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本の小さな出来事

週に1回くらいの仕事帰り、次に読む本を求めて近所の書店に寄ってみる。つらつらと並んでいる本たち、この僅かな臨場感が楽しい。そんなにワクワクはしないけど、ちょっとだけ気持ちは上がっている。
まずは書店一押しの企画、キャンペーン的な棚を眺めて、続いて文庫の棚からハードカバーの棚へとシフトしていく。平積みの書籍と棚に背表紙ではなく表紙を見せている本から流していく。気になる本は、その都度、手にとって内容紹介やら著者のプロフィールを見る。更には、著者のプロフィールから受賞作や代表作をチェックすることもある。
面白そうと思ったら、パラパラとページを捲って、最終確認、一旦、元の位置に戻して、場所を再確認しておく。ただ、この場所が分からなくなることが殆ど、場所だけならまだいい方で、本のタイトルも作者すら忘れていることが常、残ってる記憶は表紙のデザインの、さらにその雰囲気だけ、だから、それを頼りに探そうとはするけど、見つかる筈もなく、棚を巡る冒険は時間の限り続く。そうこうすると、読みたいと思って絞り込みを始めたにもかかわらず、目の前に広がる本たちの数に圧されて、絞り込むどころか、どんどん広がり始めて、今日の一冊の選定が気持ちの中のタイムリミットに、なにやってるんだとばかりに急かされることになって、結局、こんなことが起きてしまう。
昨年、買って読んだ本をまた、昨年買う時に感じた同じ思いで買ってしまった。いつ気がついたかって、読み始めて、さあ、まず1ページはちょっとしたデジャブ、そんなこともあるかくらい、3ページになると、過去の記憶の検索、5ページになって、本を閉じて、本だなに向かう、あった。。。あるのよ、2年に一度くらい。若いころ、レンタルビデオ屋で同じエロビデオを、これと同じ感じの気持ちの高ぶりで3度借りて、人知れず泣きそうになったことはあるけれど、まあ、今回はこうして、皆さんの紹介できる失敗でした。本の内容は、幼少期の郷愁を散りばめた内容です。
つまり、昨年も今年も、同じものに引き寄せられてしまったということは、何か心の中に子供の時代に、うっかり忘れ物をしてしまった何かがあるのでしょうね。読んでいて思いましたもの。この作者はこんなにも沢山、子供の頃の記憶を持っているのか、私にもある筈なのに、どれも断片的すぎて、キラキラとギラギラと輝いて、記憶の底に沈殿している気配はあるけれど、どうしてもすくい取ることが出来ない。あー超悔しい。そんなことを考えさせてくれた出来事でした。
20140526

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