「思い通り」という考えを手放す
少食生活を続けていても、家族がいたり付き合いがあると、それを遂行することが難しい場合も出てきます。
家族とせっかくの食事も、自分だけ食べない、というのも寂しいです。
同じものを食べて、同じ時間を共有することは幸福です。
その幸福を感じないで生きていくのは寂しいものです。
なので特別なときは食べることにしています。
普段食べていないもの、量を久しぶりに食べることで食欲が刺激されます。
元々、毎日の過食嘔吐をする生活を送っていたのもあるのか、そこからのシフトチェンジがまだできていないのでしょう。
「沢山食べたい」という欲求がわき、本来食べなくても良いものも沢山食べてしまいます。
以前の行動
以前ですと、こう思っていました。
「失敗した」
「もう自分なんてだめだ」
「これが続いたらどうしよう」
現在の行動
今は思いません。こう思います。
「このときだけだからたまにいいじゃん」
「明日から少食で幸せな日々が送れるから気にすることない。」
実際に、翌日は少食生活に戻っています。
過食嘔吐を長年続けていたときは「思い通りにならないなぁ」とイライラしていることがよくありました。
徐々に食事量を減らしていき、1日1食少食生活をするようになってくると
自分が感じているものや、良し悪しを判断している行為が不要なのだということに気づきはじめました。
「自分」という個があり、その周りには「自分以外」が存在する
「自分」と「自分以外」と区別があるということは、「自分」の思考は「自分以外」と一致することはない。
むしろ、一致しないことが自然。
頭ではなんとなくわかっているように思っていたのですが、ここ最近はわかってなかったんだな、と気づきました。
「自分」が持っている「当たり前」は、必ず万人に当てはまるわけではない。
「自分」が判断している「良し悪し」は、必ず万人が同じ判断をするわけではない。
そう思うと社会生活を送る中では、自分の価値観で物事を判断する行為は意味がないんだろうな、と思うようになりました。
自分の価値観に当てはまらないとイライラしたり、悲しくなったり、苦しくなったり。
でもその「価値観」は自分が勝手に持っているもの。
唯一自分で変えることができるのは「自分」しかない。
そう思うと、「思い通り」ってなんだろう?って。
「思い通り」という価値観からの開放
自分の価値観に当てはまらないことにイライラするなら、その価値観を手放せば開放されます。
開放することでまた自分の幸せが大きくなります。
自分が決めた「思い通り」に縛られない生活。
それに気づけたのことが、幸せです。
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