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ジル・クレマン『動いている庭』山内朋樹訳、みすず書房

ある時期ツイッターのTLでこの本に触れている人が多くて、どんな本なのだろうと気になっていた。今回図書館で借りてきたのだが、フランス人の庭師が書いたもので、かなり専門的な庭造りの本なのだった。しかし読んでみると、専門的なのに抒情的、かつ哲学的でもある(フランス人著者によくあるような気がする)。フランス風のきちんと刈り込んだ庭ではなく、目指すのは、野生の植物も排除せず、人間が少しだけ手を入れて管理しながら、基本的には植物自身の生命力を活かして作る庭のようである。

面白いことに、少し読むだけで、読んでいる自分に何か不思議な変化が起きてきた。散歩をしていても、植物を見る目がかなり変わったのだ。自分の家の庭やよその庭だけでなく、鉄道の高架下の雑草がはびこっている一画さえ、庭に見えてくる。しかも動いている庭である。

とはいえ、植物の名前がいっぱいあがる専門的な本なので、到底ちゃんと読むことはできない。それでも自分には充分な経験だった。以下、印象的なところをメモする。

<荒地>はいつの時代にもあった。歴史的にみれば荒地とは、人間の力が自然の前に屈したことを示すものだった。けれども違う見方をしてみればどうだろう?荒地とは、わたしたちが必要としている新しいページなのではないだろうか?(7)

わたしたちはほんとうはなにを恐れているのか?むしろ、今なお、何を恐れる必要があるのか?下草の濃密な影や沼地の泥には無意識に追い払いたくなる不安があり、鮮明で明るいものは安心させ、残った部分にはあまねく不吉な妖精が満ちている...。20世紀も終わろうというのになお、わたしたちはロマン主義が重苦しくしてしまった単純な図式に足をとられているようにみえる。(7)

生はノスタルジーを寄せつけない。そこには到来すべき過去などない。(16)

荒地でこそ、生存可能域がもっとも広い植物が見られる。(19)

「虚にこそ、真に本質的なものがある。たとえば、部屋の実質が見出されるのは、屋根と壁に囲まれた空いた空間にであって、屋根と壁そのものにではない。水差しの効用は水を入れることができる空洞にあって、そのかたちやそれが作られる素材にはない。虚が万能なのは、すべてを含んでいるからだ。ただ虚のなかでのみ、動きが可能になる。」老子(30)


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