ポケットの話をしていたらビスケットの話になった。 私のイメージするビスケットは「みんフォト」から使わせてもらったこの写真のようなものだ。「みんフォト」で「ビスケット」と検索したらいろいろなお菓子が出てきたが、私にとってそのほとんどは「クッキー」だった。 人によってビスケットの定義もクッキーの定義も違うだろう。そういえばこないだ「定義は?」と質問したら先生みたいと言われて落ち込んだ。私は先生みたいと言われると凹む。昔とても良い子だった自分がとても嫌いだからだ。アダルトチルドレン
ときどき宇宙ステーションを見る。結構頻繁に見ることが出来ると知ったのだ。一度見てみるとすぐに分かる。点滅しない明るい星がすうっと、少し風に吹かれるようにかすかにゆらゆらした感じで空を流れて行く。 「きぼうを見よう」というサイトで自分が住んでいる地域では宇宙ステーションが何日に見やすいところを通るのか、何時にどの方角から現れてどの方角に消えていくのかが分かる。 私はもし地球が壊れるから急いでロケットに乗せてくれるといわれても乗りたくない。狭いところが苦手なのだ。未来的な宇宙戦艦
大学生の4年間、社会人の3年間電車で通った。嬉しかったけれど失くすのが心配だった定期券。今はあんな定期券ではないだろう。 電車では心配なことがいくつかあった。まずお腹が痛くなることが心配だった。大学受験の頃からお腹が痛くなりやすくなった。過敏性大腸症候群だ。その頃はまだそんな病名はなかった。ちょっとパニック障害にもなったことがあった。その病名もまだなかったから、ただとても怖かった。心配性で怖がりだった私。今でも変わらず心配性で怖がりな私。 長いトンネルもちょっと怖い。2分間位
インターネットを介しての出会いや交わす言葉や情報が、さっきまで考えていたことや話していたことにぴちっと繋がったりするとびっくりして、ただ偶然じゃなくて啓示だろうか?セレンディピティだろうかとドキドキする。 なんの気なしに書いたことに反応してくれた人をたどると自分の昔の好きなことにつながっていたりして。 これはこないだリリコイさんが書いていた「共時性」というものだろうか。 *リリコイさんの記事 意味がある偶然だろうか。ここ数日、本を開いてもそんなことばかり多くて、誰かと話して
昔からよく口内炎が出来た。最近は昔よりは出来ないと思っていたけれど今、口内炎が痛い。しかも舌先に出来たから食べるのにもしゃべるのにも痛い。黙っていてしゃべりだす時には特に痛い。 一昨日楽しみなランチの約束があり、上手くしゃべれると良いなと心配していた。口内炎は治らなかったが楽しく話せたし食べれた。でも一人になって黙っているとまだ痛い。 今日も楽しみなzoomがあった。多分もう大丈夫なはず…。無事楽しくおしゃべりできたけれど一人になって黙っているとまだ痛む。 明後日の夜、実家で
昔、大学生の時にテニスをしていた。テニスが好きだった。走るのが遅いからそんなに上手になれなかったけれどゆるいサークル活動だから楽しかった。 その前に中学の時や高校の時や大学生になった時も、ちょっとテニス部に入ろうかなと考えてやめた。 私の父はテニスがとても好きだった。身体がついていかなくなるまでやっていた。 そして父は何事でも教えるのが好きだった。我が子と何かを楽しくやるという考えはなかったのではないかと思う。なんでも基礎からきっちり教えるのだった。私も妹達もいつも何でも基本
時々友達があまりいないことについて考える。 結婚後、自営で義親と同居だったから友達が遊びに来にくかったせいで疎遠になり、ママ友付き合いもそのせいで捗らなかったのだと思ったりするが、実際は、学生の頃から濃い友達付き合いが苦手で友人が少な目だったから環境のせいにしてはいけないのだった。 子供の小学校の音楽会を観にいって「〇〇ちゃんママ!こっちこっち!席とってあるよ!」というようなママ友付き合いを目の当たりにするとビックリした。学校行事に親がつるんでいくという発想がゼロだった。ほん
夜の散歩をするときいつも下を向いている。自転車も車も通らない遊歩道。でも虫は歩いている。死んでいる虫もいる。倒れている虫もいる。じっとしている虫もいる。どれも走る人に踏まれてしまう。 昨日はじっとしている蝉をみた。生まれたてほど色が薄くないが、死にかけているようにも見えない。葉っぱでつつくと怒ってジーっと鳴く。でも動かない。もうちょっと大きな枝を探してつついて掴まらせようとする。ついにその蝉は怒って鳴きながら百日紅の木の方へ飛び立っていった。 私は安心してまた歩き出す。今度は
どこの海辺もどんどん砂浜の面積が減っている。 子供の頃に住んでいた町のこの砂丘も減っているだろう。もう何年も訪れていないけれどきっと狭く少なくなっているだろう。 今でも小学校では遠足に行くだろうか。遠足にいって大きな砂のカメを作ったりするだろうか。 あの私達が40年も前に作った砂のカメはどうしたのだったか。みんな置き去りで帰った。あの日の帰り道は雨が降っていて、みんな少し長い学校までの曇って薄暗い道を一生懸命に歩いた。それを励ますように引率の先生がとても怖い話をした。誰もいな
こんなタイトルで書き出したけれど、ひまわりの思い出は特にないのだった。 ひまわりで最初に思い出すのは国語の教科書に載っていた童話で、子供達がひまわりの種を付けた風船を飛ばし、それが山の子ぎつねの元に落ち、子ぎつねは風船を花だと思って根元を土に埋めたので後からひまわりが咲くのだ。次に思い出すのが映画「ひまわり」の悲し気なメロディと一面のひまわり畑の映像だ。 その次に思い出すのは大学の俳句部の先輩の作った句で、正確に覚えていないがうつむいた向日葵が地を焦がすと表現されていて衝撃を
「Drink Me」 この小さな瓶にはサイダーが入っていた。美術館でのアリス展であまりにも可愛くてパケ買いした。こんな小さくても普通のサイダーの何倍もの値段がした。しばらく飾って、あきらめて飲み干した。何も起こらなかった。 何かが起こるとしたら何が良かっただろう?アリスみたいに小さくなる必要はない。 あの小さなサイダーを飲んだことで私は本当に何も変わっていないだろうか?知らない間に知らないところが変わってしまったのではないだろうか?自分で気がついていないだけではないだろうか?
「内省」についてzoomで数人で話し合った。内省はストレングスファインダーの資質の一つだ。私は内省は資質の中で2位。1位は「着想」だ。内省の資質の低い人は、自分のように常に考えていないらしいと知ったときにとてもショックを受けた。誰しもずっとグルグル考えているのだと思っていた。 今日話したメンバーはnoteのお友達であるリリコイさんを始め、みんな内省資質が高めだ。内省の人はアウトプットすると良いらしい?ということが話に出たので、なるべく毎日noteを書いている私は、それがアウト
私は尋常でない汗かきだ。髪の、頭皮に接する箇所はびしょびしょだ。髪が多いのでかろうじて表面はびしょびしょに見えないかもしれない。だからできればエアコンのよく効いた汗が止まる部屋で過ごしたい。もちろん顔からも背中からもたくさん汗が出る。すぐ服が汗で濡れてしまう。 でも今も扇風機だけでこれを書いている。扇風機だけで、窓を開けて、大量の蝉の声を聞きながら、タオルを横に置いてこれを書いている。机の上に麦茶か氷入りのカルピスのコップが汗をかいていたらベストだけれどそれは今はない。 扇風
私は一人暮らしをしたことがない。二人の息子にはさんざんお金をかけて何年も一人暮らしをさせた。その間はとても節約して暮らしたがそれも終わって思った。あれ?自分にも少しはお金をかけて一人暮らしをしてもいいんじゃないかな?できれば東京に住んでみたい。一年位住んでみたい。いつも東京には日帰りで息子に会いに行ったり美術展に行くけれど、一か所しか行けなくて、用事一つか二つしか出来ない。上野公園に行っても動物園によったこともない。でも自営業だから家から出て一人暮らしなんて無理だなあ。 でも
素敵な家にとても憧れていた。 小学四年生の時に両親が家を建てた。それまで借家を何か所も引っ越していたから嬉しかったと思うがあまりそういう記憶がない。多分転校したことに気を取られていたのだろう。それに小さな家だった。 結婚するまでずっとそこに住み、結婚してからはずっと同じ市内に住んでいる。商売をしていて住まいは仕事場の二階にある。義家族は母屋に住んでいる。結婚後すぐに母屋は建て替えられたけど私たちはずっと仕事場の二階に住み続け、子供たちは大きくなり進学を機に家を出て、今は私達夫
文学部の大学生だった頃、本好き文学少女だった者の常として図書館で働くことに憧れていた。地方の地味な女子大の真面目で地味な女子大生だったので司書の資格を取り、教職の資格も取り司書教諭の資格も取った。 父は公務員だった。母は正規に働いたことはなくパートだったが若い頃の夢は学校事務の仕事をすることだった。親戚は高校教員が多かった。そんなわけで微妙に公務員推しな家庭だった。質素で地味な家庭だった。 そんな夏休みに大学の図書館でバイトをした。静かで地味だった。私はなんだかこれではあまり