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投資歴38年の60代元高校教諭が、長期投資の旅を経て、金融資産の残高を眺め、いま思うこと

「ひょんなことから、25歳のときに投資信託を積み立て始め、気がつけばもう38年になります。60歳を超えて資産運用について思うこともいろいろと変化してますが、20代で積み立て投資と出会ったのは人生のお宝です」。

そう語るのは北海道・札幌市在住の竹田昌弘さん(64歳)。

昨年(2023年)3月に37年勤務してきた高校(英語教師)を退職し、趣味の投資と少しの仕事、そして札幌の街歩きなどを楽しんでいます。竹田さんに、長期投資の旅を振り返っていただきました。

「つみたてオフィス 札幌・円山 つみたて相談カフェ」を
開催しているカフェ。落ち着いた空間。

――昨年、長年勤めた私立高校を退職されたそうですね。今は何をなさっているのですか。

竹田:今は「つみたてオフィス 札幌・円山 つみたて相談カフェ」を主宰して、NISAや積み立て投資について相談を受けています。自営業ではありますが、シンプルな積み立てによる資産形成を初心者に広めたいという思いがあるので、趣味も兼ねていますね(笑)。

朝早く起きてCNBCを観て、午前中は予算の範囲内で、少し個別株のトレードをしています。午後は相談やミニセミナーをしたり、札幌の街中を歩きまわっています。教員時代は忙しく、札幌市内でも行ったことがない場所が結構あるんですよ。時間があるときは小樽や余市、積丹などに足を延ばすこともあります。少ししたら飽きるかもしれませんが、退職1年目としては非常にいい感じで毎日を楽しんでます。

きっかけは大学の同期から頼まれて

――竹田さんが投資を始めようと思った「きっかけ」はなんですか?

竹田:大学在学中に1年間アメリカの大学に留学したので、社会にでるのが同期より1年遅くなりました。就職が決まったときに、証券会社に就職していた同期の女性から「口座開設のノルマがあるから、竹田くん協力してよ」と頼まれて、日本勧業角丸証券(現.みずほインベスターズ証券)の窓口に行って、口座を開設したんです。

口座を開設するだけにしようと思っていたら、「せっかく口座を開設したのだから、月1万円ずつ投資信託を積み立ててみたら」と彼女にすすめられ、日本株に投資するアクティブ投信を積み立てることに。それが投資信託と積み立て投資との出会いですね。トヨタなど大型の優良銘柄に投資する投資信託でした。

――同期の女性、社会人になりたての竹田さんに対して、月1万円の投信の積み立てとは良心的な提案ですね。それはいつのことですか。

竹田:1986年4月のことです。そこから毎月積み立てを続けました。ただ、1990年3月からデンマークの付属校に勤務することが決まったため、1989年12月上旬にそれまで積み立ててきた投資信託をすべて解約しました。あとから思えばバブルのピークでした。

うろ覚えですが、運用成績は年率20%を超えていたと思います。このときは、すすめられるまま投資信託の積み立てを始めて、 「こんなにふえるのか」とただビックリしただけでした。

個別株投資で失敗

――その後、どのように投資を再開されたんですか。

竹田:1992年(31歳)に帰国し、日本のバブル崩壊を目の当たりにしました。再び、同期の女性に相談すると、(主に中期利付国債を中心に投資して安定した収益の確保をめざす)中期国債ファンドや 債券ファンドをすすめられ、1999年(39歳)頃まではそうした商品で運用をしていました。

自分も、バブルがはじけて、株式に投資する投資信託を持つのはこわい、という意識がありました。

――マネー雑誌でも、中期国債ファンドなどがよく取り上げられていた頃ですね。竹田さんが投資する目的はなんだったのでしょう。

竹田:当時は、単純に銀行の利息よりよい利率で資産をふやしたい、と思っていました。1998年の秋に日経平均株価が少し反転したくらいから「株で1億円作る」というような、煽り系のタイトルの本が目立つようになり、「Financial Independence(経済的自立)」を意識し始めました。

そこで、1999年11月に野村證券に口座を開設し、ネットトレードの環境を作り 、個別株投資をスタートしました。「株で1億円つくったら、仕事を辞めても大丈夫かな」くらいに考えたわけです(苦笑)。

当時の教育業界では部活の顧問になると、月の残業が100時間近くなるという労働環境で、純粋に「辞めたいときに辞められる自由」が欲しかったんだと思います。仕事は好きでしたし、生徒とのかかわりは楽しかったのですが、もう少し自由に、自分で寺子屋のような学びの場を創れたらいいなあ、などと夢想していました。

が、実際は新日鐵やソニー株などに投資したものの、2000年にITバブルが崩壊して株価が下落。個別株は損切りしていったんあきらめました。

直販投信との出会い

――なるほど。そこからの再び投資信託の積み立てをはじめた経緯を教えてください。

竹田:2000年の春に、(独立系直販の草分けである)さわかみ投信が札幌で行ったセミナーに参加しました。澤上篤人さんの歯切れのよい投資に対する思いに圧倒され、2001年2月(40歳)からさわかみファンドを購入。投資信託の積み立てを再開することにしました。

その後も、ありがとうファンド(ありがとう投信)、セゾン・グローバルバランスファンドとセゾン資産形成の達人ファンド(セゾン投信)、結い2101(鎌倉投信)、ひふみ投信(レオス・キャピタルワークス)と、直販の投資信託を積み立てを始めました。

――投資信託の積み立てを再スタートしてからは順調だったのですか。

竹田:運用について迷いはありましたが、直販投信の創業者の皆さん、特に澤上さんと中野晴啓さん(現.なかのアセットマネジメント社長)と何度も飲んで語り合う中で、投資に対する考えを整理していきました。

投資方針を決定

竹田:自分の積み立て投資のスタイルを確立できたのは、投資教育家の岡本和久さんの影響が大きいですね。セミナーなどにも参加し、そこでインデックスファンドのことも知りました。全世界型のポートフォリオをコアに、アクティブファンドと個別株などをサテライトに、という考え方にも共感。2007年発売のご著書『100歳までの長期投資-コア・サテライト戦略のすすめ』は何度も読みました 。

「インベストライフ」創刊号(2003年)は今でも大切にしている
2006年に岡本さんが(当時)社長を務める
I-Oウェルス・アドバイザーズが引き継いだ

同じ年に発売された竹川さんの『投資信託にだまされるな!』も、もちろん読みましたよ。そういう意味では、2007年は僕にとってのターニングポイントですね。個別株をばたばた売り買いするのではなく、投資信託の積み立てでゆったり資産を作っていけばよいのだ、と思えるようになりました。

――岡本さんの『100歳までの長期投資』はよい本ですよね。この連載で最初に登場したセロンさんの時も話題にのぼりました。

竹田:竹川さんの本は最新刊まで私が知りたいことが丁寧に網羅されていますし、目先の運用だけでなく、毎年バランスシートを作って資産・負債全体をみること、公的保障・企業内保障があって自分で準備する部分があるという全体像を捉えることの大切さを気づかせてもらいいました。

同郷の故・山崎元さんや、投信ブロガーの水瀬ケンイチさんも資産運用の大恩人です。振り返ると、数々のハードルを飛び越えられたのは、こうした皆さんとアツく語りあったことと、数々の良書(書籍)があったからだと思います。

――私も加えていただき、恐縮です。こんなに取材で褒められたことはないと思います(笑)。

竹田:ただ、投資方針は決まったものの、当時は1本で全世界の株に投資できるインデックスファンドはありませんでした。ETF(上場投信)や投資信託を組み合わせてみたり、債券も含めたバランス型に投資をしてみたりと、色々悩みました。

結局、「セゾン資産形成の達人ファンド」はアクティブ運用ですが、1本で全世界株に投資できる商品なので、これを核にしようと決めました。バランス型の投資信託への新規積み立てはやめ、無リスク資産の部分は預金と個人向け国債(変動10)に振り向けました。

リーマンショックを乗り切る

――38年も投資していると、リーマンショックなどの急落も経験されていますよね。投資をやめようとは思いませんでしたか。

竹田:2008年のリーマンショックの時は1,000万円以上も資産が減りました。セゾン投信で「セゾン・グローバルバランスファンド」と「セゾン資産形成の達人ファンド」の2本を積み立てていましたが、基準価額が真っ逆さまに落ちていきました。(2007年に1万口あたり1万円でスタートした)バランスファンドは基準価額が6,000円台、達人ファンドは4,000円台になったんです。途中からはもう見なかったですね(苦笑)。でも、積み立てはやめませんでした。

人間、順調に行っているときは「時には大きく下がることもある」ということを忘れてしまいます。そして、リスクを取りすぎてしまう(苦笑)。なので、「リーマンショックのときはどうだったか」「コロナショックのときはどうだったか」などをたまに思い出しながら、リスク資産の比率を考えるようにしています。

期待リターンを起点にリスクの2倍くらいは価格が上下に変動すると想定して、このくらいは下がる可能性があるな、と頭の中でイメージトレーニングはしています。

前の職場でも、コロナショックのときには「急落初体験」で、プチパニックになっている人もいましたが、「このくらいは下がることはあるよ」ということを説明して…。コロナショックのときは急落しましたが、戻りも早く、幸い投資信託を解約したという人はいませんでした。やはり、習うより慣れろ。自分で体験しないとわからないし、値動きに慣れるのは経験の積み重ねだと思います。

現在の投資状況

――現在はどのような投資をしていますか。

竹田:今はSBI証券のNISA口座を利用して、「eMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)」を積み立てています。ようやく1本で世界の株に投資できる商品ができましたから。

投資にかける時間もコストと考え、全世界株式型の投資信託を積み立てて、ほったらかしにするのが自分に一番合っていると感じます。あとはセゾン投信が運用する2本の投信などを一般NISAと特定口座で保有しています。

今後は相続のときに手間がかからないように、セゾン投信の投信を少しずつ解約していき、最終的にはSBI証券で保有する"オルカン"に1本化する予定です。新NISAの非課税保有限度額(総枠)1,800万円を埋めたら、新規投資はそこで終わりにしようと思っています。

<竹田さんが保有している商品>
◆積み立て(NISA口座・SBI証券)
・eMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)

◆保有している商品(一般NISA・特定口座)
・セゾン・グローバルバランスファンド
・セゾン資産形成の達人ファンド
・eMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)
・個別株
・個人向け国債(変動10)

退職後の運用方針

――退職したことで運用方針などは変わりましたか。

竹田:退職直前の62歳の時は、リスク資産80%(主に投資信託と少し個別株)、無リスク資産(主に預貯金)20%という配分でした。退職時に退職金が入ったので、それを機にリスク資産の割合を引き下げました。今はリスク資産60%、無リスク資産(預貯金+個人向け国債)40%になっています。

退職して時間に余裕ができたので、金融資産の10%以内で、個別株やETF(上場投信)にも投資しています。少額ですが、そこそこ利益もあり、趣味として楽しく続けています。

今は完治して元気ですが、過去に初期の癌と診断されたこともあり、「資産運用の終わり方」や「お金の意味合い」について考えさせられました。それもあって、公的年金は65歳から満額受け取るつもりです。住む家もありますし、日常の生活費は公的年金でほぼまかなえます。あとは、旅行など、別途必要な分を積み上げてきた金融資産から取り崩していく予定です。

投資信託は"オルカン"1本に集約する予定。個別株は金融資産の10%以内で趣味として。

――投資にどれくらい時間をかけていますか。

竹田:ニューヨーク市場や日経平均株価 、ドル円レートなどは毎日見ますが、経済指標をみるのは、投資のため、というより趣味に近いですね。推理小説を読むようで楽しいです。

コア資産として位置付けている投資信託については基本的にほったらかしです。必要な時にリバランスをするくらいで、ほとんど時間はかけていません。

世代をつなぐ長期投資

――ご家族とお金の話はしますか。

竹田:大いにします。私の父も母も、妻も息子も、一時は全員積み立て投資 をしていました。今年(2024年)1月には息子のお嫁さんがNISA口座を開設し、年内には孫も未成年口座を開設して積み立てを始めるようです。孫が積み立て投資を始めたら、"4世代投資"になります。

――4世代はすごいですね! ご友人とはどうでしょうか?

竹田:退職前の職場でも、スタッフ48人中12人が積み立て投資をスタートしました。いちばん早く積み立て投資を始めた事務の女性3人は2011年から続けています。みんなでわいわい語ることもあり、楽しかったですね。

――投資を始めたことで、投資のリターン以外に、何かリターンは得られましたか。

竹田:とてもありがたい人間関係が得られました。資産運用を教えていただいた皆さんをはじめ、(投資家の交流会である)「コツコツ投資家がコツコツ集まる夕べ(札幌)」のメンバー、投資のことを私に尋ねてくれる人たちなど。退職しましたが、教え子とも積み立て投資でつながっていたりします(笑)。

あと、リターンというわけではありませんが、お金が少ない時は「お金が1億円になったらすごいだろうな」と妄想していましたが、ある程度金融資産の残高が積みあがると(退職金を含めて1億円ほどになりました)、それは夢だとわかりました。

幼少期から母の影響で我が家は貧乏だと刷り込まれていて、それを脱却するために資産形成をしていた気がします。でも、問題はお金の多寡ではありませんでした。お金はもちろんあるにこしたことはないですが、お金の残高に関係なく、「いま」「ここ」で無条件に幸せを感じること。できれば周りの人にさりげなく幸せ配りができることが理想だと感じるようになりました。

お金の使い方・引き出し方

――ゴールはどこにおいていますか。

竹田:自分も60歳を過ぎて、資産運用のステージも「資産形成」から「資産活用」に変ってきました。早めに生前贈与したり、ご縁のあるところに寄付したりすることを視野にいれています。

ありがたいことに、子どもも孫もいるので、自分の死後の相続ではなく、生きているうちに必要なタイミングで生前贈与して、有効に使ってもらいたいです。仮に私が長生きして、例えば息子が75歳で相続してもそこから使うのは難しいと思うんですよね…。書籍『DIE WITH ZERO』は現実的には難しいでしょうが、やりたいことをやって「DIE WITH できるだけ ZEROに近く」を達成して、この世を去るのがゴールでしょうか。

――格好いい大人の投資家や、格好よく生きるおじいちゃん・おばあちゃんがふえるとよいですよね。

竹田:若者が憧れるような、格好いい大人がふえると、世の中が明るくなると思いますしね。自分も、格好いいお金の使い方を考えていきたいです。

SNSをみると、「インデックスファンド vs アクティブファンド」「オールカントリーvs S&P500」など、さまざまな意見が飛び交っていますが、小さな差異に過ぎないと思います。一番の差異は「リスクマネーを適切な量持っていること vs すべて預貯金(預貯金なしを含む)」ではないでしょうか。

資産運用とか長期投資って、金融資産をふやすというより、人生のお金の心配から自分を解放する意味合いも大いにあると感じています。せっかく生きているのに、お金の心配や長生きの心配をするのはもったいない。できれば若いうちからコツコツ積み立てて、お金の心配から早く解脱する。「金融資産の残高」をふやすより、「幸せな思い出の残高」をふやすことに人生の時間をたくさん使いたいですよね。

(2024年3月1日取材)

編集後記

竹田さんとお話していると、会話が「楽しい」で溢れています。「退職後に札幌の街を観光客みたいに毎日歩き回るのは楽しい」「退職後に時間ができて(予算を決めて)株式投資をするのは楽しい」「〇〇さんが札幌に来てくれて一緒に語り合って楽しかった」などなど。好奇心旺盛で、「楽しい」と言いながら日々過ごすのはとても大切だなあ、と改めて思いました。

自分なりの軸を持つ
最初は迷うこともあると思いますが、自分なりの投資の軸を持てると、継続しやすいと思います。竹田さんの場合は「コア・サテライトで行こう」と決めてからは、資産形成の土台部分については淡々と投資信託の積み立てを継続し、リーマンショックも乗り越えることができました。

世代をつなぐ長期投資
ご両親、ご自身と奥様、息子さん、そして、年内には孫さんが未成年口座で積み立て投資をスタートするそうです。まさに"4世代"をつなぐ長期投資になりますね。

社会全体をみても、長期分散投資を実践した「第一世代」がリタイアの時期を迎えつつあります。コツコツ投資家さんの成功事例をみて、その背中を見ながら「第二世代」が資産を積み上げていき、またその背中を見て「新NISA」をフル活用した「第三世代」が台頭し、それをみてまた次の世代が続く…というように、ゆっくりと、でも確実にコツコツ投資が浸透してきていると思います。

知足按分
お金は目的ではなく、手段。ただただお金をふやすことが目的になってしまったら、本末転倒です。そういう意味では「自分にとって満ち足りた(心落ち着ける)生活とはどういうものなのか」を、時には立ち止まって考えることも必要なのかもしれません。今回竹田さんとお話して、改めてそう感じました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました! noteの「スキ」ボタンをクリックしていただけると嬉しいです。今後もコツコツ投資家さんへのインタビューを続けていく予定です。ご意見・感想などがありましたら、お寄せください。取り入れていきたいと思います。

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