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パナソニック汐留美術館「香りの器 高砂コレクション展」

 何を隠そう、私は高砂香料に就職を考えたことがある。きっかけは香水やアロマテラピーだった。それまでちゃらんぽらんな学生時代を過ごし、さて就職活動するぞという段になり私はとりあえずリクナビを眺めた。今はどうかわからないが、当時はその中に「好きなことから仕事を考えてみよう」というコンテンツがあったと記憶している。なるほど、好きなことからね・・・ということで、きわめて短絡的に冒頭の言に行き着いたのだ。
 しかし結局、調香などの技術職は理系でないと難しいこと、営業や管理部門に職種として興味が持てなかったことなどから、エントリーすらせずに終わった。その後もアロマテラピーは趣味として楽しんでおり、香りに関わることはずっと興味の対象としてある。

 その高砂香料の、香りにかかわるコレクションの展示。これは行かない理由がない、ということで足を運んだ。

 「香りの器」というと、おそらくイメージされるのはラリックに代表されるような香水瓶、または香炉なのではないかと思う。ちなみに、香水が今の「香料+アルコール」という形を取るようになったのは香料の蒸留方法が十字軍の侵略に関わる形でヨーロッパに伝えられてからである。しかも、当初はハーブの薬効を抽出した薬としての意味合いがほとんであり、現代のようにオシャレや身だしなみのアイテムとして香水が使われ始めたのはさらに時代を下ってからのことだ。
 しかし、人類が「香り」を使っていた歴史はもっと古く、紀元前にまで遡る。当時は薫香といって香料を加熱し香りを立ち上らせる方法や、浸剤といって香料を油に漬け込む方法がとられていた。そのため、この展覧会でも当時の香油壺や香油瓶から展示が始まる。

 この古代の香油壺・香油瓶のエリアは写真撮影不可だった。土器・陶器・石器の展示では、アラバスターの透過した白い光が美しかった。また、後世の華やかなガラス瓶とはまた違う、古代ガラスのゆらめくような輝きに魅了された。当時としても貴重なものであっただろう香料を、昔の人が大切にしていたことが伺われ、胸を打たれる思いだった。

 続いて、手のひらに収まるような小さな香水瓶。そして、色鮮やかなボヘミアンガラス、さらにガレやラリックの彫刻のような香水瓶。

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庭園美術館や箱根ラリック美術館などで見たことがあるような気もするが、それともよく似た別のものなのか、どちらにしても何度見ても美しい。そして、直線的、幾何学的な香水瓶も面白いと感じた。

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 後半は東洋の香道具や香炉、香合。最近の作品もあった。精巧な細工をされた小さいものを見ると無条件に気持ちが昂ってしまうのは、私の中のガーリーな何かが反応しているのだろうか。やはり人生のうちに一度は香道具を手に入れて香道の真似事をしたい、と改めて思った。

 終盤、香道に関する伝書が展示されていたのが興味深かった。確かに香りに関する展示だ。そして有名な蘭奢待も出ていた。ガラスケースの向こうにあり、もちろん香りを嗅ぐことはできなかったがこの古ぼけた木材がどれほどの価値を持っていたのか、と思うと不思議な感じがする。

 今、私たちはマスク生活の中にある。時折マスクを外すと、普段よりもくっきりとしたさまざまな匂いが洪水のように鼻腔へ飛び込んでくることに、一瞬戸惑いを覚えるほどだ。五感のうち、嗅覚は原始的な感覚と言われており、大脳の中でも本能に近い部分にダイレクトに作用する。香りは、だからこそ古代からこういった形でさまざまに大切にされてきたのではないだろうか。その嗅覚を半ば強制的に遮断されている今、日常に意識的に「香り」を取り込んでいかないと生物としての感覚が退化していくのではないかと危惧する。もちろんマスクが必要な場面の方が多いのだが、可能な時は自分の感覚を解放して、胸いっぱいに何かの香りを取り込んでみるのも悪くないのではないだろうか。

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