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大包平の自分探しの旅について(修行見送りボイスの話)


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©️2015 EXNOA LLC/NITRO PLUS

※大包平極の修行見送りボイスから大包平の特と極の変化に思いを馳せたツイートを加筆修正したものです。

大包平は特と極で様々なボイスに変化がありましたが、個人的に最も変化があったのではないかと思っていましてですね これなんですけど

©️2015 EXNOA LLC/NITRO PLUS

旅など軟弱な剣のすることだったのに……
これ、逆説的に大包平も「自分に自信がなかった」から旅に出たってことになるんじゃないかと思って顔を覆ってしまったんですよね。そんなことないと思っていたのに。

つまりですよ わたしは修行から帰ってきた時に言ってた「自分探しの旅」は旅から帰って来た時にそう思った、結果的に自分探しの旅になってたのかな?と思ったんですが。
そうじゃなくて、この見送りボイスによって自分の中で迷いがあった(自信がなかった)から旅に出たことになるので、そもそもが自分探しの旅…だったって可能性が生えてくるわけで。そうだったんだね…。

矛盾しますが、大包平って自分に自信がない時なんてないと思うんですよ。それが大包平なので。
だけど、手紙からすると 自分の在り方とか…より強くなるためには…という点が彼の悩みだったのかな…と思いました。

特の時から思っていたんですが、大包平って"意見"は言うけど"気持ち"は言わないのかなと思っていて。
というのも馬当番ボイスの「馬も、俺の気持ちが分かるというのか」というセリフを聞いた時に、言葉返さぬ馬にだけ話していることがあったのかもなぁと思ったんです。自信喪失に繋がる悩みは誰にも言ってなかったんじゃないでしょうか。見た目よりずっと抱え込んでる刀だと思います。それでも立ってるところが彼の強さですね。

以下全て勝手にこうだったのかな?と思ったことです。

大包平は、刀剣男士として強くなりたい、功を積みたいという気持ちは顕現した時からずっとあって、その動機って自分の力を誇示したいとかではなく、きっと最初から"俺を評価する者に報いたい"だったんだろうと思うんですね。本人が自覚してなかっただけで。
もっと言うと、自分が池田輝政に見出された、美しく素晴らしい刀剣であるという自負がありながらもそれを体現するためにはどうすればいいのか?というところが彼の根っこにずっとあったのかなと思います。だから努力家なんですね。"大包平"に見合うように努力し続けているんです。大包平はすごいやつだよ。
(この自覚してなかったのも、おそらく自分の「刀」としての自認が強すぎたからかな?と思います。極では「刀剣男士として」という方向に意識がシフトするんだと思います。)
ただ、天下五剣に入ってなかったり、ライバルの童子切はいなかったり、自分の優れている点をどう主に還元すればいいのかずっと分からなかったんじゃないでしょうか。
なぜなら彼は"評価されること"が価値だったので。
それがいつしか不安に変わり、自信喪失に至ったのではないかと思うわけです。

彼の懸念点は、多分天下五剣に入ってないということよりも"逸話がない"ことだったんだろうなと手紙読んで思いました。わたしが思ってたよりずっとそのことを気にしてたんですよね。だから功を焦っていつも焦燥感に駆られていたのではないでしょうか。多分、天下五剣の皆さんのように強度ある逸話もない、空白もある、それでもたしかにここにあるという存在定義の部分にも不安があったのではないかと思います。

自分が優れていると自覚する一方で、その"足りなさ"も自覚していたから、このままではいけない…てずっと思ってたんでしょうね。大包平って本質が本当に健気なんだと思います。そういうところが本当に愛おしい。
で、修行に出てその"足りなさ"は不足では無かったことを理解し、主に報いるために必要なのは功績でも逸話でもない、これからの刀剣男士としての自分のはたらきなんだ!って分かったんですよね。

彼の強さというか刀剣男士足り得る根源って結局のところ愛されてきたこと(愛)なので、それを自覚したことで大包平は完成されたんだなあ…と思いました。
"俺を評価する者"は"俺を愛する者"だったと気づいたわけです。評価ってただのレッテルではなく、大包平に関しては特に、愛し大事にしてくれた人達(それこそ池田輝政だけではなくそれまでもそれからも大包平を守ってくれた人たち、そして刀剣男士として見出した我々審神者)が付けてくれたものだということがわかったんだと思います。大包平は愛してくれた人たちによって刀剣男士・大包平になったわけですから。
それはずっと自分の中に最初からあったんだってことに気づいたから、ふっははは、実に面白い。になったわけですよ。
大包平の修行は新しく何かを得てくるのではなくて、ずっと持っていたものを自覚すること、まさしく"存在の再定義"だったのでほんとによかったな〜〜〜〜!と心から思います。
(存在の再定義の話は下記リンクのnoteでしています)

めちゃめちゃ脱線しました。修行見送りボイスの話をしていたのに……
話戻すと、自分が実際修行に出て、修行が自分にとってなんなのか落とし込めたからこのような発言に変わったのだろうなと思います。
これも妄想だけども、多分今まではある意味目を逸らしてたんですよね、修行から。
彼にとって自分の弱さや不足と向き合うことは許せないことだったんじゃないかなと…。多分特の時は許せないことが多かったんだと思うんです。だから自分に厳しかったのかなと思います。自分の弱さも足りなさも許せなかった。
でも、修行に出てそもそもそれらは弱さでも不足でもなかったとわかったから旅に出てよかったと思えたんだと思います。
極では、許せることが増えたんだろうなと思います。自分の弱さだと思っていたところも愛せるようになったんじゃないでしょうか。そういうところが極の"余裕"になってるんだと思います。

修行から帰ってきた10月がもう1年前くらいに感じます。毎日大包平は最高です。



この記事の前に修行手紙や彼が帰ってきた時に考えた色々なことはこちらに書いてます。



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