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黄昏の二見浦/無職の18きっぷ旅行記③

「亀岡くんは旅人だねぇ」

なんて人に言われることがたまにある。
それぐらい、あちこちをしてきたからだが。

北海道から沖縄まで、いろんな場所に行った。
今や行っていない都道府県の方が少ないくらいだ。

そんな"旅人"の僕だけども
毎年一回、必ず行く旅先がある。

「あぁ、また伊勢に来たな。」

四日市駅から電車に乗ってしばらく
二見浦駅に到着する。

夕方の涼しい空気が漂い始めていた。

無人の駅舎を出て、夫婦岩表参道を歩きはじめる。

道中の車窓
夫婦岩表参道

しばらく歩くとホテル土産物屋が並ぶ通りに出る。

この風景を見るのも、もう6度目だ。
「あぁ、また伊勢に来たな。」と感じる。

綺麗に整備された道と店。
きっと昼間は人で賑わうのだろう。

営業時間を過ぎているのか、人の気配もない。
通りを歩いているのは自分一人だけだ。
この時間に訪れる観光客の方が珍しい。

二見浦に来るのは決まって夏の夕方ごろだ。
日没直前の、この静かな時間がたまらなく好きだからだ。

時間の進む速度

地方に行くと時間の進む速度が遅くなったと感じる。
土産物屋を見ていたら、急にそんな考えが浮かんだ。

というより東京が早すぎるのだろう。
モノも人も多くて、競争も激しい。
一年どころか半年で風景が変わってしまう事も日常茶飯事だ。

時間というのは、五感に入ってくる情報量によって
速さが変わるのかもしれない。

6年前、初めてここに来たときから
この参道も、通り沿いの店何も変わっていないように思える。

何かが違う

しばらく歩くと、海沿いの道に出る。
微かに波の音が聞こえてくる。

好きなものは最後まで残すタイプなので、
海を見渡せる堤防の上
ではなく、その下の参道を歩く。

目的地の二見興玉神社はもうすぐだ。

二見興玉神社 鳥居

神社に近づくにつれて、ゾワゾワと落ち着かない気持ちになってきた。

お気に入りの場所、それも最も好きな時期、時間のはずなのに。
なんだか心が落ち着かない

一体、どうしたんだろうか。

学生時代に来た時は、この辺りを歩くだけでも
穏やかで愉快な気持ちになったのだが。

何かが違う。

そう思っているうちに、鳥居をくぐっていた。

漠然と広がる世界

夫婦岩

とあるものを見て、ようやくその感情の正体に気づいた。

かえる だ。

境内にはかえるの置物が多数
二見興玉神社の祭神・猿田彦命の使いとされる

「無事かえる 貸したものがかえるなどのご利益を受けた方々の献納」
説明にはそう書かれている。

…考えてみれば、今の僕に かえる 場所があるんだろうか。

少なくともがあるし、帰りを待っている家族はいるんだけども。
どういうわけか かえる 場所を見失ってしまったような
そんな気持ちになる。

学生時代には、もっとはっきりとした場所があった。
海岸の石ころを蹴飛ばしながら
それは日常であり社会的な居場所だと思った。

何ヶ月後には夏休みが終わって、何ヶ月後には試験があって
就活が解禁で…

そこに向かって生活を送るという大まかな"節目"を持つ日常
大学・学生という、自分が社会的に属する居場所
どうやら、この2つが自分を、暢気な旅人にしていたらしい。

だが今となっては、どちらもない様に思えた。

かえる 日常も、かえる 場所も。

伊勢シーパラダイス
いろいろ充実している商業施設

あるのはただ漠然と広がる世界だけだ。
ちょうど今、目の前にしている水平線のような。

二見浦の茫洋とした風景を目にしたことで
そんな思いが浮かんできたのかもしれない。

ずっと向こうまで広がる、穏やかな伊勢湾の海。
夕日鈍い光に照らされた海岸を歩く。

人の気配がまばらな海岸は無音に近い静けさ。

海と空の境界線は微かに夕日のピンク色になっている。
その下には真っ白い船。
ほとんど停泊してるんじゃないかと思える速度で航行している。

目に入るもの全てが穏やかだ。
美しすぎて神も二度見した、というのが地名の由来というのも納得。

無辺際な景色

歩きながら、前来た時もこんな風景だったなと少し安心する。

やっぱり、ここは初めて来た時から何も変わっていない
変わってしまったのは、僕の感じ方だ。

時刻は6時を過ぎようとしていた。
そろそろ帰りの電車が来る頃合い。

堤防の上から降りて、へ向かう道を歩き出す。

途中、何度もの方を振り返る。

神が二度見したというくらいだし
人間の小生が五、六度見しても何の問題もないだろう。

どれだけ振り返って見ても、無辺際な景色には変わりないのだが。

自分の現在位置

行ったことのない土地を訪れることがなのだ。
そう考えていた時期が僕にもあった。

しかし、一度訪れた場所に年月が経ってから再び訪れる
というのもやはりいいものだ。

その土地、そして自分自身に対して
前に訪れた時から変わったもの
逆に変わらずにいるもの
そういうことを再確認できるから。

一年に一度
になると二見浦を訪れるのは
そんな作業を無意識で欲しているからだろう。

美しさのあまり、神すら二度見したこの海岸
いつも変わらずに包み込んでくれる。

そういう場所だからできるのだろう
知らず知らずのうちに、変わってゆく自分
その現在位置を確かめることが。

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