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お金の観念に関する幼児性の克服の話

お金に対する制限は多い人間だった。
小さいころから、なぜか、親に無邪気におねだりができない。
親がかわいそうに思えてしまって、たかだか、遠足の写真を買うのに、大きな記念写真を買えずに、小さいのを買うとか、部活をしていた時に、2足しかないソックスに穴が開いたら、試合の時には穴がない方を履けるようにと苦労していたり、でも気づくと、年の離れた妹弟は、スポーツブランドのソックスを何足も持っている。。。そして家庭を持ってから知ったのだが、父が自営業だったので、母は、ひと月の「生活費」として、うちのオットの手取りくらいの金額をもらっていたという、、、そんな家庭で私一人貧乏性で苦労していた。

物心ついたころからお金に対してそんなマインドだったので、理由とかもわからない。しみついた貧乏性の価値観を抱えて50年間生きていた。

本当に苦労しているなら、自分でお金の出入りを考えて管理してやりくり上手になりそうなものだけど、要するに、な~んにも考えていなかったのだ。

私のお小遣いでできることとできないことを考えて、親に、私はこれが欲しいのだけど、自分のお小遣いでは無理だから出してもらえるか?もう、この靴下では無理なので新しいのを買ってもらえるか?などきちんと話せれば、普通に買ってもらえたと思う。

なのに、親が「うちは貧乏だ」と昔から言うのを聞いていたので、そのままずっと信じ込んでいた。確かに、父が起業したのが私が小さいころなので、その頃は大変だったのだろうと思う。写真を見ても地味な生活ぶり。そして妹や弟が物心つくころには、少し楽になり始めていたのだろうと思う。だから、彼らは私の様に貧乏性ではない。

私の性質として、親に言われたことをずっと50になっても信じ込んでいるくらい、「何にも考えてない」ところと、「バカみたいな素直さ」があって、今の私が、子どもの頃から若いころの自分を一人の「我が子」として見たら、「本当に単純で誰かが何とかしてくれると思っていて、何も考えなさ過ぎて、この子は大丈夫なのか?自立してものを考えられる人になるように促してやらないと、この人きっとずっとこのままやわ」と思う。

そして、ずっとそのままだった、、、50まで。

私の親はと言えば、きっちりした人たちなのに、私に「ちゃんとしなさい」「そんなんじゃダメだ」とダメ出しはするけど、何がどうだめなのか、何をどう考える必要があるのか、については一切話をしなかった。まあ、そういう世代かな。

そのまま大人になってしまって、自分のお尻は自分で拭けるようにならないと仕方がなくなって、ようやく少しずつ目が開いてきて、今56歳。

人生100年としたら、50年間幼児のままだった気がします。特にお金についての意識。うちの父はお金に関わる仕事なのに、、、(笑)

オットは、高校生の頃からバイトで自分の昼食代も交通費も出していた人。親からは公立高校の学費のみ出してもらっていて、大学時代もせっせと働いて自分のお金で留学したりもしていた。

その血を継いだのか、長女も高校時代からバイトを始め、欲しいものは自分で買う、高校を卒業したら就職し自分で稼いだお金で一人暮らしをして専門学校に通って美容師の資格も取った。

「自分でなんとかできる」「自分の欲しいものは自分で稼いで買う」と思えると、こんなに自由に生きられるんだなあ、と彼女の母でありながらまだ意識が眠っている私は、彼女をまぶしい思いで見ていた。

何度も言うが私は、ずっと幼児のままだった。「何とかしてもらいたい」「してもらえないなら我慢するしかない」そんなマインド。

だから、仕事で稼いだら稼いだで、「やっと手に入った自由なお金だから、好きなだけ使う!」と貯金を一切せずに、キレイに使い切っていた。
クレジットカードを持つと、「あ、使い過ぎた!分割にしよう。ボーナス払いにしよう。リボもあった」なんてことになり、カード地獄に落ちた😅

それと共に、以前やっていたネットワークビジネスのチャレンジキャンペーンで、母に借金をしていた。そんなものになぜ、私の母はお金を貸してくれたのか、、、「あの時、断ってくれていれば・・・」と何度思ったことか。

そんなことで、人知れず借金がかさんで自分でもどうすればよいか分からなくなっていた。もちろん、オットにも内緒。

スピリチュアルな勉強もしてきて、大きな勘違いをしていたということもある。「憧れの人になったつもりで行動する」という言葉への勘違い。

これ、単純に取り入れると、大きな間違いを犯す。
後に「引き寄せの法則」を深く学び始めてから理解したのだけど、
憧れの人の「行動を真似る」のではないということを、スピリチュアルのリーダーたちはまだ説明できている人がいなかった。

例えば、憧れの人がエルメスのバッグを持っている。私もそんなバッグを持てるようになりたい、と思ったとする。そこで憧れの人のまねをするというのは、そんなバッグを持ったとしたら「どんな気分になるのか」をマネするんだ、と言うこと。その違いの理解ができていなかった。借金してエルメスを買ったわけではないけど、それと同じような誤解をしていた。

50を過ぎて、ようやく目が覚めて、「このままではいけない」と返済期限を自分で設けて、自力で返し切り、それも仕事を辞めると同時に借金は消えることになる。素晴らしい返済能力があったのに何でこんなことになっていたのか。

お金のことだけでなく、いろんなことについて、「誰か教えて」「誰か助けて」「誰かわかって」「誰か認めて」という依存心の塊で生きていた。
幸いにも、それでも生きて行けるだけの環境にいたから、生きてはいたけど、さすがに、目が覚めた、と言う感じだ。

ようやく自分の人生は自分でコントロールできるという自信も生まれた。

私自身、いろんな仕事をしてきて、リーダー職にも就かせてもらっていながら、実はそんな内面の幼児性?があったことは、誰にも知られないようにして来た。きちんとした人を演じ、責任感を持って仕事に当たり信頼を得た。

でも!!本当の私の内面はそんな風だったから、いつも自分を裏切っている感じがしていた。「いつかさらけ出される」「いつか化けの皮が剥がれる」という変なマインドが深いところにあるのを感じて、それに脅かされていた。

そういう隠し事があると、脳のかなりの容量を無意識にそれに使うらしい。だから私はビジネスでも成功できなかったのだと思う。スタートダッシュはいいけど、突き抜けられない理由はそこにあったと今、思う。

必要な時に、最大出力を出せないのだ。

でも、こんなにまじめに誠実にちゃんとした人として努力して生きている自分に、そういう隠れた「恥ずかしい汚点」があることをひた隠しにしていることが、自分の成功の邪魔をしているなんて、そんな関連性を自分では見つけられなかった。

そこまで隠したがるほどの「汚点」を隠すためには、人一倍、何倍も努力して頑張ることで言い訳にしていた。こんなに頑張ってるんだから許して、と。

心理学を学ぶ中で、ちらっとそういう面を見つけたが、解決までには至らなかった。スピリチュアルでも同じ。結局、そこは絶対に明るみに出したくない自分の「汚点」なので、ふたを外すことを固く禁じていて、触れることができなかったのだ。でも、「何かある」ことは分かっているし、ひた隠しにしたいと願っていることも自分では重々わかっていたからこそ、苦しかった。

そういう「ウソ」や「隠し事」にほとほと疲れ果て、もう嫌だ!と言う限界点まで来て、ようやくすべてを手放そう、もうラクになろう、と決意した。一番言いたくなかったことをオットに白状した。「私には借金がある」

それでも少しずつしか白状できなかった。まずは「借金がある」と。

「いくら?」と言われても、はっきり言えなかった。

ここまで来て、まだ隠したいと思ってるんだ、と自分の心を見つめながら、オットもそれ以上は聞かずにいてくれたので、徐々に開示していった。

一番怖かったのは、オットに軽蔑されること。信頼を失うこと。がっかりした顔をされること。愛されなくなること。

でも、何十年も抱えて来たお金への恐怖心、苦手意識、罪悪感、劣等感を理解してか知らずか、「そうなんか。ちゃんと自分で返していくのが大事やで。そしたら克服できると思う」と、それだけ言って、何も変わらずに接してくれたと言うか、多分、オットにとっては、「事実」として受け取っただけでそれで私への感情が変わるものではないようだった。本当にありがたいことだった。

オットのお給料にずっと支えられてきたけど、私が経済観念がないせいで、彼は仕事を辞められなかったかもしれない。すべて自分で選んできたことだと理解している人だけど。
そして今月のお給料が彼の33年間のサラリーマン生活最後のお給料。
来月からは安定したお給料がない生活に突入する。

私はあと3か月のお給料で、借金返済が終わる。

ここからは、本当に人生における経済の自由を純粋に追及していくステージに上がるように思う。

オットのサラリー生活の終了と、私の幼児的マインドからの脱出。

気持ちよくゼロからのスタートだ。
そして、本気で、好きなことだけして人生を生きて行けるのか?という実験となる。

という、私の情けない深い部分にまつわるしょーもないお話でした。

街を歩いている人、お買い物を楽しんでいる人たちを見るにつけ、
「普通のあの人たちでもちゃんとお金を管理で来ているのに、私はできていない・・・これっていったいどういうことなんだ?」と辛かったのを思い出します。

皆多かれ少なかれ、そんな思いは抱えているのかもしれませんが、私は結構とことん、お金に関することで苦しみました。

単に、自分にまで隠してしまわずに、「直視すればよかった」という、他の自分の認めたくない性格とかと同じです。隠すから得体の知れないもののような大きな「影」みたいな実体のないものに苦しめられてきた。

だから真逆に行けると思っています。
健全な経済観念をもう一度一から身に着けて、経済は回るものだから、その循環の中に自分が入って行けばいいだけだと思っています。

これが書けるところまでようやく到達しました。
必死でオールを漕いで島に流れ着いて、一息ついて、ここから大海を見渡して、さあどんな冒険が始まる?というところにいるようです。とりあえずは、オールは船の中に引き込んで、しばし休息して島を楽しんだ後、大海に出ていくことになるのでしょう。


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