見出し画像

比較の世界を飛び超えて。

それは速さの度合いを超えていた

鉄道が好きな子供だった。生まれは千葉県、実家は関西。10歳から18歳までの多感な時期を大阪で過ごした。津田沼駅で見かける総武線快速と各駅停車の紺と黄色のコントラストも好きだったけど、大阪駅のホームに発着する色とりどりの特急を、乗り換え待ちのホームから眺めるのが何よりの楽しみだった。スーパー雷鳥、スーパーくろしお、雷鳥、白鳥、トワイライトエクスプレス…。当時はJRが分社化されたばかりで独自色に力を入れていた時代。今ほど新幹線網が充実していなかったこともあり、大阪駅を始発とするさまざまな特急列車が集まってきていたのだ。祖父のおさがりのうまく使えないフィルムカメラと保険の写ルンをぶら下げて、かっこいい電車たちをありがちなアングルで撮影しては自作のスクラップブックに貼っていった。フィルムの写真は現像してみると使い物にならないことが多く、ブックに並ぶのは写ルンで撮影した写真ばかりだった。

そんな鉄道少年がひときわ心惹かれた車両がある。それはJR西日本の221系「新快速」。新快速はその名の通り快速であり、子どもたちに人気の特急ではない。切符さえ買えば普通料金で乗れるし、主な用途も観光ではなく都市間の通勤。山手線や中央線と同じカテゴリに入る普通列車の一種である。けれどもその存在は、どんな特急列車よりもときめくものだったことをよく覚えている。

最高時速130kmの専用車両。流線型のスタイリッシュなデザイン。京都〜大阪〜神戸の三都を結ぶのに似合う、黄金色をベースにした高級感ある配色。通勤列車には珍しい4人が向き合って座れる転換クロスシート。ついでに言えば来たる21世紀を思わせる221系という数字の並び。ツノは無いが色気と品格が有る……新快速を語る魅力は数多くあるのだけれど、何よりの魅力はそれらのスペック的な事実を鮮やかにくるんで見せた「新」+「快速」という概念にあったように思う。

それまで鉄道の種別を表す尺度は速さしかなかった。普通より早いのが快速。快速より早いのが特急。特急より早いのが新幹線。そんな鉄道市場に新しい軸を鮮やかに持ち込んだ新快速。えっ、快速に「新」って何ですか?快速よりすごいのは特急じゃないんですか?? 速度だけじゃなくて総体として、そのすべてが「新」しかったんだ

初めて新快速を見たのは先代の117系だったが、記憶の多くは221系とともにある

急行と快速どちらが速いのか?

鉄道の種別を表す言葉は色々ある。例えば京王線には「特急/急行/区間急行/快速/各停」の5種類があって、快速と急行どちらが速いのかは東京生活20年を越えた今でも正確にわからない。「急いで行く」と「快い速さ」。日本語的な意味から考えると前者が速そうだ、と思って調べてみると、やはりその感覚は正しく急行の方が格上。いっぽう東武線では序列が逆転していてなんと快速の方が速く、さらに西武池袋線においては「快速急行→急行→通勤急行→快速→通勤準急→準急」と、急行系の間に快速が挟まることで序列はより複雑になる。

鉄道会社の人も「速さを表す名前なんだからわかりやすくなくては!」と、ドライに事務的に名付けていったのだろうが、同軸の中で比較をしていく名付け方では、数が増えるほど微差になり、むしろ違いがわかりづらくなってしまうのが問題だ。

ちなみに各駅に止まる一番遅い種別のことを、JRは「普通」、私鉄は「各駅停車」と呼ぶ傾向があるのだが、僕は圧倒的に「普通」の方が好きだ。なぜなら、各駅停車は機能だが普通は思想だからだ。各駅停車が単に各駅に止まることを表しているのに対し、それを普通と呼ぶことを選んだ鉄道会社には、この電車こそがStandardでありUniversalなんだ!という意志や主張がある気がしてならない。そんな風に、生活の中でふいに言葉の意味と向き合わされる瞬間が好きだ。

新快速に影響されてかされないでか、近年は少し捻った種別の名称も増えている。その最たる例が北越急行ほくほく線を爆速で走る「超快速スノーラビット」(※2023年3月に惜しくも廃止)、そして同じく北越急行から、あえてゆっくり走行して景色を眺める逆張り鉄道の「超低速スノータートル」。いずれもコンセプトの思い切りがよく、鉄道好きとして非常に興味をそそられる存在ではあるのだが、平たく翻訳してしまうと「超快速=とても速い」「超低速=とても遅い」と実は速さ比較の域を出ていない。なので、鉄道としての魅力はともかく、概念としての魅力では新快速に軍配が上がる。(余談だが「超歌手・大森靖子」の場合は、これまでの歌手を超越していく、という意味で、超快速より新快速に近い概念だと思う)

逆にいかにも平成の特急らしい愛称ネーミングではあるのだが、東海道新幹線のネーミングセンスはとても好きだ。こだま(音速)より速いひかり(光速)を作り、それより速いものは何なのかを考えた時、人間の「のぞみ」(希望)であると捉えた、その発想がとても美しいと思う。


カオスな序列が美しい京王線の路線図(京王グループHPより)
※2022年3月のダイヤ改正まではこれに加えてさらに「準特急」という謎の存在があり合計6種類だった
カオスな序列が美しい西武池袋線の路線図(西武鉄道公式HPより)

今こそ新しいことを疑え

鉄道少年だった時代から、時は流れて2000年代。進学を機に東京に出てきていた僕は、とある著名なデザイン事務所でアルバイトをさせてもらっていた。主な仕事はポスターやツールの貼り合わせ。ある時期から大きく「新」とレイアウトされた美術館のポスターが事務所の壁に並ぶようになった。当時アシスタントだった僕がその真髄を直接社長から聞くことはなかったが、のちに出版された本から知ることになる。

情報を確固たる視点の元に整理して、ビジョンを見つけ出し、構造を組み立ててからデザインする……。プロセスはいつものとおりなのですが、トントン拍子に進むというわけにはいきませんでした。肝心の視点を見つけるのが、すごく難しかったのです。(中略)ふっと“新しい”というキーワードが浮かび上がりました。どの要素も、いままでにないことです。これを“新しい”という視点でプラスに転化すれば、スムーズに整理しなおせるのではないか。この視点が見つかった瞬間に、すべての要素がすらすらと置き換えられました。

佐藤可士和の超整理術』より引用

当時は日本らしい漢字のロゴマークが今っぽくてかっこいいなぁ、ぐらいにしか思ってなかったのだが、概念的にはまさかの「新快速」とリンクしていることに、さらに20年経った2020年代のいま気づくことになった。象徴としてあてがわれた漢字は潔く「新」の一文字のみ。でも当時見た人はそのコンセプトが包含する複数の意味をしっかりと受け取っていた。(新しい試みをする勇気、新しい基準を作る意志、常識を疑う態度などなど……)そういう意味では、新快速も新美術館もシンゴジラやシンウルトラマンを先取りしていたとも思う。

新しいことが全てだと思うわけではない。むしろ僕が新快速と出会った1990年代や、新美術館のデビューを目の当たりにした2000年代とは違い、新しさが過当競争にある現代においては、いたずらに新しさを競うことの価値を積極的に疑いたい。(今後は変わらなさとか、頑張らなさとか、弱いこと美しいことなんかも大事な軸になってくると思う)新快速が僕らに伝えたいのは、いま当たり前とされている価値軸とは別の軸を見出すこと。その「問い」の大切さなんだと思う。x軸だけの世界にy軸を、xとy軸の世界にzを持ち込むような。

年に数回関西に帰るたび、年々走行距離を伸ばして「ブランドとなった」新快速の新型車両に乗る。私たちの日々は、人生は、時間というものの積み重ねでしかない。しかし、これまでの延長線上ではたどり着けない場所があるのもまた事実である。目一杯対象と向き合って、地道に正しく整理をし尽くしたら。少しだけ角度を変えて、斜め上にふわっと浮かぶ「新しい軸」を見つけられないかと今日も思う。

「新快速」の概念
概念を発見したときの勢いあるメモ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?