本当は善いも悪いもない
「本当は善いも悪いもないのよ。」
昨日は咳がひどくて息苦しくて死ぬかと思ったので
守護霊さんに話しかけてみたら
たくさん教えてくれました。
事象に対して意味づけをしているのは私(人間)だけで
本当は善いも悪いもない。
例えば咳が出た時に、周囲の人から「良かったね!おめでとう!」と言われて育った場合
〈咳=いいことだ〉と脳にインプットされるだろうということ。
また〈咳を一回する度に千円を国から支給されます。しっかりカウントして申請してください〉と言われたとしたら
さっさと治りたいと思うだろうか?
結構大変だけどこれでお金が貯まるし、治ったら旅行に行きたいから
もう少し頑張って咳をしようと思うかもしれない。
あるいは晴れている日を「いい天気」
雨が降っているのを「天気が悪い」と決めたのは誰なのか。
悪い、と表現されるものは
単に「都合が悪い」というだけで
実際に悪いことなんてないのかもしれない。
自然界では善いも悪いもない
木の枝が折れたとしても、木は善い/悪いをつけない
一本の木が独立して生えてるように見えても
土の中ではみんなが助け合って生きていて
何も分離しておらず 全体でひとつの生命体なんだとか。
(たぶんこれが”ワンネス”と呼ばれるものなんだろうけど私はまだ理解できてない)
枝は去るべき時に去っているのであって
それば〈個人の死〉とはまったく違う。
去るべき時に去っていった自分の一部
(人間でいうところの伸びた爪を切るのに似てるらしい)
枝って小規模でお伝えしたけど自然界全部がそういった考えなのだそう。
悪いことが起きたと思ったときは
果たしてこれは本当に悪いことなのだろうか?と
ちょっと立ち止まって考えてみるのもいいかなと思いました^^