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村田喜代子『人の樹』潮出版

すべて樹木を主人公にした短編集。寝る前に一篇ずつ読んだ。

樹を見たとき、人間の姿に見えることってありますよね。枝が腕や手のように見えるからか。いつだったか早春にアイルランドに行ったとき、目に入る枯れ木がどれも人間に、それもどこか苦しそうな人間に見えてしまって、「さすがアイルランド!」と勝手に感心したことがある。でも日本でも樹はけっこう人間に似ている。動きたくても動けない不自由さが、自由なつもりで不自由な生を生きる人間に似ている。

好きだったのは松が動く話「ザワ、ザワ、ワサ、ワサ」だ。松って動けないはずなのに、ひょっとして動けるのかも?夜の間に動いているのかも?と思わせるようなところがありますよね。(え、ない?)それから、親しい人間の男が亡くなったときに葬式にやってくる樹たちの話「とむらいの木」も好き。手ぶらではまずいと葉っぱに「御霊前」などと書いて来るのだ。東北の小さな民芸館で、木で作られた民芸品たちが会話する「みちのくの仏たち」も。昔は木だったという人間の男が恋人だった木に会いに来る「逢いに来る男」など。どの話でも、人間の命はあっけなく短く、樹木はずっと長く生き続ける。砂漠で生きるサバンナ・アカシアはたったひとり何百年も生きる。その孤独。

こんな風な想像ができるのはやはり女性の作家なのかなと思う。人間である自分を植物に同化させるなんて、男の作家はやりそうにない。男の作家は<自分>と<世界>が常に区切られて対立しているけれど、女の作家は<自分>をひょいと<世界>の中にすっぽり入れたり、とんでもないものに変身してしまったりするのだ。女って面白い。

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