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願う世界はすぐ近くにあるかもね

目の前の病院で、

やり取りががハートフルだなと生き生きした体験。

ナイスコミュニケーション!!生き生きさを取り戻すってこういうこと〜と、嬉しくなったこと。

私)「写真を撮らせていただいてもいいですか?」

「普段、不登校の彼に とってもいい経験と体験をさせていただいているなと思って…」

先生)「どうぞ、どうぞ〜〜」

と、三男の足を3人が眺めて治療しているところをカシャリ。

(外科医と看護師さん、そして三男)

写真は、

先生)「おーいいぞいいぞ。奏音は、細かい作業が上手だよ。」

「そうそう、これができるなんてすごいぞ。」の場面です。

三男は、数日前 家の前の道路で遊んでいて膝を擦りむき、血が流れたことに彼自身が驚き、痛くて痛くて、すっかり萎縮していた。誰にも触られたくない状態。

やっとかさぶたになったものの、昨日一気に剥がれてしまい、激痛で転がって痛みを訴えていました。

目の前の病院に駆け込む時は、彼の表情は暗く…

痛いのは絶対に嫌だといい、歩きたくない、病院は痛いからと後ろ向き。

痛みのある足を触ろうとするだけで、大騒ぎ。

誰にも触らせてくれません。

今日出会った先生は福島医大からきていた先生。

怪我の状態、

怪我をした時、その後、そして今ここまでを十分にヒアリングする中、ずっと三男に共感していた。

「そりゃ、走るよね。」

「そして転ぶよ〜」

「瘡蓋が取れたら、痛いし驚くよね、」

「遊ぶのはいいぞ。楽しいもんなー」

ここまでは、予想がつく展開。

ここからが、面白い。

まずは、今の状態を適切に説明。

微生物、生物、ちりやホコリがあると…

そのことによる現状の皮膚の状態。

そして、どうしたいかまでイメージを共有し、

今日したいことを3ステップくらいだったかな…小学生にわかるように説明してくれた。

どう?

そして、彼に選択肢を与える。

このままちりやほこりを皮膚に残したままにするか、

少し痛いかもしれないけれど洗浄して綺麗な膝を目指すか。

「1分考えてよ。」って。

三男の理解をサポートするように、3つに分けて説明し直し私から三男へと話していた。

三男はウジウジしたまま。

彼の気がかりは「痛いのは嫌」だった。

(左脳でやることを理解しても怖さって拭えないものなんだよね。)

気がかりを聞いていた先生が、

「じゃ、自分でやってみる?僕がサポートするよ。」とお誘いしてくれた。

「我慢できないくらいに痛いと思うところまでにしよう。」

「そして自分でやってみるのはどう。」

「照れ屋さんだから、移動しないでここで治療できたらいいよね。看護婦さんにバケツを持ってきてもらおう。」

「これならどうかな?」

**

なんだか、楽しそうだった。

先生と三男が交互に治療をする。

看護師さんが懐中電灯で光を当てて、

「そう、それだよ。そこもね。うまいぞ。いいぞ。」

「サポートする時はな、集中しやすいように足から手が離れた時にお湯をかけるんだぞ。」

『そうやってみるとまだ汚れがあるろう〜。見えるか?」

「おー、ピンセットというものがあるけど、使うか?」

そう言いながら、やり方を教えるように関わっていく。

途中、「おぉ〜奏音、お前すごいな 外科医に向いているぞ!」と励ます。

お湯で洗浄し終わった時には、すっかり奏音の心は生き生き元気になっていた。

表情が全く違う。

「イレギュラーなんですけど、(治療の)目標は達成しました。」

「僕もこういう体験は初めてでしたけど、明日も治療に来てねと。」

「お風呂も入っていいぞ。」「はい。」

「勉強もするんだぞ。」「はい。」

「外科医を目指してもいいぞ。」「はい。」

「奏音は細かいことが得意だぞ〜。自信持って大丈夫だ!外科医になってくれたら嬉しいな〜笑」

そのやりとりは笑顔だった。

ハートフルな関わり。

十分に患者の気持ちを理解した関わりや提案。

専門的な知識を振りかざすのではなく、目の前の人にとって無理がない方法で差し出す姿に、感動したし、学ぶことがいくつもあった。

ただ勉強を進めたり、学校にいくことを進めても動じない三男のこだわり。

「大切にされること、尊厳、一緒に」

大切にしてくださって、ありがたいな〜と。そして人と人との関わりを学ばせていただきました。

手法やスキルを超えてくるものがそこにある。

帰り道、三男と手を繋いで 弾むような気持ちを共に過ごした。

世界がこういう関わりで溢れていったらいいね。

こうして関わってもらったことがあなたに内包されていく。

あなたは希望の一つだよ…。

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