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【短編】エスプレッソおじさん

ぼくはキッチンにあるそれを何だろう?とずっと不思議に思っていた。
ママかパパに聞こうと思って忘れて、誰もいないキッチンでまたそれを見て何だろう?と思う繰り返し。

その日もみんな出かけてしまって一人きりの家で、なんとなくキッチンをうろうろして、またそれが気になった。
「なんだろう、これ」
一人だけど声に出してみる。

「これは」
ふいにその道具の真ん中の窓が開いて、小さなおじさんが顔を出して言った。
窓なんてなかったのに。
「エスプレッソを入れる道具だよ」
ぼくは首を振った。
「エスプレッソ?なにそれ。ぼく知らない」
おじさんはぼくの真似をして首を振った。
「コーヒーは分かる?ボク?」
ぼくはボクって言われるのが嫌いだ。
「もちろん、コーヒーは分かるよ。
今だってコーヒー飲もうとしてたんだ」
ぼくはちょっと嘘をついてインスタントコーヒーの瓶を手に取った。
本当は冷蔵庫から牛乳を出して飲もうとしていた。
しかもその牛乳に、ママが苺ジャムを作ったときに出来たシロップを混ぜて苺牛乳にして飲もうと思っていた。
でもその変な小さいおじさんに苺牛乳を飲むとは言えない気がした。
「じゃあ、特別なエスプレッソ牛乳にしてやろう」
あれ?おじさんはいつのまにか普通サイズのおじさんになって、ぼくの目の前に立っていた。すらっと背が高くて、オレンジ色のポロシャツを着ていて若くみえるけれど、へんてこな口ひげを生やしたおじさんだ。
そしてその謎の道具でエスプレッソとやらの準備を始めた。
あちこち勝手にごそごそ探して文句をブツブツ言っている。
「なんでこの家にはエスプレッソの豆がないんだよ…まあいいか、しかたない、このアイスコーヒー用でいいや…」
そういうと、謎の道具をねじって開き、下に水を入れ、その上にふわっとコーヒー豆(インスタントじゃなくてパパやママが機械に入れたりして使うやつ)を入れて、上の部分を重ね合わせてガスの火にかけた。
おじさんとぼくはそれをじいっと黙って見ていた。
しばらくするとお湯がわいた音がこぽこぽしてきた。
「音がしなくなったら終わりだからな」
おじさんがつぶやくようにぼくに言う。
ぼくはだまってうなずく。音がしなくなった。
おじさんは食器棚から勝手に探し出して用意してあった小さなコーヒーカップと(デミカップだとおじさんは言っていた)、ぼくの愛用の犬の絵のマグカップに、その道具から茶色の液体…エスプレッソを注ぎ入れた。
砂糖も混ぜた。ぼくのマグカップには牛乳も入れて混ぜた。
「ちょっとシナモン入れたいな。おれの好みで。
おまえのにも入れていいか?」
ぼくは(シナモンってなんだっけ?)と思ったけれど「うん」と答えた。答えた後でふわっと香った匂いから(ああ、ドーナツとかにかかってるのだ。そうだ、シナモンロールのシナモンだ)と思い出した。
ぼくはおじさんとキッチンの小さなテーブルで向かい合ってエスプレッソを飲んだ。
今まで飲んだ中で一番おいしいコーヒー牛乳だな、と思った。
「うまいだろ」
おじさんが得意そうに言うので「まあね」とだけ答えた。
飲み終わるとおじさんはカップと道具を片付けた。
そして「またな」と言った。
え?とぼくが驚くと、おじさんはエスプレッソを入れる道具…おじさんが「モカ」と言っていたその道具のロケットに乗って、窓から空に飛んで行ってしまった。

ぼくがキッチンでぼんやりしているとママが帰ってきた。
「ただいま。どうかした?」
「うん…」
ぼくは何て説明するか悩んだ。
「さっき、知らないヒゲのおじさんがきて、エスプレッソ入れて、ぼくにはエスプレッソ牛乳入れてくれて、飲み終えてどっかいっちゃった」
「その人、オレンジの服着てなかった?シナモン入れたでしょ?」
ママがそういうのでぼくはびっくりした。
「そう。オレンジの服で、シナモン入れた」
ママはため息をついた。
「それ、ママの弟。なんで私を待たないのかなぁ!」
ママはぼくをにらんだ。ぼくをにらまれても困る。
モカに乗って行っちゃった…というのは止めた。
もっとにらまれるだろう。
「あ」
ママはテーブルの下に紙袋を見つけた。
すぐに開けてみる。
それはさっきロケットになって飛んでいってしまったあの道具の新品が入っていた。真っ赤で可愛い。
「お土産か~」
ママは大事そうに取り出した。
「私が赤いの欲しいって言ったの、覚えてたんだな…」
ママはそういって窓の外の青い空を見た。
ママにあのロケットが見えたらいいのに、とぼくは思った。
でももうロケットは見えない。
ぼくはママにこう言った。
「きっとまた来るよ。ぼくに”またな”って言ったから」

(了)


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