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長男の誕生日か

 我が家のこと、先週あたりからざわついている。

私「あいつ、何か言って来たか」

次男「いや何も」

母「お兄ちゃんの誕生日、何かするの」

私「33なら、もういいやろ、なあ次男」

次男「スルーしようか」

私「何か言って来たら、おめでとうくらいでいいやろ」

次男「そうやな」

そんな会話が数日前にあって今朝、別の用事で長男にラインを送ると、「今日、誕生日です」と返って来た。「わかっちょる」と返信。さて、どうしたものか。

 そうか、私が32歳、あの時の夏はこんな暑さだったかな。県病で2,444gで生まれて、実は少し障害がと医師に言われて私は真っ青になったにも関わらず、かみさんは生まれたことを心から喜んでいた。女性の強さを思い知らされたことが懐かしくもあるな。それから保育器でしばらく過ごして、看護師からお風呂の入れ方や母乳のやり方を私が習って、さあ自宅に帰ってみると、なかなか壮絶で楽しい育児が待っていたんだわ。

 初めての子供だから育て方が分からない。搾乳した母乳を解凍しては夜中も2時間おきに飲ませるけど、50cc飲むのに30分かかってたのよ。泣けば抱き上げる揺らす、逆さにしてみる。睡眠不足も極まって、3か月くらいは夢遊病者のようになって仕事に向かってたわ。少し大きくなってくると、物心もついたあたりから、なかなかのやんちゃ坊主で、私に似て落ち着きがない。だから私も父親からされたように言うこと聞かないと叱る、それでも聞かないと感情的にならずに手を挙げる。嘘だな、感情の高まりがすぐにキャパを越えて手が出てたかな。申し訳ないことをした反省から、次男には手を挙げないことにしたけど、それがまた奴の気に障るわな。

 そんな時に母親はと言うと、子供に恵まれて幸せに包まれながらも、障害故に十分には抱いてあやせないもどかしさと、それを見た近親者からの「まあ、この子は抱っこして貰えないで可哀そう」みたいな心無い言葉との狭間で、徐々に強さを身に付けて行くんだわ。その時は今みたいに強く図太くなるなんて想像も出来ずに、申し訳ないと腫物に触るようなところもあったのにな。

 件の長男はと言うと、私と同じ口唇口蓋裂に言語障害で生まれ育ったから、繰り返される手術の辛さも、その後の抱え込むコンプレックスや周囲との関係性も大方は分かる。私を反面教師にしているとは言え、これまでの生き方もこれからの生き方も私の子供だけに予測不能だ。おまけに33歳は、まだ上り坂だ。足元を見ないのも仕方ない。次は何を始めるのやら、静観するしかない母と次男、私の役目は骨を拾ってやるくらいかな。

 まあ、私と同じ業界で仕事している上に、母親は難病の障害者と来てるから、良しにつけ悪しきにつけ引き合いに出されてしまって申し訳ない限りだ。父親を反面教師にすることが正解であることだけは認めるとしよう。

 以上、そんなことを書かせてくれる長男の誕生日だ。この作文をプレゼントと言うことでいいだろうか。20230823

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