恋愛と志望校

 中学三年生の親戚の女の子と話をしたときのこと。
 高校受験は推薦入学にしたという。
 「無理して勉強して偏差値の高い高校に行ってもね、授業についていけなくなって辛いだろうから、無理しないことにしたの」
 
 聞いていて、なんだか複雑な気持ちになった。
 「一生懸命がんばる」みたいな言葉を期待していたような気がする。
 もしもガリガリ勉強して背伸びしてやっと入れた学校だったとしても、みんな同じように背伸びして入っているのだから、授業について行かれないだなんて心配しなくてもいいのに、と思った。

 もともとそんなに勉強が嫌いな子ではなかったから、もったいないような気もした。

 推薦が決まっていたので、彼女は毎日ケーキを作ったり、彼氏とデートしたりして楽しく過ごしていた。ちょっとだけ、いやかなり、羨ましかった。


 さてここからが本題。
 女子が集まっての恋愛話で、彼氏のいる子が彼氏の親について面白いことを言ったのね。
 「自分の親の価値観が似ていて、とても話がしやすい」だったかな。

 彼氏のいる子達は「そういうの、気楽でいいわね」と賛成を示した。
 一方、彼氏のいない子たちは、見ていてあれれと思ったんだけれど、瞬間的に聞かなかったような態度になった。「賛成できない」と言う代わりの拒絶反応のようです。

 それを見ていて、彼氏を切らさない子と、わりと長く彼氏募集中の子との違いが分かった気がした。

 もともと「いい出会い」とは相性の良い人との出会いだと私は思っているんだけれど、相性以外の条件の良い人との出会いだと思っている人もいるようだ。
 「自分の親と価値観が似ている親をもつ彼氏」は、自分と同じ程度の条件だから、論外という意味かと思われる。
 
 もちろん、好条件を求めるのが悪いとか、そういうつもりはない。
 シンデレラだって結果的には自分の現在の身分よりも上昇させる好条件を持つ相手を見つけた女性の物語だ。
 王子様と結婚してめでたしめでたし、の後の生活は幸せだったのか、他人事ながらちょっと心配…、ではあるものの、先に書いた受験の話と同じで、身分違いの結婚だって、案ずるより産むが易しで、はじめてみたら全然困らないのかもしれない。そうなったならば、せっかくだから、がんばっちゃえばいいのだ。
 つまり、好条件の相手を好きになる気持ちが悪いわけじゃない。
 
 一つだけマズいことがあるとしたら、相手そのものではなくて条件を先に吟味してしまうことだろうか。

 この条件なら合格!と見極めてから、アクセル踏んで恋愛をはじめるのって、実はかなり難しいような気がします。

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