見出し画像

リディア・デイヴィス『ほとんど記憶のない女』白水社uブックス

数年前にこの本を読んだときは新鮮な驚きの連続だった。考え方が自分に似ていると思ったし、とても楽しく読んだのだ。でも今回読むと、パートナーとのいさかいについてわりと書かれていて、その書き方自体は彼女らしい、ひとつひとつ確かめるようなクールで即物的な書き方なのだが、相手はときに我慢したり、ときに「出ていけ」と怒鳴ったりしているようだから、やはりよくある夫婦喧嘩のようである。よくいさかいを起こす点も自分に似ている気がして、そのあたりはデイヴィスさんも(わたしも)いいかげん反省すべきではないかと思ってしまう。特に、相手(このときはポール・オースター?)がふつうにコンビーフとか肉料理が好きなのに、彼女が健康のために野菜料理ばかり作っている話になると、そりゃあ相手は辛いだろうな、よく我慢してるよと思った。

でもやっぱりこの人の考え方や、考えるステップをひとつひとつ書き留める文体は面白い(ちょっと田中小実昌『ぽろぽろ』みたい)。特にフランス語でフーコーを読むときに、どんな場合に自分が難しさを感じるかを分析しているところで、文が長いと最初の部分を忘れてしまうなどと書いてあって、そういう多くの人が感じていることを正直に書きつけるのが面白い。あるいは、自分がどのような人間なのか、自分が感じる自分や他人が感じる自分など多くの違った自分について考える。パートナーの男についても、別々の男が複数いると感じる。「そうなんだよ、それってわたしもよく考えることだわ」とうなずいてしまう。(ただ、そういう知的でクールな人なのに夫婦喧嘩してしまうというのはどういうことか。いったいどんな風に喧嘩するのだろうと思ってしまう。)

自分は考えてばかりいる人間だから、カウボーイのような対照的な男と暮らしたいと考え、実際にそれっぽいタイプの男とのデートの思い出なども書き、最終的には、もしカウボーイと暮らすことになったら自分の夫も一緒に連れていきそうだという結論になるのもおかしい。

本当は何も怖いことなどないのに、「助けて、助けて」と叫ぶ近所の女のことを書いたあとで、「ときに彼女と同じことをしたい衝動にかられたことのない人などひとりもいないのだし、そんなときはいつだって、持てる力をふりしぼり、ときには家族や友人の力まで借りて、やっと自分を押さえ込んでいるのだから」とつぶやく。


この記事が参加している募集

#読書感想文

189,685件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?