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さよなら副委員長

 仲良しだった同級生が去年3月に亡くなっていた。時々、操作間違いでかかって来る彼女のお母さんからの間違い電話、折角なので、Nちゃんはどうしてますかと聞くと、あら、言ってなかったかしら、N子は去年3月に亡くなったのよと、言葉を無くしてしまった。

 小学校でも中学校でもいつも副委員長さん、出来の悪い私にいつも優しく声をかけてくれるのっぽで明るい子だった。卒業して20数年後に偶然に再会、当時の副委員長さんの記憶が蘇った。聞けば、結婚離婚、家族友人世間に揉みくちゃになり、躁鬱状態を繰り返しているとのことだった。

 何か役に立てばと少しの間、話を聞いたり片付けを手伝ったりした。すると突然、私に近寄らないでと突き放された。それから10年くらい経った頃、もう忘れかけていた時に、特徴のあるウィスパーボイスで連絡があった。再び、話を聞いたり片付けを手伝ったていたら、またある日、連絡をしないでと遠ざけられた。さらに10年くらいしたら三度の連絡が変わらない声音で飛び込んで来た。もうこの頃は精神薬の量も増え、入退院を繰り返しているとのこと、やせ細っていた。片付けられない部屋の片づけを手伝った。きっとまたと思っていたら案の定、もう放っといてと突き放して来た。

 この頃にはお母さんとも連絡を取り合うようになっていた。コロナが始まった。入院も長期に及んでいる様子。私から連絡することはない。去年の暮に非通知だったか留守電に、彼女の声が残されていた。折り返しの連絡のしようがないまま訃報を聞くことになってしまった。

 音楽と本をこよなく愛する人だった。ここ20年くらいは明るい顔は見せてくれなかったけど、私にとってはいつまでも小学校中学校の頃の明るい太陽のような印象が、今も頭の中に残像としてある。

 先日、お母さん妹さんと連絡を取ると、電話の向こうからNちゃんと同じ声がする。懐かしさがこみあげて来る。遺品となってしまった大量の本の処分に困っているとのこと、是非、形見分けとして譲って欲しいと言うと、とても喜んでくれた。

 美術、音楽、精神障害、哲学と背表紙を眺めると彼女の苦しかっただろう足跡が偲ばれる。気に入った本に偏るけど、読ませて貰うよ。常世はどうですか。もう苦しまなくていいのよ。この世には随分と翻弄されっぱなしだったからね。のんびり楽しむといいよ。そのうち同級生が押し寄せて行くから。もう何人かは先に逝ったのがいるから、奴らも誘って場所取りしておいてくれよ。じゃあまた。20230602

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