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お葬式と宗教感

親戚のおじさんが亡くなりました。
母の妹(おばさん)のだんなさん。
子供の頃はおじいちゃん、おばあちゃん、いとこのみんなで、季節ごとに集まったり、家族旅行に行ってたけど、大人になってからは、あまり付き合いもなかった。
去年、おばさんが、家を飛び出すという事件が発生し、いろいろな話を聞くと、結構昔ながらの亭主関白な方だったらしく、結婚生活は大変だったようで、私はその人に対してアンチになっていた。
でも、入院されたと聞いていたので、そういった思いは一時休戦で心配していたのだけれど、亡くなってしまった。

葬儀に参列すると、4人兄弟の末っ子が兄弟の誰よりも早く亡くなってしまった悲しみや、もちろん、おばさんも悲しんでいて、人が一人、命を亡くすことの大きさが、静かに、でも、圧倒的に迫ってきた気がした。

長く人生を歩んできた中で、いろいろな出会いが出来事が積み重なってその人はできている。人の話を聞いたり、ぐっと近寄って、その人のことを見ると、苦手だと思っていた人にも必ず共感できるところが見つかる気がしている。今回もそんなことを感じた。

そしてお葬式。
去年父が亡くなった時に、母が生前の父と相談して確認していた遺志で、お寺さんなしのお葬式をしたので、今回のオーソドックスなお葬式に参列していろいろ感じるところがあった。

まず、私はお経や一連の儀式の意味を全く知らないということ。日本人の大半は仏教徒だと思うが、一般的な学校では、仏教について教えてもらうことはないのではないかと思う。
外国の人に意味を聞かれてもほとんど答えられない。いろいろな宗教を信じている人がいるので、学校で教えるのは難しいと思うけど、アメリカだときっとキリスト教について教えたりするのではないかと思う。宗教について話すのは難しいけど、他の国がどうなのか知りたくなった。

これから、今までのお葬式とかお墓とか、そういったものの在り方も変わっていくと思う。なるべく家族や自分の心にフィットするものであってほしいなと思った。

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