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旅の回想記①「海外旅行体験記」懸賞でロス7日間の旅をゲットしたときの体験

旅の回想記を書いてみようかなと思っていた。
私の人生に旅は欠かせない。
ずっと旅でも良いくらいなのに、そう願いながら現実は「現実的に」生きて来た。
まあ、だからこその、たまに旅に出たときの感動やらもたくさんあるのかもしれない。

若いころに、「海外旅行体験記」なるものに応募して
一回は、大阪のタウン誌の懸賞に入賞して、「ロサンゼルス7日間の旅ペアご招待」を獲得☆
一番一緒に行きたかった彼氏(オット)と行くとは、親には言えないから、友人とロスへ行った。(ごめん、友人)
でも、友人との旅行って、気も遣うし、7日間ともなると正直結構きつかったな。マイペースな子だったので、写真撮って、と言っても、また?とか言うし、、、(笑) 私にしたら、あんたが撮ってくれんかったら、誰が撮ってくれるんさ、的な。ま、行き当たりばったりの旅で大丈夫な友人を選んだら彼女だったので、その点は良かったんだけど。

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その時書いた「海外旅行体験記」の中の旅を振り返ってみる。
それは大学の卒業旅行。約2週間のヨーロッパ3か国。パリ⇒マドリッド⇒ロンドンの旅。
一足先に出かけた友人たちを追いかけて、一人初めての海外旅行に、往復の格安チケットだけ持って、な~んにも準備せずに出かけた、、、いつも私はそうなのだけど、なんとかなる、と思って、というか、いや、そうも思ってもいない、何も考えずに出かけて、、、、初めてのフランスのどデカい空港に早朝ひとり降り立ち、両替しようにも銀行も空いていない、友達に電話しようにも小銭もなく、公衆電話の使い方も分からない、フランス語試したけど通じない、、、、ということで、現地に着いてから焦る💦という旅の始まりだった。「やば、、、」

心配して伊丹空港まで着いてきた私の母が、なんでこんなに心配しているんだろう???と思っていたのを、「こういうこと?」と思い出しながら、インフォメーションのフランス人のお姉さんと四苦八苦してやり取りし、「銀行は9時まで開かない。タクシーはあなたにはエクスペンシブだから、地下鉄で行きなさい」と言っているのをなんとか理解したものの、「外国の地下鉄なんて、怖くて乗れな~い💦💦💦」と、結局、タクシーを選択。両替できないまま乗ったので、おそらく500フラン札(1万円ちょっと)をそのままぼったくられた、、、「メルシーボークー」とにやりとした運転手に「釣りをくれ」と言えなかった私。。。

そこからも、先に旅を始めていた友人たちは、数か国を周るための飛行機や列車の手配もホテルも予約できているところ、私一人、彼女らを追いかけて飛行機も列車もホテルも別に手配しながら、くっ付いて回っていた。。。。

結局、その頃はすべて電話での予約。そもそも英会話は苦手なのに、現地での電話での予約。こっちの要望は伝えるものの、相手が何を質問しているのかが分からず、とりあえず全部「イエス」「OK」と答えて予約が取れたのか取れてないのかすらナゾ。。。(笑)行ってみたらわかるやろ、的な。

友人たちは、一人追いかけて旅をしている私に、もう少し優しいのではと勝手に期待していたが、楽しさで舞い上がっているのか、まったく気にかけてくれないので、今日の宿は取れているのか?行って取れてなかったらどうしよう?もう、考えないでおこう。。。どんな宿かも、行ってみないと分からないと一人不安を抱えながらの旅。

今でもそうなのだけど、よく言えば、私は常に「今」だけを生きている(笑) 明日のことは明日考える。朝になって、「今日は誰とシフトインするのかな」ってシフト表を見て、「わあ!休みだ、ラッキー☆しかも連休!」なんて具合に、今日のことしか考えられない。
「今日を生きる」ってそんな意味か???と思いつつ、ま、そんな性格が幸いしてか、旅先でも、今日の宿も分からない、友達と別れてからどうやってそこへ行くのか?どんな宿?シャワーは結局ついてるの?ついてないの?わからん、ま、考えても仕方ない、行って見るべし、というかんじで、約2週間を3か国で過ごした。

ある意味すごいなと今になって思う。その頃は若いバブリーな世間知らずの女子大生、あぶなっかしい。

夜、なんとかたどり着いた宿のカウンターには、あやしげな中国系のおじさん。。。フロント周りは照明も暗めで、大人たちがお酒を飲みながら談笑している。おじさんの言葉も、わかるようなわからんような、、、たまたま出会った日本人の男の子ふたりに部屋番号を聞いておいた。何かあったら助けてね、という具合。
重いスーツケースを引きずりながら部屋にたどり着くと、なかなかレトロな部屋で、とりあえず、ドアの前にバリケードのように椅子などを置いて、作り付けのクローゼットの壁を叩いて、隠しドアのようになっていないか、ベッドの下ものぞいて、服を着たまま靴を履いたまま就寝した。

日本でも一人旅なんてしたことなかった。
友達は明日ここに何時に来てや、遅かったら置いて行くで、、、と笑ってバイバイ。もう必死の毎日。だったら一人の方が良かったんちゃうん、と今になって思うけど、その頃は「無理」だったのです。

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そして旅の終盤、あと3日間私だけが帰りのチケットの日まで残ってるけど、みんなは明日帰る、という夜になって、寒気がして「やばい。。。」

案の定。その日の夜から高熱が出て、一人、ホテルの部屋でうんうんと唸る羽目に。3日間、こうしてベッドで過ごすのかなあ、薬も買いに行けないし、水も欲しいのに、とりあえず寝てるしかない。

「トントン」とドアがノックされ、「誰?」とフワフワした頭で聞くと、「オレ」と懐かしい声。

ドラマみたいでした、、、「うそ~、来てくれた、、、」
「めっちゃ熱あるやん」

同じころ、友達とヨーロッパを周っていた彼氏(オット)が来てくれた!
今みたいにスマホもないので、お互いにどこにいるかわからない。でも、オットのお母さんが中継してくれて、一人になるであろう私がいる場所を突き止めてくれたのでした。ドイツで友達と別れて、ロンドンに来てくれたとのことでした。

お母さん、忘れてたけど、あの時はほんまにありがとう❤
オットが来てくれなかったらどうなっていたんだろう。

翌朝にはちょっとフワフワするけど熱も下がり、少し散歩に出たり、日本を発ってから始めてリラックスして外国の街を楽しめました。彼は英語も話せるし、私を置いてきぼりにはしないし☆
実は結構、冷たい友人たちを恨みがましく思いながら、何にも言えずに一人必死だったのでした(笑)

3日間を楽しく過ごした後、私だけまた飛行機に乗るのに空港まで送ってくれたのだけど、空港で今度は吐き気に襲われ、トイレから出れなくなった私を、トイレの中まで引っ張り出しに来てくれて、「飛行機乗れへんだらどうやって帰るねん、がんばれ」と。

そこからはまた地獄。気持ち悪くて仕方ないのに、5人シートのど真ん中。満席でトイレに行くにも、食事が出たりして動けない。もう寝るしかない、と、食事になろうが何であろうが寝続けて、なんとかパリでのトランジットまで耐えた。風邪は完治していなかったようで、飛行機の中でも、寒気がしたり、汗を書いたりしながら、インドでは給油のために着陸したときも、私は座席から微動だにせず寝続けた。うるさいインド人の若者たちが乗って来てイライラしたのを覚えている。

やっと少しおなかもすいてくるぐらい元気になったのは、バンコクでのトランジットの時。日本に発つ飛行機の搭乗まで5時間ほどあった。その時JALのカウンターにリコンファームに行くと、日本を発つときに同じ飛行機で近くの席に座っていた大学生たち数人と遭遇。ちょっとホッとしたが、JALのお姉さんに、「席がない」と言われパニック。その頃はオーバーブッキングが当たり前だった気がする。あなたたちがバンコクの街に出ている間に、席を押さえるから、と言ってもらい、みんなでバンコクの街にお昼を食べに出た。

極寒のロンドンからあっついバンコクへ。服も冬服しかない状態だったけど、とりあえず思わぬおまけの旅先。ヨーロッパは、スペインの料理はおいしかったけど、イギリスはあんまりだったし、タイ料理はとてもおいしかった。お花のついた傘を差しかけられた、黄色い布をまとった僧侶たちの行列を見た。何かのお祭り。ただの顔見知りのどこかの大学の人たちと、お互いの旅のエピソードを語り合いながらのランチ。みんな一人旅の帰りで、お互いに日本語で話せることに少しホッとしていた気がする。結構みんな、大変な目に遭っていた。よく生きて帰って来たよね~みたいな。

そして、JALのお姉さんのお陰で、帰りのチケットは取れていて、わたしは成田まで行って、そこからまた伊丹へ乗り換え。そして、明日は大学の卒業式で朝から振袖を着る予約が入っているという。。。間に合いそう。

成田からは、ラッキーなことにファーストクラスだった。飲み物が選び放題。疲れた体をゆったりと伸ばして寝たいところだが、あっという間に伊丹に到着。

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まあ、なんという旅だったんだろう。。。

「海外旅行記」に書いた内容は、
友達を追いかけてマドリッドからロンドンに一人夜に降り立った私は、またも地下鉄に乗るのが怖くてタクシー乗り場へ。
数人のドライバーたちが客待ちで、お客が来たと嬉しそうにトランクを開けたのは、黒人の巨大なおじさん。こんな大きな人、初めて見た、というくらいで、私はびびりまくって、後部座席へ。

海外の空港は、都心部からかなり離れたところにあるらしく、しかも道路には街灯もなく真っ暗。真っ暗で周りに何もない道をひたすら走る。
怖すぎて、いつでもドアを開けて転がり落ちられるように、ドアノブを握りしめながら乗っていた。
今回も、おつりはもらえず💦、命があればいい、さっきの中国系のあやしげなおじさんがいるホテルへ。

まあ、友達に会えて別れるまではなんとかホッとできたけど、それでも私だけは今日の宿の心配をし、そこまでどうやって行くのかを頭を巡らし、明日の飛行機のリコンファームなどに忙しかったので、本当に疲れた。。。

しかも、帰りの飛行機は、ロンドンからパリでトランジット、インドで給油、バンコクでトランジット、成田、伊丹、と格安だけになかなかの長時間の旅で、体調も悪く結構な辛さだった。

帰って来て思った。初めての海外で、一人旅の経験もなく、言葉も分からないまま、なんの準備もなく行けば何とかなると思って行ったけど、「ようやるわ」と自分に突っ込みたくなった。

何食べたとか、何を見たとかよりも、行程の大変さの記憶ばかり。

でも、それがあってのロス7日間の旅をプレゼントしてもらえたし❤

その2年後にも、「月刊SKI」という雑誌で、「海外スキー特派員」の懸賞文に応募して当選し、結婚していたので晴れてオットと、2回目の新婚旅行のような旅に。まあ、その時はホテルはバンフスプリングスホテルやシャトーレイクルイーズホテルという本当に素敵なホテルで良い思いをさせてもらったのだけど、スキー初心者の私が行ったカナディアンロッキーでのスキーの体験は、これまたもう、大変なものでした。。。

また書こうと思います。

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初めての海外旅行は、きっと誰もが、いろんな思い出があることでしょうね。私はやっぱり一人旅は寂しくて、オットとの旅が一番快適で好きです。
オットとの旅は、海外でも行き当たりばったり。冒険したいのに、一人ではできない私、オットとなら、ちょっと冒険してみようかなって思えます。

結婚するときも、結婚相手は一緒に旅を楽しめる人がいいと思っていました。きっと、最初から最後まで、宿も行程もきちんと決めてくれる人は私はあまり好きになれないんだろうなと思います。怖がりの癖にね、、、でも、行先や泊まる場所も決めずに行くなんて、考えられない、とよく言われたりもします。旅の形もそれぞれの快適なかたちがいちばんです🤗

ということで、私の初めての海外旅行記でした。
長文、お読みいただきまして本当にありがとうございました。

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