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千葉伸夫『原節子 伝説の女優』平凡社

小津安二郎の映画に必ずといっていいほど登場する女優、原節子。気になる人だった。日本人離れした容貌だけでなく、棒読みっぽいしゃべり方、表情があるようでないような演技が気になるのだ。ほんとうはどういう人だったのだろう。それで古本屋で見かけたこの伝記を買って読んでみたわけだが、原節子という人だけでなく、日本の戦中から戦後への変化や社会の女性観も知ることができて考えさせられることが多かった。

結論からいうと、この人は女優になりたくてなったわけでもなく、ほんとうなら結婚して平凡に暮らすはずだったのだろうが、実家が貧乏で働く必要があり、たまたま美貌だったためにこういう人生になったのだということ。引退表明もせずに突然辞めたという謎めいた終わり方も、伝記を読んでいくと納得できるのだった。単に、もうやりたくなくなったのだろうと思う。

驚いたのがこの人の映画人生のスタートだった。実質的な初演作「新しき土」はドイツ人監督による日独合作のプロパガンダ映画だった。スタートが戦中だったから仕方ないと言えるのかもしれない。そしてデビューしていきなり宣伝を兼ねてドイツや外国をまわる旅行をする。それから後も、たとえば、はじめは反抗するがのちに反省する中国娘を演じたり、予科練の学生を戦争に送り出す娘になったり、国威高揚の映画がつづくのだ。このころ「銃後の女神」と呼ばれて人気だったらしい。そして、終戦。

多くの知識人はここで戦中の思想について反省したはずだが、彼女はまったくそんな様子は見せない。直後の食料難のときは、東北から米二斗を背負って帰ったことを意気揚々と報告したり、元気いっぱいである。同時に、「青い山脈」など戦後の自由な風潮をあらわした映画などに出演し、たちまち家を一軒建ててしまう。終戦直後の日本人ってこんなにも無反省だったのか。あまりにあっけらかんとしている。

しかし原節子が何にも考えない人だったわけではなく、繰り返し書かれているのは彼女が知的な人だったということだ。事実、よく本も読んでいる。だが自分の思想というものは特になかったようだ。あるいは当時の庶民は誰もこんな感じだったのか。とにかく、この分厚い伝記のどこを読んでも自分が戦中に映画を通して何をしてきたかの反省の弁は一切ない。きっと質問もされなかったのだろう。

自伝で繰り返し出てくるのは、ジャーナリストがインタビューするときの「結婚しないんですか」の質問で、そのたびに彼女は「結婚はしたいです。結婚は女の幸福ですもの」とか「結婚したいと思っているけど、もう年齢的にきびしいかもね」などと、にこやかに、時に苛つきながら答えている。この質問はあきれるくらい多くて、当時の女性観が窺える。女優の中には結婚よりも映画や演技の仕事に打ち込みたいと思っていた者もいたようだが、原節子はいまひとつはっきりしない。自分は若いときから人気者で演技の勉強をしっかりしないままでここまで来てしまったと自己反省して残念がるのだが、かといって今から自分の人生を映画に賭けるという意気込みはなかったようだ。

社会の女性を見る目がそうだったので、映画界も若くてきれいな女優がもてはやされる。原節子は人気が落ち始め、そのうちに人妻役や母親役に下がっていく。またこのころちょうどテレビが登場したので、その直前までうなぎのぼりの観客動員数をほこっていた映画の人気は急落してしまう。原節子は過労もあり、徐々に身体を悪くして、引退宣言なしでいつのまにか映画に出なくなってしまう。

けっきょく原節子とはどんな女優で、なぜ人気があったのか。それについては巻末のピーター・B・ハーイによる解説が説得力があった。ある表情の顔をAという文脈で見せられると、見る者はAという心情を感じるが、同じ表情をBという正反対の文脈で見せるとBの表情だと感じるという。これを「クレショフ効果」と呼ぶらしい。つまり、能面のようなものだろうか。場面によって笑っているようにも泣いているようにも見える。原節子の表情はまさにそれだったのだと思う。愛国映画では愛国の娘に見え、小津映画では凛としているがさびしい女性に見える。「ほんとうは何を感じているの?」と問いただしたい、もどかしい気持ちに(わたしは)なってしまうのだ。たとえば上の表紙の笑顔。この笑顔は何を伝えようとしているのだろう。


(うちの古いものシリーズ。古い時計です。部分的に鼈甲が使われているようです。)




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