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過食嘔吐からヴィーガン少食になるまで

過食嘔吐から少食生活。

しかも現在はヴィーガンということで、食べるものが限られた生活をしています。

過食嘔吐で大量に食べていたときとは全く違った生活をしています。

誘惑の多い日本

多様な食文化である日本に生活していると、多くの誘惑にさらされます。

日本にいながら他国の料理が食べることができます。
食品会社は次々と新商品を開発しています。

外を歩くとよほどの田舎ではない限り飲食店を目にしないことはありません。

このように、常に「食べ物」と関わっている中で生活をしています。

自分の食のあり方をどうしていくか、が問われてきます。

変えることへの恐怖

過食嘔吐をしていると、「やめたい」という気持ちは常にあります。

  • こんなに食べたくない

  • 普通に食べれるようになりたい

  • 食べ物を無駄にしたくない

  • 苦しい

  • 情けない

現状を変えたい気持ちがあるけど、変えられない。
なぜ変えられないのか。

それは「変わることが怖い」と思っていたことが一番の「足かせ」になっていたのかと思います。

  • ストレスの解消のために食べる

  • 空虚感から食べる

  • 食べる幸せを感じたいから食べる

過食嘔吐をやめると、食べることで得ていたものがなくなってしまう。

メリット、デメリットを考えると過食嘔吐の代償はとてつもなく大きいので手放せて本当に良かったと思います。

でも、過食嘔吐真っ只中のときはそれに気づかなりふりをして、現状に甘んじていました。

何度も失敗して学ぶ

過食嘔吐の生活をしている中でも、メンタルが落ち着いている時期があり食べ方をコントロールできる時期もありました。

「食べても吐かない」と決め、自分が許容できるものを食べる生活をする。

それも、なにかしら心にストレスがかかるとそのうちまた過食嘔吐に戻る。

調子が良くなったらまたやってみる。

この繰り返しで徐々に過食嘔吐を手放す方向へ進んで行きました。

同じ状態でいつもいると気付けないことがあります。

それができそうなところから行動を変えてくことで、自分にとってのベストが見えてきました。

何も怖いものなどなかった

ホメオスタシス
私達の体は変化があった場合にある一定の状態を保とうとする働きがあります。

これが気持ちの面でも働くのでしょうね。

現状が変わることへの抵抗を本能的に感じる。
それが恐怖という形で現れる。

だから過食嘔吐を手放すのが怖いと感じる。

過食嘔吐を手放した今、思うことは

「何も怖いものなどなかった」

恐怖を作り出していたのは私の心でした。

現在、ヴィーガン少食生活で食べる量、ものが限られた中で生活していると、それが私の「心地よい」になりました。

怖いと思っても勇気を出して一歩踏み出したことで、その先がいずれ「通常」となる

わからないから怖い。

でも一歩踏み出さないと何が「心地よい」と感じるかわからない。

今が最低だと思うとなんだってできる。

一歩踏み出して今よりももっと「心地よい」を手にいれることができる機会をつかむ。

すると、自ずと自分にとってのベストな状態へ導かれます。

私は過食嘔吐を手放せたことにとても感謝しています。
今の生活で何も不満もありません。

毎日、心地よく幸せに過ごすこと。

それは人間として生まれたことで与えられた特権です。

一人でも摂食障害から解放される人が増えることを心から祈っています。


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