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小池滋『ゴシック小説をよむ』岩波書店

岩波市民セミナーで話された内容を出版したもの。全篇ユーモアを交えた話し口調なのですらすらと読みやすい。急に「ゴシック小説」に興味がわいていて、図書館で借りてきたのだけど、興味がない方も多いと思う。どうぞスルーしてくださいませ。

ゴシック小説といえばつまり「怖い小説」だが、なぜ「ゴシック」という建築用語を使っているのだろう。18世紀ロマン主義のイギリスで「崇高」だの「ピクチャレスク」だのが流行った。これは「ぞくぞくするような怖さがあるのだがなぜか魅力的」という変な感覚だった。そんななかでホレス・ウォルポールという裕福な男が自宅として中世風のゴシック的な変な城を建てたら、これが流行した。この男は趣味で『オトラント城』という小説も書いたのだが、これがまた人気となって建築のゴシックと「怖い小説」が結びついたらしい。またイギリスには宗教改革以来、使われなくなった修道院などが多くてそれらが廃墟になっていた。この廃墟がまた当時の美的感覚から好まれたらしい。

ゴシック小説の作者は素人が多い。アン・ラドクリフなど、ごく普通の家庭の主婦だった女性も書いた。これは読者に女性が増えたため、女性が好む小説が求められたから。また社会が安定して市民階級が豊かになった証しでもあった。女性は社会でのリアルな経験がないから、ピクチャレスクな風景画を見て想像した世界を書いた。無垢な女性が怖い状況に陥り、最後は救出される話。ヒロインは何度も気絶する。(ひとつの小説で20回ぐらい気絶したらしい。)

「崇高」概念で有名な思想家エドマンド・バークによればゴシックの要件は以下の7つ。(1)Obscurity  人間が持つ心の暗さ、悪魔性 (2)Power 読者を麻痺させてぐいぐい引っ張っていく力(3)Privation 欠乏していること。満ち足りておらず、欠陥があること。たとえば「廃墟」。(4)Vastness 巨大さ(5)Infinity 無限さ(6)Succession どこまでも続いていくこと。(7)Uniformity 統一

ゴシック小説はアメリカでも大人気になった。もともとアメリカは文学伝統がなかったので、以来アメリカ文学にはゴシック小説的な要素がずっとある。ゴシック小説はフランスやドイツにも伝播した。

著者の小池さんが考えるゴシック小説の現代性。
(1)理性ではなくて情念。恋が描かれるときも邪恋や動物的情欲も。大きな戦争もなかった平和な時代のイギリスで、人間の情欲とか怒りとか悪などばかりが好まれたのか興味深い。18世紀は「理性の時代」と言われたが、だからこそそこからはみ出るものがあったのではないか。*
(2)ゴシック小説は素人が書いている。何かの目的のために書くものではない。それがこの時代の「芸術至上主義」(19世紀末に注目されたもののさきがけ)に合った。

個人的にはアメリカのゴシック小説はイギリスのが単純に伝播しただけなのか、それとも新大陸独自の背景があるのか気になる。自分たちが無遠慮に移民してきたけれど、その大地に何か恐怖を感じたり、自分たちの悪を感じたり、ということがなかったのかどうか。


*平和な時代に激しい情念が好まれる現象は、江戸の元禄時代に近松などの凄惨な心中ものが流行ったことと似ているのかもしれない。

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