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自分の望みが叶わないことを子どものせいにしていた私の話

私が他の子とは違う発達の仕方をする長男と格闘していたころの話です。

毎日毎日、
「なんで私が嫌がることをわざわざ選んだようにやるんだろう」
「発達が遅いのに、私が嫌がることだけはわかるのはなぜだろう」
「もう、私をいじめるのはやめてほしい」
「私はこんな荒い言葉を使うような人間じゃなかったのに、私をこんな風にしてしまうなんて、、、」

私は母親として必死で子どもたちの命を守るために必要なことをして、
今いる小さな社会に適応しようとして
私自身は完全に自分自身の自由を奪われて
子どもたちに振り回されていると感じている悲壮な母親でした。

その頃の私自身の状況はよく覚えています。

どうすれば、「私の思うようになってくれるのか」
私の思うようにならない息子は「何が悪いのか?」原因を探し、
結局、一日を「やめなさい!」「なんでそんなことするの?」という言葉で埋め尽くすような日々を送っていました。

私は良い母でいたいと思っていたし、
この子をなんとかしなくては、と真剣に思っていたけれど、

今、思うのは、さっき書いたように
「どうすれば私の思うようにできるのか」

これでした。私の頭の中の一番の思考が。

今は思います。

子どもも一人の独立した人間。私の思うようになるはずもなく、思うようにしようという私の意図を、敏感な彼は感じ取って、「そうじゃないよ」と言い続けていたのだと。

大人というものは、赤ちゃんや子どもに教えるためにいると思っているが、逆だという。小さな子供も、動物も、ハイ・フライング(高い周波数)で周るディスクについて教え、「台無しにしないで」と訴えている

というような内容が書かれている。⇒エイブラハムに聞いた人生と幸福の真理―――「引き寄せ」の本質に触れた29の対話 (p.90). 

今、この本を読んでいる最中なのだけど、読みながら気づいた。

私は今まで、長男の育児について、私なりにいろいろと試行錯誤してやってきたこと、その中で彼に起きていたであろうこと、それに対して学校選びやいろんな実際の「行動」としての解決法を書いてきたけれど、

ここに答えがあった。

頭ではわかっていた。いつも書いているように、子どもは未来を生きる存在。私が導くのではなく、私に教えてくれる存在だと。

そして、育児に格闘している最中でも、ふと気づきが訪れる瞬間もあった。
そんな時に思うのは、
「必死で漕いでいる船のオールを手放して、大きな流れに身を任せて流されてしまえば、うまく行くんじゃないか」
はっきりと覚えている。そんな風に思ったことが何度かあった。

そう思える時は、少しだけれど、穏やかな時間を過ごすことができた。

でも、私自身が、手放せていなかったのだ。
私のやりたいようにやりたい。私の邪魔をしないで。そう思っていることを認められていなかった。

男は外で仕事。女は家で家事と育児。まだまだそれが社会の当たり前だった20数年前。私は、家事も育児も大っ嫌いなのに、その状況を受け入れざるを得なかった。
もちろん、預けて働くという選択肢も、今ほどではなくてもあった。
でも、オットは企業戦士と言うにふさわしい状況。

自分ひとりで抱え込んで、頑張ることを選んだのだけど、
私の本当の望みではなかった。

息子の状況から、3歳からは保育所に入ったが、
周りの0歳児から預けて働いている母たちを見て
「子供預けて働いている方が絶対ラクだよな。オムツ外しだって保育所でしてくれるし、子どもと離れて、職場で一人の大人としていられるし」と思っていた。

子どもと24時間365日一緒にいることは、ずっと「母」の自分しかなくなってしまう。私にはそれは苦痛でしかなかったのに、それを選ぶしかない、と自分で決めていた。

私の妹は、自分の子供を母に預けて働き続けていた。

親に自分の子供の送迎からご飯を食べさせてもらいお風呂に入れてもらって、連れて帰って寝かせるだけの毎日を送る妹を「信じられない」と思って見ていた。そして、それを私の父母が受け入れていることも信じられなかった。「何でも自分で頑張らなきゃいけないんじゃなかったの?」

私は父母からそんな風に育てられたと信じていたから、育児を父母に任せるなんて身勝手、わがままを許していること自体、驚きでしかなく、余計に「私は自分で頑張ってるし」と一人しょい込むことになった。

前にも育児中のことは何度か書いているが、怒りながら、泣きながら、、、「たまには心の底から笑いたい」とオットに泣いて訴えるような悲壮な私を母に持って、よくぞ子どもたちはちゃんと育ってくれたものだ。

だから、子どもって案外強くて、親がどうであれ育つものだとは思う。

でも、私が自分の思うように生きられないことを、子どものせいにしているのは違ったなと、そのことには気づいていなかった。

 親である人に勧められることがあるとすれば、本当の自分と調和のとれた自感情のディスクを意識して選んでから、子どもに何かを伝えること。
自分の課題を、子どもがいたずらをするから、言うことを聞かないから、こんな気持ちになる、と思うべきではない。

これも、先ほどの本に書かれていた文章の要約です。

ディスクと言うのは、この本で何度か出てくるたとえで、日本語にするとしたら土俵かな。波動の高い土俵に立てれば、良いことが起こる連鎖が続くし、波動の低い土俵に立てば、それに関することが起きる。自分がどのレベルの土俵に立つのかを選ぶ必要がある、ということ。

結局、私が自分の望む生き方を自覚して選べていないのに、子どものせいで不自由だと嘆いて、その土俵で子どもに叱ったり否定するのはおかしい、ということ。

私は自分が、家庭にいて専業主婦をして子育てだけをすることに向いていないということを受け入れて、オットと話をして、子どもを預けて働くのか、子育てや家事を手伝ってくれる人を雇うのか、何かその時の自分が気分よく子どもたちといられる条件を一つでも選ぶことが必要だった。

そう、自分が気分よく子どもたちといられる条件を選ぶことが大事。

長男の発達障害のせいで、年子だったせいで大変だったとしても、それでも私が私を気分良くさせるにはどうするのが一番必要?ということを、きちんと自覚することだ。

私自身を気分良くさせるのは、オットでも子どもでもなく、私自身しかない。何を一番望んでいるのかは、私にしか分からないから。

社会での立場や常識が当たり前すぎて、自分の願いなんて単なるわがまま程度にしか思えなくて軽んじた挙句、大変だ大変だと大騒ぎして、泣いたり怒ったり、本当に子どもからしたら、「台無しにしないで」だ。。。

でも、その頃のその思いがあったから、ずっとそんなことを抱えて来たから、今になってだけど、気づきを得られた。

本当に、今この瞬間、すごい転換だ。

そういうことだったのか!と私自身が驚いている。

母であっても、親であっても、女性であっても、子どもが小さくても、障害があっても、

私は私の望みをきちんと聞いて、かなえてあげることができるし、
叶えて少しでも気分が軽くなった状態で、子どもに接することができたはずだった。

この気づきは大きい。

これから、オットと共に生涯かけてやっていくこととして、血のつながりを超えた家族についてのことを考えているし、今、しんどい若者たちと話をしていくようなことも考えている中で、私自身が20年以上前の自分についての気づきを得られたことは、今後のための本当にありがたい気づきだ。

小さかった子どもたちの抵抗、泣いてた顔、笑ってた顔、、、
「お母さんはどうしたいの?」という言葉にならない言葉だったのか。

長男長女が6歳5歳の時に生まれた末娘は、小学校1年生にして、「お母さんがしたいようにしていいよ」と言ってくれる子だった。

上の二人に目を吊り上げて怒っている私のところに走って来て、私の腿のあたりに抱き着いて、「お母さん、ぎゅってしてあげる」と言ってくれた。

余りに怒り過ぎている私は、「今はあっち行ってて」と心無い言葉を吐いていたものだ。。。

あれもこれも、、、思い出せば泣けてくるような、思い出たち。

でも、その頃の格闘を経て、今、平和で大好きな人生の仲間になってくれた子どもたち。

子どもは、我慢強く、導いてくれました。
私にどうしろこうしろと言うようなことはなく、待ってくれてた。

私は母であっても、親であっても、「私はこんな風に生活したい。こんな風に子育てしたい」と望むことができたはず。その望みを言って叶えていいんだと、昔の私に言ってあげたいと思う。。。

それが私の望みで、子どもたちの望みだから。

じゃあ、どんなふうな生活で子育てしたかっただろうか。妄想です(笑)

どこか海辺の静かな町で、学校に行かせなくては、とか、何歳だからこのくらいは、とか、ママ友ともうまくやらなきゃ、とか、思わずに、
子どもたちと毎日海に行って、泳いだり砂遊びして、疲れたら昼寝して、、、広いところで、水や砂があれば、子どもは何時間でも平和に遊べる。大人が急かしさえしなければ。
子育てや家のことを一緒に考えて時々助けてくれる人がいて、
その人に子どもを預けて、自分も仕事を見つけて、一日に1時間でも一人の大人としての時間を過ごす。何か書く時間を持つとか。
オットも企業戦士ではなく、地元の仕事で、子どもたちともっと一緒にいる時間を取れる、、、早く帰ってお風呂に入れてくれたり、3人を連れて散歩に行ってくれたり。晩御飯は全員でにぎやかに食べる。(それらをすべて、一人でしていたから辛かった。当たり前じゃない?と言われそうで、辛いと言えなかった。)

そんなのが理想だったな。

そうできなかったことを後悔はしていない。
自分なりに必死で生きて来たし、あれ以上のことはできなかった。
精一杯毎日を生きていたし、今の人生は気に入っている。

でも、ほかの選択肢を望んでも良かったんだ、
一日にその中の一つでも希望を叶えればよかったんだ、
どんな状況の中でも、自分の望みを少しでも叶えることが、今闘っている状況の解決につながることになる。
私は、自分が深い穴の中に落ちているように感じていたが、そりゃそうだ。
自分の望みは一つとしてかなえられない、と自分で自分を罰していたようなもの、
と今気づけて、
誰かにそれを伝えてあげることができるかもしれない、、、
私のような思いをしている人に。

今は、その頃よりずっと、そんな生活が可能な条件がたくさんそろっているのに、まだまだ古い慣習を抜け出す勇気を持てない人もいるだろうから。

大事な自分が産んだ子供、魂の仲間、小さな姿でも自分と同じか進化した魂と過ごす貴重な時間を、笑って幸せに過ごすために、
自分の望みをちゃんと叶えて、幸せな育児をしてもらえるきっかけになるといいなと思います。

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