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村田喜代子『エリザベスの友達』新潮文庫

年老いて認知症になった人の頭のなかはどうなっているのか。心のなかは。悲しみに満ちているのか、そうでもないのか。自分も老いていくので、そういうことが気になっている。アリス・マンローの『ディア・ライフ』中の短編や、アトウッドの最近のいろいろな小説には老いた人がよく描かれて、中には認知症の人の目から見た世界(あくまで想像だが)を書いたものもある。この『エリザベスの友達』は、認知症の初音さんと彼女を介護つき有料老人ホームに見舞う二人の娘と、両方の立場から書いたもの。

こないだ読んだ村田喜代子の『姉の島』もそうだったが、老人を主人公にすると背景として必ず戦争が現れる。いま高齢になっている人たちはみんな戦争を体験しているのだとあらためて感じる。

初音さんは戦争前は天津の租界で新妻として優雅な生活をした。戦争になり、夫は行方不明、幼い長女を連れて苦労して日本に帰ってきた。認知症になったいま、初音さんは租界時代の楽しい生活を思い出すことが多い。エリザベスとは清王朝最後の皇帝、溥儀の妻の英名なのだが、だんだん記憶が乱れていつのまにか自分の名前を訊かれるとエリザベスと答えるようになる。

認知症については、癌の進行が遅くなるなどの興味深い話も紹介されている。人生の楽しい時期だけを思い出して別次元で生きるのなら、それほど悲惨でもないかもしれないと思えてしまう。だが思い出す時期は人によって違うのだろう。隣室の牛枝さんは戦時中に軍に自分の馬3頭を供出した辛い思い出がある。それぞれに名前があり、認知症の夢のなかにその馬たちが帰ってくる。(このへん、読むのが辛かった。動物たちも戦争の犠牲者だ。)

施設にボランティアに訪れる合唱団が老人たちの前で古い歌を歌うのだが、今では歌われない別の歌詞には愛国的、戦闘的なフレーズが盛りだくさんで、そういう時代だったのだなぁとため息が出る。老人の物語を書くとそれは自然と反戦文学になるのだ。

以前に図書館で借りて読んだ本だが、手元に置いておきたくて購入して再読した。

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