台北で読む日々 2023.12.19

2023.12.19

 すっかり冬の様相、クリスマスが似合う気温になってきた。と思ってスマホで気温を見ると16℃。地元は12℃、朝は2℃まで下がったようだ。
天気を見るとき、実家のある地元の天気までついでに見るようになった。
父と母、数人の友達の顔を思い浮かべ、スマホの画面を暗くする。

 バルザックの『幻滅』を読んでいる。
田舎に住んでいたリュシアンは、バルジュトン夫人(ルイーズ)と恋に落ち、パリへ駆け落ちをするものの、パリの刺激、煌びやかな社交界、美しい女性たち、そしてダンディを目の当たりにして、2人の恋は急速に冷めていく。

いかにもパリらしいしょぼくれた部屋で夫人と対面した。こういう部屋はパリの恥部である。エレガンスに関しては右に出るものはないと気取っている割に、実はパリには、裕福な旅行者が我が家のように寛げるホテルはまだ一軒たりと存在しない。[…]リュシアンにはルイーズがまるっきり別人のように見えた。[…]背景となっていた人物、事物、場所からいったん引き離されると、以前のような姿も価値も持たなくなるような人間が確かに存在するものだ。

バルザック、『幻滅』、野崎歓+青木真紀子訳、藤原書店、pp.198-199.

「背景となっていた人物、事物、場所からいったん引き離されると、以前のような姿も価値も持たなくなるような人間が確かに存在するものだ。」が辛辣すぎるよバルザック。
「井の中の蛙大海を知らず」というけれど、大海を知らない方が幸せなこともあるのだろう。田舎では一角の人物でも、パリに出ればあっという間に他人に埋もれてしまう。

パリの洗礼を浴びるリュシアン。
『人間喜劇』No.1ダンディのド・マルセーに冷たい目線で値踏みされる居心地の悪さよ。『ゴリオ爺さん』のラスティニャックには、身分が低いことをばらされる。ラスティニャックはゴリオの死後、パリの社交界を生き延びてきたことが窺え、不謹慎なジョークで周りを盛り上げているのは、ある意味拍手を送るべきなのだろう。
 社会、コミュニティでのヒエラルキー、自分の地位のために他人を蹴落とす醜さはいつの時代も、どこにでも存在することが描かれている。

 SNSでいつでも「大海」にアクセスできるようになったこの時代、私は今、井の中を求めている。2024年は、SNSから距離を置きたい。
自分な好きなもので囲まれた井戸を築きたいと、漠然と考えている。

起きて、ジムにいって、帰ってきて洗濯掃除を済ませ、英語と中国語の勉強、映画と読書。そうやって毎日を過ごしていく。

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