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目の前の庭を見つめることから

mimoza1020

毎日のように、わからんな~、どうしよう?と思いながら
庭の木の剪定、芝生や他の草花、木々の冬支度をしています。

YouTubeや本を見て、いろんな人のやり方や考え方を見るのも
結構時間をかけて
そしてまた庭に戻って、
自分の庭の状態を見て、手入れをしながら考える

ふと立ち上がって全体を見渡して
う~~~~ん。。。。わからん。とつぶやきながら。

私は基本的に、木はその木が伸びたいように
草もその草が本来の形で伸びたいようにさせてあげたいけど
私という人間がそこで心地よく共生するには
全体の整理をしないと、自然の力は強いので、たちまち私にとっては居心地の良くない庭になってしまうことは、今まで思い知って来た。

草たちは、居心地の良い地面を求めて移動していく。
当たり前だけれど、木は一度生えた場所を変えることはできない。
だから、この秋、たくさんの木を植えているのだけど、5年後10年後の庭の状況を考えて、迷いは深まるばかり。
草たちに関しては、背が高い物、地を這うもの、色々なので、観察を続けていて、この夏は伸びすぎないようにだけ手を入れて、生えたいところに生えてくるのを見守っていた。
適度に手を入れていれば、まあまあ、ワイルドな感じの庭で、私は好きな感じにはなった。

今、秋を迎えて、切って上げないといけない木々がたくさんある。
ユズも収穫を待っている。
剪定して出たたくさんの枝を小さく切って、薪にしたい。
堆肥箱を作りたい。
モッコウバラの苗が届いたので、フェンスのところに木の柵を作って絡ませたい。
ハーブの冬支度は一応したけど、どうなることやら?
芝生の冬支度もしたけど、来春どうなる?
枯れかけの茶色くなってきた雑草たちを抜くのか切るのか?

やることも考えることも山ほどあって、、、これからどうして行ったらいいか?というところで、はた、とアタマが真っ白になるのだ。

畑を20年以上やっているオットが話してくれた。
「今、大工仕事を学んでて思うのは、大工の仕事は、ちゃんと計算して準備してその通りにやって行けば、思ったようになるけど、畑とか庭って、こうしたい、と思ってよくよく考えて準備してやっていくのに、思うようにはなかなかならんよな。

誰かから習いたい、聞きたい、って思うのはすごくわかるけど、
自然を相手にしている以上、『この土地の』『この庭の』というのが一番重要だから、
結局、自分で目の前のことに対応しながらやって行くしかないんやで」と。

そうなんだよな。
「この庭ではどうなのか」が一番重要で、正解といえるものはなくて、誰も答えを持っていない。
動画に出てくる人たちも、本を書いている人たちも、大抵は、「最初は何も分からなくて、試行錯誤でここまで来た」と言っている。

その年の暑さ寒さ、雨の多さでも変わる。虫の発生や鳥のやって来る具合でも変わる。入れた土の成分で変わるかもしれない。すべてが、約束事のない中でのこと。

でも、だからこそ面白い。

こんなブログに出会った。

プロの造園家の方のブログで、本当に素晴らしいなあと思うのは、
私が受け取った感覚だけれど、
人が住まう環境として庭や山、周りの土地に手を入れていく時は、「神仏の領域」に手を入れさせてもらうという境地で心を込めて手を入れる、というような考え方。

「かつて、大規模な土木造作は仏門行者が行いました。河川、道路、田畑、水路、井戸大規模建築に至るまで、土地を安定させて未来永劫に豊かで安全な暮らしの土木造作は本来菩薩行だったのです。なぜ、土木がお坊さんの役目だったか、と言えば、それは彼らが自然の摂理をわきまえていたからでした。
 道路を通すのにも、自然に対して畏敬を抱かず、人に対して慈愛を持たず、ただ自己の都合に目が眩む世の常人が、大地を自己の都合で大きく造作しようとしたら必ず、いつか自然のしっぺ返しを食らいます。
 その点、日本古来の神仏習合の営みの中で培われた仏門行者は、人の都合を自然環境の営みの中に溶け込ませる頃合いをよくわきまえていたので、彼らには常に、道筋が見えていたのでしょう。無我の境地で、ただ天地人への無限の慈愛の中で、神仏と一体になって、衆生のため、生きとし生けるすべてのいのちの営みと調和する人の営みのため、土木事業に打ち込んだのです。<中略>
地すべりに対して、擁壁を巡らせて力任せに抑え込もうとしても、それは決して永続しない。永続しないものに守られる住環境など、本当は砂上の楼閣と変わらないのです。
 むしろこうして、自然の作用に従い、自然本来の呼吸する地形の中に、人の都合の良い営みを溶け込ませてゆくことで、環境の豊かさの源を高めながら、共存の美しさを育むことができる、そんな造作が当たり前になれば、かつての美しい人の営みの風景はまた、戻ってくることでしょう。
 かつては当たり前におこなわれてきた、智慧に満ちた環境造作を今、多くの人に思い起こしていただきたいと思います。」

~高田造園設計「雑木の庭づくり日記」より

この記事を読んで、感動してしまった。
私にとっては、木や草や花、動物たち、すべての命は神様が創った貴いもので、私自身も神様の創ったもの。調和して、そこに美しくありたいと願う。

生きるということ、命を全うするということは、「自然と共生する生き方」抜きに考えられない。人は自然の中で生きるのが一番、楽で幸せなはず。
身体や心を病んでしまったとしても、思い切って自然の中に自分をゆだねてしまいさえすれば、きっとすべてが良い方に向いていく。
「我が子」を育てることに必死の日々に「母」を経験し、そして組織の一員として働く「会社員」を引退し、「ただの一人の人間」として、これからどう生きるのかを模索するなかでこんなことを考えるようになった。

庭や家を心地よくすること、楽しく生きること、好きなことをして生きること。
それらは、すべて自分の事だけなのだけれど、自分の事、足元を良く見つめ、考えることから、その周りの事に思いを馳せることができ、
自然とか、土の中の事とか、そういうことは目に見えないのだけれど、足元、目の前の事をしっかりと見つめてこそ、すべてのつながりの重要さをひしひしと感じることができる気がする。

うまく言葉にできないので、
まだ当分は、私の庭でごそごそしながらも、そろそろ、独学の中で気になる事を一歩理解を深めるために、人に会いに出かけていきたいという気持ちを持ち始めている。さらなる理解と実践に向けて出会いが待っているような気がして、、、そこに私が「本当にやりたかったこと」があるんじゃないかと、楽しみです。



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