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家族控え室

 右結腸切除術、これが今日の手術の名称らしい。一昨日に十分な説明も受けた。3時間半から4時間の開腹手術で、輸血やら深部静脈血栓症、いわゆるエコノミー症候群やら沢山の同意書に署名もした。お袋が48で亡くなって,
かれこれ40年だ。親父が89だろ、もう何があっても無くても動じることもない。

 入れ歯と補聴器を外され、手術着姿に白のストッキングを履かされて、トボトボと歩いて手術室に向かう。思い出すなぁ。両親が今の駅南のホルトホールの芝生広場あたりで靴屋を営んでいた頃、まだ19歳で親の気持ち子知らずの只中に居た時分、朝から店先で殴り合いの喧嘩をしたことがあったよな。あの時の頬に受けた拳の痛みを思い出すよ。老いたなぁ親父。

 麻酔医からの説明と同意書にサインをして、送り出すつもりで頑張ってと声をかけたが、聞こえた風はない。そのまま家族待合室に案内されてしまった。ICUの説明などがあって、終わるまでここに居て下さい、離れる時はインターホンでその旨を伝えて、短時間で戻って来て下さいと、最後に術後は先生から説明があります。何かご質問や分からないことがありますかと言われ、術後は麻酔が覚めるまで居ていいのかと聞くと、先生のお話が5分くらいですが、終わったら帰って貰います。後は退院まではお会い出来ませんだと。そうだろうそうだろう。はい、よく分かりました。

 昨夜はかみさんの患者会の会員さんが80歳の誕生日を迎えて喜んだばかりなのに急逝した。タクシーで施設に向かうご家族から、泣きながら、施設から急いで来て下さいとだけの連絡で様子が分からないと戸惑い、不吉な予感に苛まれながら誰かと話してないと不安で不安で仕方ないからと連絡があった。以前から入所している施設の支援に不手際が多く不信感が募っていた矢先の出来事だったらしい。駆け付けた時は心肺蘇生の最中で、最期の声掛けも儘ならない状況だったと話していた。

 昨夕はJR九州駅無人化反対訴訟の集まりで、原告の一人で人工呼吸器装着の古い友人の吉田春美さんが、こちらも大腸ガンで入院中、痛みと闘っていて、退院の目処が立たないことの報告を少し感極まってしたところだ。

 持って来た本でも読むか。「徳川家康第25巻」大阪夏の陣開戦、秀吉の馬廻り役だった薄田隼人の将が登場、ご多聞に漏れることなく戦い死んで行った。きっと私とはなんの繋がりもないんだろうけど。当時の戦国武将は義に死すことを喜びとして切った張ったの中に身を投じていたんだよな。

 徳田靖之弁護士の著書「感染症と差別」には、人種で差別され、宗教で差別され、薬害で差別され虐げられ死んで行った人々が累々と描かれている。差別する側の多重構造の一員に私もなっていることの自覚、これからも目に見えない形の社会のシステムが仕組まれ、差別する側にならないとも限らない不安に震撼とさせられた。そんな本を書く先生だけに、普段は優しく掠れた声で話す先生が、同じ表情同じトーンで、私はこの裁判は勝ちたいのですと話す姿から漂う凄みに身体が震えた。

 世界ではロシアとウクライナ他にも殺戮が終わらない。コロナでも毎日、亡くなる人がいて、自殺者は毎年引きも切らない。世界はどこに向かっているのか。ここのテレビでも、ロシアウクライナ情勢、給付金誤振込み事件、資本の指向性に左右される偏向報道ばかりだ。

 2時間半経過、インターホンを押して昼食に行くことを伝えると、ちょっと待って下さいと言われ、インターホンの向こうで何か相談している風で、あら、手術中に席を空けることは異例でちょっと非常識なのかなと思っていたら、どうぞ戻って来たらまたインターホンで教えて下さいとのこと。むむ、こりゃゆっくりと食堂でランチなんか食べるのは非常識なのかも知れないと思って、下のコンビニでパンとジュースを買い込んで戻ってインターホンを押して、戻って来ましたと言うと、はいちょっと待ってて下さいと言われ、インターホンの前で待つ、待つ。数分待つ。「ちょっと」って、インターホンの前でちょっとなのか、さっきの控室でちょっとなのか、どっちだ。インターホンに前のちょっとは短いちょっとで控室のちょっとだとちょっとの表現は長さが足らないよな、そんなことを考えていたら、スタッフがたまたま出てきたので聞いてみると、手術中の患者さんのご家族ですかと確認されて、だったらこちらですと控室を案内された。ちょっと、ちょっとの取扱いが雑だろう。

 それで控室でパンを頬張っていたらスタッフがやって来て、薄田さんのご家族ですかと言うから、何かあったかと一瞬緊張して、食べかけのパンを飲み込み向き直ると、急患が入ったのでICUがいっぱいです。申し訳ないですが術後は病棟に戻るので、病棟のデイルームに移動してお待ち下さいとのこと、あーびっくりした。と、ここまで3時間経過だ。

 今朝から読み始めた徳川家康も123頁、世に戦が無くなることなしを信条に冷静な敗走をする真田幸村。家康の思惑はどこに登場するのかな。14時になった。予定時間4時間を30分過ぎたが、大丈夫なのか。それから30分、やっと終わったらしい。先生の説明があるからと、再び3階に降りて、手術室横の説明室に案内される。

 名医と言われる医師が帽子の紐を結びなおしている。奥で若い医師が念入りに手を洗っている。持って来なさいと名医、手を洗っていたとばかり思っていたら、切り取った腸を両手に乗せて持って来た。これが切り取った腸ですと名医、おーこれがそうですか、本人にも見せたいので写真撮ってもいいですかと聞くと、ちょっと待ってと新しい布を用意してくれて、その上に乗せて、どうぞ撮って下さいと、とっても自慢げな表情で仰る。携帯でパチリ、どうも長時間お世話になりましたと言うと、はいはい、どういたしまして、ではと言って、説明室を出される。きょとんとして、案内してくれる看護師に説明はこれからですかと聞くと、今のが説明ですと、おーそうだったのか。病理検査は時間がかかるので、その結果は後日だそうだ。なるほど、こんな仕組みになっているのか。

 それで、2、30分したら病棟に戻って来るので、またデイルームで待つように言われる。徳川家康も150頁、家康最後の戦いの件だ。ここでやっと病棟に上がって来た。酸素マスクに沢山のチューブと点滴、お疲れさんと声を掛けると、あいたた、あいたたと顔をしかめて元気に痛がっている。そりゃ、あれだけ切り取られたら痛かろう。令和版の切腹みたいなものなんだから。でも無事な生還で良かった良かった。以上、長い時間つぶしの家族控え室レポートにお付き合い頂きありがとうございました。20220519

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