからはだんだん中るようになり、弓道がどんどん楽しくなっていくのを感じた。先輩と的中数を競ったり友人とアドバイスし合ったり、とても充実した部活だった。

10月ごろだっただろうか。私はスランプに陥った。矢が的まで届かない、中らない、射形が崩れかけているなど散々だった。週に1本中るかどうか。ひと月の的中数が片手で数えられる程度まで少なくなっていた。粘り強く引き続け、動画を撮り、射形を直し、的中が戻ってきたのは冬。12月の1年生大会の1週間ほど前のことだった。
初めての大会は8射3中で予選落ち。帰りのバスで少し泣いた。次の月曜日、たまに指導に来てくださる方に「決勝は見たか」と言われた。そんなもの見ていなかった。試合会場で強豪校の練習や射形を見れたはずなのに、そんなこともせずただ友人と喋っていた。私に足りなかったのは強くなりたいという貪欲さだと感じた。

そこから、私は毎日ノートに記録をつけるようになった。何射何中、射形はどうだったか、どこに気を付けたか、何を直すべきかなどすべて記録に残した。的中率は上がっていった。先輩と同等に競えるようになった。それだけでも嬉しかった。

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1月末には初めての審査があり、坐射を必死に練習した。結果は2級。多くの人は3級だったことを考えるとよくできていた方なのだろう。ただ、1級の人もいたのでやっぱり少し悔しかった。

先輩との試合

初めて先輩と一緒に団体戦に出たのは高校1年の3月末。先輩も混じった選手選考でメンバーに入ることができた。試合は1チーム5人の団体リーグ戦。私は12射8中ととても調子が良かったものの団体戦としては3戦3敗で2部リーグから3部リーグへと落ちてしまった。来年絶対昇格すると目標が決まった。負けたことは悔しかったけどなによりも、先輩と一緒に引けたことがうれしかった。

先輩の関わる試合で一番心に残っているのは高校2年の4月の大会。
私はその試合の時、過去一番のスランプだった。選手選考の時は大丈夫だったのに試合が近づくにつれて的中が落ちていく。思ったように引けない、離れない、ついには弦で顔を払うようになった。試合当日にいきなりなおるわけもなく、結果は8射1中。大前という大切なポジションだったのに結果が出せなかった。引き終わり射場から出た瞬間、涙が止まらなかった。サポートに入ってくれていた先輩に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。残りの試合が少ない中、私が出場枠を取ったのに何の役にも立ってない。先輩が出た方がいい結果になったんじゃないか。そんな思いで頭の中がいっぱいになって「ごめんなさい」と謝っていた私に声をかけてくれたのはサポートに入ってくれていた先輩だった。

「悔しいって泣けるのは一生懸命だからだよ。私は試合で泣けるほど必死にはなれなかった」

私がべったりくっついていたわけでもない先輩がそういってくれたことが本当に嬉しかった。私が同じ立場なら文句を言ってしまいそうな結果だったのに先輩はただ純粋に私の努力を認めてくれた。中学で努力することを諦めてしまった私が、今こうして結果に泣けるというのは一年間努力してきたからだということを理解した。私はまだ努力することができる人間だと知ることができた。

結局先輩との試合で決勝まで行けた試合はなく、すべて予選敗退という結果になった。それでも大好きな先輩と試合ができたことはとても幸せな事だった。先輩が引退すれば次は私たちが先輩と呼ばれる立場になる。
先輩たちとは成しとげられなかった上位大会出場という目標を後輩たちと成しとげたいと思った。

2へ続く


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