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何か価値のあることをしなければならない、という思考から自由になるゲーム

自分が本当に好きなことって
自分のことだから当たり前にわかりそうで
なんか惜しいところでハズレになってるな
ということについての考察

やりたいことをやって生きる!と決めていても
何度も何度もはまる穴
多分、受けてきた教育や時代によって培われた
もう自動操縦的にそこに行ってしまう思考。
何かその「やりたいこと」にも
価値を持たせなければならないような焦りのようなもの。

そこから自由になろうと、また何度も軌道修正。

ここでいう「価値のあること」は
世間に役に立つこと
世間に認められること
ありがたがられるようなこと
名が立つこと
お金になること
を指しているようだ

するとまた路頭に迷う

人として生まれてきた理由は、
価値のある事?をするためでもなさそうで

他人がどう思うとか、認められるとか、ありがたがられるとか、
そんなことは関係なくて
自分自身が心から楽しい!面白い!
と思いながら毎日を過ごすことこそが
生まれてきた理由であり、

そういう経験や時間を重ねていくことこそが
その人にとっての「価値のあること」
なのだろうなと思っている。

冒頭の部分で
ほんの少しハズレになっている、と書いたのは

例えば、私はこうして
とりとめのないことを考えて書くのが好きだけど
それを
誰かの役に立つような書き方、
スキやフォローが増えるような表現、
お金になるようなアピールの仕方に意識が行くと
なんだか違うものになっていく
ズレ始めていくのだろうなと思う。

私のように
うだうだ書いて
うだうだ妄想に浸っているのが
よだれが出るほど好きな人間は
そのことをやっている今この瞬間自体が
至福の時間なので
そこにそれ以上の価値を持たせようという思考が入りこむと

筆が止まる、いや、タイピングが止まる。

今この瞬間
どんどん指先から文章が現れる面白さに
浸っているのが
私自身の楽しい!面白い!という時間の過ごし方だからだろうな。

それに価値を持たせるべきとか
考え始めると
ズレが生じて
好きなことをしていても楽しめなくなる。

だけどそうすると
頭の中のお父さん?校長先生?(笑)みたいな声で
「そんなことをして何になる?!」って聞こえるんよねー


そして良い子のmimozaちゃんは
そうだよね、、、とまた迷い始める。

受けてきた教育が私の思考をコントロールしたがるので
何度も何度も軌道修正が必要。
すぐにそっちに引っ張り戻される。
自分の中の子供の自分が怖がるんだよね、
「そんなことしてたら、怒られるよ」って。

もう大人だからね、大丈夫なんだと
振り切ってまた
私は私の道を選びなおす。
そんなことを日々、孤独に、ま、楽しんでいます。

生まれてきたときに持ってきた
本来の自分を取り戻すゲームみたいなもんですね。

最近は、お父さんの声も、校長先生の声も
ずいぶん遠くなって
へっへ~ん♪と自由にやれるようになってきました。


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