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大切なことを教えてくれた場所 Tagiru. Ayurveda ~前編~

2022年8月7日(日)〜2022年8月14日(日)のスリランカにあるアーユルヴェーダ施設Tagiru.の滞在記。
1年が終わるまでずっと書きかけのまま下書きに入っていたのが、今日までのアーユルヴェーダとは少し距離を置いてしまった2022年下半期を物語っている…(大反省)

今年6月に夫が住むインドへ移り住み、いろんなストレスが溜まり始めた7月中頃。8月の休暇1週間の使い方を悩んでいた時に、Instagramのストーリー経由でクラウドファンディングが目に入ったのがきっかけで知ったスリランカ西海岸にあるTagiru Ayurveda。

医学部を中退したのち、PGやマザーハウスでお仕事をされていた伊藤修司さん。アーユルヴェーダでご自身の病気が改善した体験を機に立ち上げた本格的なアーユルヴェーダのリトリートホテルがこのTagiru.という場所。

軽度の喘息や、病名はなさそうな何となくのだるさや疲れが抜けなかった7月の私には、ホームページに書いてあるTagiru.のこだわりを読んで、なんだか直感的に導かれた気がした。

「生き物としての感覚を取り戻す」

…こんな言葉で表現できるような感覚を、
最後に味わったのは、いつごろですか。

メッセージにビビッときたと同時に、1日の過ごし方なんかに目を通し、海を目の前に、自分の体質に合った野菜ベースの3食の食事と毎日のマッサージで体質改善ができるなんて最高!と思い立ったらすぐ行動、7月半ばにいまクラファンで支援して滞在券をgetしたら8月から使用できますか?と連絡を入れ、思い切って100,000円の滞在券のリターンで支援、運よく8月上旬に8泊の予約が取れた。
※本来は2週間の滞在が推奨されていますが、7泊から予約可能です。

初日のコンサルテーションと呼ばれる診察から始まる施設での流れや、セラピストの皆さんのホスピタリティ最高!なお話はまた別途細かく書きたいなと思い、前編では私のメンタリティの変容や自分のなかでの新たな自分の発見を書き留めておきたい。

施設の周囲はこんな感じ。控えめに言っても最高。

滞在を通じて見つけることができた「自分」

パソコンから1週間離れ、ゆっくり海と月と太陽を眺め、アーユルヴェーダの本を読み進めつつ毎日日記を綴る日々を過ごして、自分について分かったことが3つあった。

  1. 意外と自分が心地よいと感じる時間はゆるーい時の流れであること

  2. 自分が心地よい/悪いと感じる場所があるということ

  3. 自分には人に頼る/助けてもらう練習が必要なこと

特に2つめは、28年間どこに行っても「おかれた場所で咲く」が得意だと思って生きてきた自分にとっては新しい発見だった。

ゆるくマイペースに一人穏やかに、時に人と過ごす時間

高校卒業後かれこれ10年、たくさん予定を詰めにつめてTODOをこなしてきた自分。誰かと繋がっていないとそわそわする自分がいると思っていたけど、案外そんなことはないということに気づくことができた8泊9日。
朝のヨガの時間、マッサージを受ける時間、3食の食事をとる時間以外は、ただ海を眺めて太陽や月の位置が変わっていくのをぼーっと感じながら波の音を聞いたり、本を読んだり、日記を書いたり、そんな時間を純粋に楽しんでいる自分がいた。
もちろん、食事の時間にほかのゲストと交流するのも楽しかったけれど、思っていた以上に1人の時間も心地よかったのだ。

滞在期間を共にしたゲストは、1名の日本人女性を除いては全員ドイツ・オーストリアから来ているゲストだった。「日本人や若い人は働きすぎよ」とはよく言われることだけど、久々にフランス留学時代を思い出す心地よいひと時だった。(中には夫婦できているゲストもいて、次回は夫と一緒にこんなゆったりとした時の流れを過ごしたいなとも思った。)

思い返せば、自分は留学時代も案外一人の時間が心地いいと感じていた。ほかの日本人留学生はホームシックになっている時期なんかもあったものの、私は実家から一度も出たことないわりにパリでの一人時間を満喫し楽しんでいた。パリという街の特性もあると思っていたが、海を目の前に月の満ち欠けを感じながらぼーっと過ごす時間も最高だった。

ヤシの影が少しずつ動くのをぼーっと見つめたり

自分にとって心地よい場所とそうでない場所

ふたつめは、これまでは自分が自覚していなかった自分のこと。
自分にとっては心地よいと感じる場所(土地)とそうでない場所があるのだということ。
これは私がインド生活で少し疲弊している理由がよく分かった部分でもある。(インドと言ってもまだ北インドの都心部でしか暮らしていないので、あくまでそこに限った話)

これを話すと「度胸あるね・・!」と若干引かれることもあるが、私は観光でもインドには渡航したことがないままに6月から移り住み始めた。前職の上司には、「インドは絶対に一度下見した方がいいよ…!」なんて言われたりもした。でも私は別にアリが大量に発生しようと、いろんなものがすぐ壊れようと、多少不衛生な場所が多かろうと、何もかも時間通りにいかずとも、ストレスは感じながらもまあなんとか生きていける。でもそんな私がインドに馴染みきれない要因が自分のなかで言語化できた。

インドの人はエネルギーに溢れていて、強め(な人が割合として多い)。それは仕事の仕方だけでなく、彼らの話し方、人との接し方など随所で感じる。一方でスリランカの人は(あくまで滞在期間中の1週間で関わったセラピストやスタッフ、観光地の店員さん、空港にいる人たちだけだが)全体的に、おおらかで穏やかな、おっとりしたイメージ。

このニュアンスがうまく伝わるか分からないが、双方の人たちと英語で会話をしているとそのテンポやトーンなんかが、大きく異なるなという感覚が強かった。スリランカの人々は私が幼少期を過ごしたインドネシアのような国に近い雰囲気だった。

どちらが良い/悪いなんてことはもちろんないし、同じ国の人でも個人差はあって当たり前で、国ごとに一括りにできるものではないものの、私は後者のような人が多い方が心地よいことがよく分かった滞在期間だった。
空港に降り立ってからTagiru.までの道中、クラクション音がまったく鳴り響かない道路が心地よすぎて、幸せを感じた。。自分の幸せのハードルの低さがインドクオリティ過ぎて笑える。

1つ目の気づきも含め、本来的には自分にはゆるいエネルギーでゆったり時が流れる方が合っているのだと分かると同時に、インドでは直接的に自分が急かされているわけではなくとも、毎日クラクションの音に飲み込まれる。そんなちょっとしたことでストレスを強く感じていたのかもしれないと思った。
でもきっとインドはまだ私が知らない魅力もたくさん詰まっている国だと思うので、来年はゆっくりとそんなところも見つけていきたい。(未だにタージマハルにさえ行っていないくらいにはインドでも仕事ばかりしているので、2023年はインド国内あちこちに行きたいな。)

日が沈むまでひたすら海を見つめる時間は人生であと何回あるのか

人を頼り、助けてもらう練習が必要な自分

3つめに関しては8月のTagiru.での滞在期間は、幼少期からの自分の弱さと向き合いつつ、ちょっとだけいい練習ができたお話。(長い)

Tagiru.では、最初にドクターとみっちり心身のことに関してお話をする「コンサルテーション」が行われるのだが、最初のコンサルテーションであまり自己開示をしきれなかった自分は、滞在2日目にドクターに話をしに行った。ここで自己開示をできずになんとなく1週間を終えてしまったら、ここに来た意味がなくなってしまう気がしたからだ。

ドクターには最初のコンサルテーションで話せなかったことを打ち明けたいと伝えた。
要約して書けば、「仕事に限らず、常にどんなことも"自分でどうにかしないといけない"と思ってしまい、人に頼れず助けを求められない。それ故に自分で自分にプレッシャーをかけてしまうことが多い。」と自分の悪い癖を話した。
そんな自分にドクターは「話しにきてくれてありがとう。ここではあなたは1人ではないし、ドクターを含めて私たちはチームよ。」と言ってくれた。
そして、通常は1週間の滞在ではメニューに組み込まれないシロダーラなどを組み込んでもらい、できるだけ滞在期間に精神的にリラックスしてストレスを軽減させられるようにと考えてメニューを組んでもらえた。ちゃんと自分の課題感を打ち明けられてよかった。

滞在期間中は、アーユルヴェーダの本だけでなく、修司さんのインタビュー記事もじっくり読んだ。

この記事を読んで、自分と重なる部分も多分に含まれる話に涙がでた。小さい頃を思い返し、自分の母が家出を(するフリを)した日を思い出した。

(理由はあまりよく覚えていないが、)あまりに私たち3人が言うことを聞かないからと、"もうママ家出ていくからね。"というような感じで玄関から母が出て行った日。

平日の夕方で、父は東京に出社していたし、私は咄嗟に「母を探しに行かねば」と思い、とはいえ「少しここで待っててね」と言われてもすぐ泣いて両親を探しに消え勝手に迷子になってしまう弟(笑)と、まだおむつをしてる小さな妹とを置いてはいけない、と、自分の遠足用のリュックを引っ張り出して、水筒、おむつを入れた日。

まだ当時小学1年生くらいだったのだが、お菓子やおもちゃではなく、妹のおむつを真っ先に入れるあたりが、6歳にしてはとても現実主義で可愛げがない人格がその頃にはできあがっていた。

同じマンション内に仲の良い家族のお宅も何軒かあったのに、自ら弟と妹を連れ母を探しに行こうとする自分は、無駄に責任感が強く、良くも悪くも大人びていた。

玄関で身支度をしおえて家を出よう、としていたその時、玄関の扉が開き、(家出をするフリをしてただマンション下に置いていた車を駐車場に停めていただけの)母が戻ってきた。
戻ってきた母がそんな私の姿に驚き、大丈夫だよ、家出してないからね。とハグしてくれた記憶。そして「次からは、おばあちゃんに電話しなさいね」みたいなことを言われたような。

なぜだか、あの日のことはすごくよく覚えている。
きっともうこの頃には、人に頼れない/助けを求められない/自分でなんとかしないといけないメンタリティはできあがっていたのだと思う。

正直なところ、どこをきっかけにそんな自分が形成されたのかは分からない。きっと明確な境目はない。3歳で弟が、5歳で妹が産まれた時に何となく徐々に自分のことはなんでも自分でしないといけないんだと勝手に察した。この日は孤独に感じたとか、寂しかった、なんていうエピソードや記憶は特にない。

親の教育もあるが、自分でお金の管理をすることも中学にあがるまでには習慣になっていて、1円単位まで所持金がきっちり合うようにお小遣い帳に記録していた。そのおかげかいまでも家計簿の管理、中長期的なお金のシミュレーションは当たり前。

逆に末っ子の夫は、真逆。笑
(末っ子みんながそうとは思わないが)お金はどんぶり勘定で適当、仕事上の責任感は強いけどプライベートはいろいろとゆるい。

まあそんなゆるーい夫と、本来的にはそういうゆるさを求めるつつもきちっとした自分がいて、うまくバランスを取っている気がする。

話が少しそれてしまったが、今回の滞在はこんな自分が久しぶりに仲間にわがままを言ってお願い事をする、人を頼る練習にはいい機会だった。(とはいえ、本業は1週間休暇期間なので特段誰かに何かを依頼することなく済む範囲だった。)

これから子どもができたりしたら、どうしても人を頼ったり、仲間に助けてもらわないといけない場面や、時には一部の仕事を断らないといけないことが増えていくのだろう。その度に自分の神経をすり減らしていたら自分がもたない。

なのでこのたった1週間でも、夫を含め周りにわがままを聞いてもらって、助けてもらういい練習だった。8日間ぜったいにパソコンを開かずに、自分のためだけの時間を過ごす。と心に決め、実践できた自分に拍手だった。
8日間もパソコンを開かなかったのは、新卒入社以来、恐らく初だと思う。この間フォローしてくださったメンバーには心から感謝です。

BABY steps. ちょっとずつ、新しい自分に近づけたらいいな。

私はヤシの木があるだけで幸福度高い気がする

(当たり前だが)自分がいなくてもある程度仕事や家庭は回るし、回してくれる仲間やパートナーがいる。でもそれは決して私が必要とされなくなるということではないということ。仕事も、家庭もひとりではないのだから、自分で自分を孤立させる必要はないと感じた。

たまには人の優しさに甘えて、"自分のためだけの時間"を大切にしないといけない。
そんな当たり前のことを、きちんと受け止められた1週間だった。

クラウドファンディングをシェアしてくれてきっかけをくれた咲さん、そしてこういう時間を過ごせる場所をゼロからスリランカで作っていらっしゃる修司さんや真生さんご夫婦に、心から感謝したい。

昨日、毎年夫と年末にやるYear Compassで1年の振り返りをして、このTagiru.での滞在が大きな意味を持つことを改めて感じた。
私のYear Compassから一部を抜粋。

この一年で、私が取った最も良い決断は…
8月の休暇を使って、アーユルベーダ施設(Tagiru.)に1週間滞在したこと

この一年で、私が得た一番の教訓は…
自分にとって居心地のいい・悪い場所があること(それを受け入れてあげることが大切だということ)

皆さんも、2023年は自分のためだけの時間を過ごしに、新しい自分を見つけに、ぜひTagiru.に足を運んでみてはいかがだろう。

日頃頑張っている人ほど、思い切って時には好きなだけわがままに。1週間以上のお休みを、ぜひ自分の心身を丁寧に見つめるために使ってみてほしい。

来年は、Tagiru.での教えをちゃんと習慣化して、夫婦ともに不調なく毎日を過ごせますように!

Ayubowan!

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