読書の快楽
仕事帰りに家族の夕食をデパートの中にある食事処でテイクアウトすることにした。ところが注文をして出来上がりまでの待ち時間に読む本を駐車場に停めた車内に忘れて来たではないか。普段なら駐車場までわざわざ戻るところ、今日は生憎の雨だ。いいことに食事処の向かいに書店がある。僅か15分くらいの時間ながら、読む物がないのは苦痛で仕方ない。書店に飛び込んで手ごろな本を買って、食事処でテイクアウトのお弁当を注文、読書しながら出来上がりをストレスフリーで待つこと20分くらいか。弁当と本を抱えて車の戻ると、よくあることながら本が2冊になってしまう。さあ、この先どっちを読むかちょっと迷う。大方は残りページが少ない方を選ぶか、興が乗って読み足の速い方を選ぶ。
こんな具合だから、車には一日の途中で読み終わってしまっても、読む本がない状況を回避するために、常に1、2冊は積読本棚から引っ張り出して置いてある。とにかく、手元に読む物がないことが不安、これは名前を探せば何か名のある症状だったりするのか。
さて、この一年も本を開いては文字を追いかけ続けた。読みたい本は山のようにある言うのに、それでも年に100冊くらいが精一杯、アタリもあればハズレもある。読んだ本だけ何かの糧になるかと言えば、そんなことは全くない。高齢者の戸口に立つ私は、読んだ先から手の平から砂がこぼれ落ちるように激しく忘れて行く。だからと言って困っているという程でもない。ただ出来ることならアタリ本に沢山出会いたい。若い頃と違って読書の目的が、単に快楽と化してしまっている。20221225
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