自分の中にかけらを持つ

三年前教育学の大学院に行っていた頃、人権と差別について中学生の子ども達と考える授業をした。

「差別は良くないと皆あたまでは分かっている。でも差別やいじめはなくならないと思う。」 

と授業の感想に書いた生徒がいた。

その生徒のいうように、世界中のあらゆる所て、差別や偏見が繰り広げられている。
人権の迫害、ジェノサイド、海の向こうのニュースを見るたびにガッカリする。

自と他者との区別をすること。アイデンティティの確立。その副作用が差別、偏見とすれば、当然どの人の心にも起こるべきして起こる。

そしてかくいうわたしの中のどこかに差別する人間のカケラを持っているのかもしれない。

あいつと自分は違う。と私たちは思っている。

しかし、ホームレスや、外国人、そして障害のある人たち、マイノリティ、もしかしたら、苦手な誰かさん、犯罪を犯した人であってもどこか自分と繋がっている。
環境や状況が違ったら?時代が変わったら?価値観が違ったら?

絶対的な正しさがないように、絶対的な自分などありえない。

人はスペクトラムな存在で単色はなく、グラデーションなのだ。
どの色が強く出るかという問題なのだと思う。

先日NHKの番組で織田裕二さんがMCをしている科学番組で出産についての番組をやっていた。

妊娠とは別の生き物である胎児を身体の中に住まわせる特別な作業。人間の妊娠、出産は他の動物よりも重く、危険を孕むらしい。

興味深いのはお腹の胎児を異物として免疫細胞が攻撃しないように母の細胞が、赤ちゃんに取り込まれているそうなのだ。

それは私の中にも私以外の今は亡き母の細胞が今も息づいているということ。

すごいなーそれ。

お腹のなかで我が子を異物と間違えて攻撃するのを防ぐ知恵。

いま繰り広げられている。ヘイトスピーチや、差別、他者への攻撃は
こんなものではないだろうか。自分を守るため、間違えて攻撃してしまう悲劇。

その悲劇を防ぐには自分の中に他者のカケラを持つことなのではないだろうか。
ほんの数%でいいから。

色々なひとのカケラを自分の中に取り込むこと、

それは学ぶ事である。

自分の中にカケラを持つこと

差別をなくすにはそれしかないのかもしれない。

私たちはもともとみんな宇宙のカケラでできているのだから。



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