願う世界はすぐ近くにあるかもね
目の前の病院で、
やり取りががハートフルだなと生き生きした体験。
ナイスコミュニケーション!!生き生きさを取り戻すってこういうこと〜と、嬉しくなったこと。
*
私)「写真を撮らせていただいてもいいですか?」
「普段、不登校の彼に とってもいい経験と体験をさせていただいているなと思って…」
先生)「どうぞ、どうぞ〜〜」
と、三男の足を3人が眺めて治療しているところをカシャリ。
(外科医と看護師さん、そして三男)
写真は、
先生)「おーいいぞいいぞ。奏音は、細かい作業が上手だよ。」
「そうそう、これができるなんてすごいぞ。」の場面です。
*
三男は、数日前 家の前の道路で遊んでいて膝を擦りむき、血が流れたことに彼自身が驚き、痛くて痛くて、すっかり萎縮していた。誰にも触られたくない状態。
やっとかさぶたになったものの、昨日一気に剥がれてしまい、激痛で転がって痛みを訴えていました。
目の前の病院に駆け込む時は、彼の表情は暗く…
痛いのは絶対に嫌だといい、歩きたくない、病院は痛いからと後ろ向き。
痛みのある足を触ろうとするだけで、大騒ぎ。
誰にも触らせてくれません。
・
今日出会った先生は福島医大からきていた先生。
怪我の状態、
怪我をした時、その後、そして今ここまでを十分にヒアリングする中、ずっと三男に共感していた。
「そりゃ、走るよね。」
「そして転ぶよ〜」
「瘡蓋が取れたら、痛いし驚くよね、」
「遊ぶのはいいぞ。楽しいもんなー」
ここまでは、予想がつく展開。
ここからが、面白い。
・
まずは、今の状態を適切に説明。
微生物、生物、ちりやホコリがあると…
そのことによる現状の皮膚の状態。
そして、どうしたいかまでイメージを共有し、
今日したいことを3ステップくらいだったかな…小学生にわかるように説明してくれた。
どう?
そして、彼に選択肢を与える。
このままちりやほこりを皮膚に残したままにするか、
少し痛いかもしれないけれど洗浄して綺麗な膝を目指すか。
「1分考えてよ。」って。
三男の理解をサポートするように、3つに分けて説明し直し私から三男へと話していた。
三男はウジウジしたまま。
彼の気がかりは「痛いのは嫌」だった。
(左脳でやることを理解しても怖さって拭えないものなんだよね。)
気がかりを聞いていた先生が、
「じゃ、自分でやってみる?僕がサポートするよ。」とお誘いしてくれた。
「我慢できないくらいに痛いと思うところまでにしよう。」
「そして自分でやってみるのはどう。」
「照れ屋さんだから、移動しないでここで治療できたらいいよね。看護婦さんにバケツを持ってきてもらおう。」
「これならどうかな?」
**
なんだか、楽しそうだった。
先生と三男が交互に治療をする。
看護師さんが懐中電灯で光を当てて、
「そう、それだよ。そこもね。うまいぞ。いいぞ。」
「サポートする時はな、集中しやすいように足から手が離れた時にお湯をかけるんだぞ。」
『そうやってみるとまだ汚れがあるろう〜。見えるか?」
「おー、ピンセットというものがあるけど、使うか?」
そう言いながら、やり方を教えるように関わっていく。
途中、「おぉ〜奏音、お前すごいな 外科医に向いているぞ!」と励ます。
お湯で洗浄し終わった時には、すっかり奏音の心は生き生き元気になっていた。
表情が全く違う。
・
「イレギュラーなんですけど、(治療の)目標は達成しました。」
「僕もこういう体験は初めてでしたけど、明日も治療に来てねと。」
「お風呂も入っていいぞ。」「はい。」
「勉強もするんだぞ。」「はい。」
「外科医を目指してもいいぞ。」「はい。」
「奏音は細かいことが得意だぞ〜。自信持って大丈夫だ!外科医になってくれたら嬉しいな〜笑」
そのやりとりは笑顔だった。
*
ハートフルな関わり。
十分に患者の気持ちを理解した関わりや提案。
専門的な知識を振りかざすのではなく、目の前の人にとって無理がない方法で差し出す姿に、感動したし、学ぶことがいくつもあった。
ただ勉強を進めたり、学校にいくことを進めても動じない三男のこだわり。
「大切にされること、尊厳、一緒に」
大切にしてくださって、ありがたいな〜と。そして人と人との関わりを学ばせていただきました。
手法やスキルを超えてくるものがそこにある。
帰り道、三男と手を繋いで 弾むような気持ちを共に過ごした。
世界がこういう関わりで溢れていったらいいね。
こうして関わってもらったことがあなたに内包されていく。
あなたは希望の一つだよ…。
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