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短編”赤いポストの角を曲がると”

昔風の赤いずんぐりしたポストが立っている角を向こう側に直角にきゅっと曲がると、私は時々いつもと違う世界に入り込んだ。
そういうとき、そこにはいつも男の子が立っていた。彼の前では私は、いつものつまらない平凡で目立たない私でない特別な女の子になるのだった。彼は私が現れると破顔し、さっと近寄ってためらいなく手を取るのだった。彼はとてもきれいな顔立ちの、こぎれいな身なりの同い年くらいの男の子だったから私は嫌な気がしなかった。声もとても良い声なのだ。
「みかげちゃん、会いたかったよ、ずっと待っていたんだよ。今日も君はなんて可愛らしいんだろう。君に会えて今日は何て良い日なんだろう。今日の服もとても君に似合っているね。髪も素敵だよ」
彼の良い声が歯の浮くような言葉を次々に並べるが私はそれを平然と受け止め、彼に手を引かれてポストの横のタバコ屋の前のベンチに並んで腰を下ろすのだった。
そこにすわってみる周囲の風景はくっきり見えているのに、どこかセピア色がかかっている。ああ、おかしな世界に紛れ込んでしまっている、と私は確信を持って感じるのだが、いつも間違いなく元の世界にもどれているし、ここには自分をお姫様扱いしてくれる素敵な男の子がいる。問題ない。
「…それはネコミミをかじるようなものなんだよ」
「えっ?」
私は少しうっとりぼんやりしていて彼が何を言ったのかわからなくて聞き返した。
「なんていったの?もう一度お願い」
「それはね、ネコミミをかじるようなものなんだよ」
「ネコの耳をかじるの?」
「のようなもの、なんだ。本当に猫の耳をかじったりしなくていいんだ」
「ふうん…」
私は答えてから、そういえばこの世界では一度も猫を見ていない、と思った。でもそもそもいつもの世界でも猫なんてみない。猫はすべてどこかの家の中に隠されているのだ。町の通りを歩いていたり公園にいたり、裏通りの神社で夜の集会をしていたりなんかしない。
猫…猫…家で猫を飼っていなければ猫がどういうものかもうみんな分からなくなってしまうだろう。
「だからキスしてもいい?」
彼はいつものようにそう言った。
「だめよ」
私もいつものように答える。
「どうして?」
「だってネコミミをかじるようなものなんでしょう?そんなことしたくないわ」
私は私がキスを断ると彼ががっかりした顔をするのが嬉しくてたまらない。
会うたびに同じ問答を繰り返して楽しんでいる。
でもこの時は「いいわ」と答えるべきだった。
後から思った。

この日に元の世界に戻った後、赤いポストは撤去されてしまい、もう二度と彼のところへ行くことは出来なくなってしまった。
私はこれからはずっと、誰にも可愛いと言われたりしない、つまらない目立たない地味な女の子でしかないのだ。
私は毎日、赤いポストがなくなってしまった、ただの曲がり角を曲がってみる。でももう彼はそこにいない。セピア色の世界の入り口はポストとともに消えてしまったのだ。
私は立ち止まってじっと耳を澄ます。
どこかから「みかげちゃん」と言う声が聞こえるのを待って。
どこからも聞こえない。
そもそも私はみかげという名前でもないのだ。

(了)


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ちよさんに、この物語からイメージした曲を作っていただきました!
「優しいけれどどこか不安定で憂いを秘めた曲にしてみました。」
とのことです。まさにそんなメロディです。
是非お聞きください✨

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抽選に当たり、曲を作って頂けました✨


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