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エネルギー溢れる街と、何も感じられない自分

インドに来てあっという間に1カ月が経過してしまい、7月も中旬を迎えてしまった。私は6月から夫の住むインドの北部グルガオンに拠点を移し、(とはいえ数カ月おきに日本に戻るつもりなのだけれど)このエネルギー溢れる街で新しい生活を送っている。

"到着したらすぐにインド滞在記初回のnoteでも書こう。"なんて思っていたのだが、この1カ月あまりにも自分の内面で起きる波が大きく、自分の周り、日本や世界で起きることが衝撃的で、かつそれら一つ一つと向き合うには目の前にこなさなければならないことが多すぎて、消化しきれなかった。

なのでそんないろんなことを少しだけ振り返って吐き出すため、少し一息ついてnoteを開いてみた。

人生初のインド上陸まで

心が落ち着かない出来事は実は渡航前からあった。渡航直前に、弟の数か月間の異変に気づけなかったことを知ったり、妹が急性虫垂炎(盲腸)で入院してしまった。どちらも私が責任を少し感じる部分もあって、渡航どころではない心境だった。

特に妹は、私が一緒に働く職場に新卒で4月に入社して以来、きっと精神的にも肉体的にもたくさんストレスを抱えながら繁忙期を走り続けた結果だった。一番近くにいて、一緒に働いている自分は責任を感じざるを得なかった。
コロナ禍のため入院中ろくに面会もできず、日本にいる最後のひとときを一緒に過ごすことはかなわず。お互いにお互いへ手紙を書いて、一瞬だけ看護師さんにお願いして顔を見させてもらって、涙を浮かべる妹にすぐ帰国するからね~と伝えて、日本で過ごす最終日を終えた。
社会人2年目2019年の夏に一人旅でインドネシアに行って以来、約3年ぶりの海外渡航。12月に夫を送り出した羽田空港の国際線ターミナルは当時よりも活気が戻りつつあった。妹以外の家族は一緒に羽田に前泊してくれて、中高時代からの友人も早朝にも関わらず見送りに来てくれて。久しぶりの国際線のフライトに少しだけ心躍らせながらインドへ。

ちなみにこれまで27年間で25か国以上は行ったことあるものの、インド渡航は生まれて初めて。友人や前職の上長には、「え、インドってハマる人はすごいハマるけど、合わない人は一生行きたくないってほど嫌いになるって聞くけど、下見とかせずに大丈夫…?」と心配されながらも私は前者であろうことを信じて来た。

インドにきて感じた "ある種の衝撃"

無事にインドに到着、新生活スタート!とは言っても、昨年12月から半年間こちらで生活している夫がいるので、家探し等は不要で、日用品もある程度揃っており、生活環境の整備に特別なことはあまり必要なかった。

アリが大量発生したり、見知らぬ謎の虫と日々家の中で出会ったり、あちこちで水漏れが起きたりはする毎日だが、まあ想定していたことで許容範囲。タクシードライバーやメイドさんはヒンディー語しか話せないなど多少の不便はあるけど、これから頑張ってヒンディー語を習得するほかない。

そんな身の回りの生活環境よりも自分の中でこの1カ月絶妙に心理的なストレスだったのは、自分が日本の外に出ても、「何も感じられなくなっていること」だった。
幼少期をインドネシアのジャカルタで3年過ごして以来、いわゆる新興国のカオスな部分や(日本と比較すれば)不便なこと、物事がスムーズにいかないハプニングには恐らく一般の日本人よりは慣れている。

ただ、ジャカルタ在住の12歳までの自分や大学生時代の自分は、現地の整っていないインフラや学校に通うことができない子どもたち、路上で生活する一家や土に還らないゴミだらけの道路を見て「こういった状況を生んでしまう社会を変えられる人になりたい」という湧き上がるモノが自分の中にあった。
それは何か1つの感情で成り立つというよりは、憤りやいまの自分にはできることがなかなか見つけられない無力感も含む、いろんな感情が混ざり合ってできた、自分の中の未来に向けた強い意志だった。
学生時代は海外の優秀な学生に出会えばこのままではいけないと危機感を覚えたし、いろいろな社会問題を目の当たりにするたびにその社会構造に絶望したり、憤りを覚え、自分にできることは何かを考えていた。
でもそういった感覚が不思議と今回のインド渡航後は湧き上がってこなくて、その理由が分からず、自分の目先の仕事のことでいっぱいいっぱいなせいなのか、自分や社会や世界に対する諦めにも似た感情なのだろうかと悶々としていた。

どんなに小さなアクションでも、Be the change you want to see in the world. という言葉を浮かべながら、自分にできることを行動に移していた自分がインドに来てから少し変わってしまったように感じた。この言葉はインド独立の象徴であるガンジーの言葉だといわれているのも皮肉なものだ。

そして何より、これまではこういう話を一番話してきた夫にさえこのもやもやをぶつけることができず、まだこういう自分のもやっとした感情を気軽に話せるような友人がインドにいないことも結構しんどかった。たぶんこのことを唯一さらっと打ち明けられたのは妹だけだった。

自分をととのえる作業

そんな自分のなかで全く予期していなかった心のうちの衝撃を見て見ぬふりをして、蓋をし続けた1カ月間。向き合うことに後ろ向きだったのには、目先の仕事に追われていたというのもあるが、この数週間は自分の身の回りでも、日本でもほかの国々でも消化しきれないいろんなショックがあったから。

そんないろんな出来事を一気に受け止め、ひとつひとつを消化できるほど、心に余裕がなかった。

そういったストレスも影響してか、インドにきてからは喘息がひどくなり、病院に通って喘息がよくなったかと思えば、3日に1回くらいの頻度で冷えと凝りからくる頭痛がいままでにないくらいひどくなったり。

そんな自分の心身を一度リセットしてととのえる作業がいまの自分には必要だと感じていて、そんなときにスリランカにある一つの施設の存在を知った。
Tagiru. 日本人が運営するアーユルベーダ施設で、今年の夏休みは一人でここへ滞在することに決めた。

「進歩」こそが正しい現代にあって、なぜ「古い」アーユルヴェーダが今さら必要なのでしょうか。4年前スリランカのアーユルヴェーダで、持病の改善を目の当たりにしてから、ずっと長い間 考え続けていました。それは、アーユルヴェーダが「自分の生き物としての、生きた感覚を取り戻す」ことに直結しているからだと思います。
アーユルヴェーダは、自分の体と心に耳を澄まし、本当に自分がほしいもの、いらないものを自ら選ぶことを目指すコンパスのような存在だと思います。多くの現代人が、自分の体や心の声を聞き取れていないと思います。
もちろん、日々時間とスマホに追いかけられる令和の時代。日本で全てを”アーユルヴェーダ的”に生きるなんて、とてもじゃないけど無理でしょう。けれどそんな中でも、日々の習慣と頭の片隅に、たった”10%”のアーユルヴェーダがあるだけで、生きた感覚を取り戻す入口に立つことができると思うのです。
そんな想いを、内から力の湧く「Tagiru.」(たぎる)という言葉に載せて、たくさんの人の力を借りながら、日々進んでいきたいと思います。

Tagiru. 代表 伊藤修司

このTagiru.のHPに書かれた文章を読んで、自分は日本の外に出ても、「何も感じられなくなっている」=自分の生き物としての生きた感覚を失いつつあるように感じたから蓋をしたくなったのだと気づいた。

もちろん、いまの本業や副業の仕事の先にあることには大きな意義を感じていて誇りも持っているし、社会は役割分担で回っているので、いまの自分にインドに何か貢献しろとか目の前にある課題に対してアクションを起こせと周囲が私を責めることはないだろう。

ただこの1カ月、こちらにいる日本人やインド人に「インドはどう?」という質問をされるたびに、答えに詰まった。(もちろん彼らの質問の意図は生活には慣れた?とか、不便なことやハプニングにうんざりしてない?みたいなニュアンスが含まれているのだけど)答えに詰まったのはきっと自分の中で、「自分の生きた感覚」を失いつつある気がしていたから。

8月は自分の生きた感覚を取り戻して、新しい自分に出会える時間を過ごせるといいなと思いながら。

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