人との関係の前提になっていた「声」に気づく・・・プラクティス
Dyads瞑想。
私の感覚的スキルを抜群に伸ばしてくれた ワークのひとつ。
毎週 週末に時間の合う方と、
「〜自分とつながるDyads瞑想」を行なっています。
この学びは、NVCを理解し深めるのに 自己理解に抜群の効果がある。
自己認知能力がアップします。
感覚的な認知、思考と身体感覚の関係、感情と身体感覚の、願う世界を体感覚で認知、そのエネルギーにつながる・・・・などなど。
そして、続けることで
学びの広がりと深さが増しているのを実感。
ニーズやドリームランドの感覚を広げて、広げた感覚へと自分をどのように調整し、達成させるか。
SEL(social emotional learning)社会的スキルを深めるワークにも匹敵。
自分が今まで蓋をしてきた感覚やしてこなかったこと、しないようにしてきたこと、感じたくない感覚に出会うことも沢山あります。 ペアのシェアを聞いて、自分にもあるな・・・と気づいたり自分だけじゃないと理解することで気持ちが楽になることも沢山ある。
瞑想と自己理解のワークをする中、今日の気づき。
自分の内側の 普段 感じないようにしていた 感覚(パーツ)に出会った。
「私の全てが安心できる場所や感覚を思い出したとき」昔 彼氏と一緒に過ごした時間やその時の感覚を思い出した。(今は彼氏はいませんが、そんな時代もあったのです・・・)そして、その感覚にピッタリくる場所を思い出していました。
心地よい風が吹いて、夕暮れの綺麗な薄い茜色の空に、穏やかな波の音が聞こえました。自然を風や音、視覚から感じることで 満たされる その中で自分をホールドしてもらう 包んでもらう安心感。なんでもおしゃべりできてしまう不思議な感覚。何を話しても、どんな自分でも受け止めてもらえる安心感。(いつもなかなか自分の内側を開放しないため)こんな世界です。
でも、「物悲しい」感覚があって、安心している中に どこか・・・
寂しさがありました。
それはなんだろう・・・
身体の中に 重石のような重たく硬く冷たい固まりが ある。
自分の感覚を研ぎ澄まし、その感覚をどんなふうに自分は感じているのか、微細な感覚をたどっていくと・・・。
「どうせ 相手と100%わかりあうことなんて無理なんだ。」
「私のことを 理解する人なんてどうせいない。」
の声が聞こえました。
その声の裏には、私の「理解して欲しい」「受け止めて欲しい」そのことに強い憧れが ぎゅっと固まって片隅に追いやられていたことに気がつきました。
そう、人は、100%理解し合えるし、私にもそれが可能で、そうすることにとても大きな憧れを持って生きてきたこと。
そして、それがありとあらゆる場面で 叶わなかったことで 今まで何度となく傷ついて生きてきたこと。
そして、そのことに絶望し、どこか物悲しい。悲しさを抱えて生きていた。人と関わる時の前提として、そんな悲しさを 心の奥に奥に持っている私。
傷つきたくないから、自分の繊細な部分は本当に大丈夫か本当に安心できるか、常に確認していて、確認できないと絶対に自分を出したくないと思っていること。
そして、ある程度仲良くなっても 傷をつくことを避けるために自分から関係性を立つように生きてきたこと。その傾向が私にあると気づいた。
それだ・・・。
私の中にある、叶わない願いと共にある痛み。
私の中にあるもの。私なのである。
それを理解していくと、今までの生きてきた物語が 理解できた。
同じようなことがなんで私にはあるのだろう そう思って生きてきたけれど、自分が無意識にそういった人生を創り上げてきたのだ。
このプロセスをすることにより、自己理解が進んだ。
自分の生き生きした子供の頃の自分を取り戻す作業。
その先に進むには、こういったプロセスが沢山自分の中にある。
誰もが皆、持っている 見ないようにしている痛み・・・。
自分のこのプラクティスが、誰かのサポートになる。
そう、未来へ進もうとした時、具体的にどんなことをしていったら 希望や前進していけるのか・・・掴んだ感覚があった。
世界を愛でいっぱいにしたい・・・
常に自分が 自分でつながることを意識すること。プラクティスしてくこと、本物であり続ける努力をすること、パワーウィズを体現していく。