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フローライト第四十話
ゴールデンウィークが開けて美園の学校も始まり、奏空のドラマは絶好調に視聴率を保っていた。主題歌も奏空のグループが歌っていてヒットチャートに乗っていた。奏空の忙しさと共に、咲良との間がどんどん冷めていっているような気がする。
「ねえ、奏空と喧嘩してるの?」と何日もすれ違いのように生活している二人を不審に思ったのか、美園が夕飯時に聞いてきた。
「喧嘩なんてしてないよ」と咲良は答えた。
「でも奏空がすごく元気がないんだよね」
「そう?」
「咲良もだしね」と美園は言うと「ごちそうさま」と箸を置いた。
咲良はどうしていいかわからずにいた。一つだけわかっているのは、おそらく自分が何か大事なことを見落としているということだった。
── 頭の中を整理して
そう以前奏空から言われたが、自分一人ではどうしようもなかった。いつも奏空のナビゲーションが必要なのだ。
(どうしたらいいの?)
咲良はわからなかった。でも別れたくはなかった。奏空のことだって好きなのだ。でもこないだのセックスはまずかった。感じないからといって利成のことを思いながらするなんて・・・。きっと奏空はよほど深く傷ついたのだ。
その日は珍しく奏空が早く帰宅した。
「眩暈がして・・・」と帰宅するなり奏空が言った。
「え?大丈夫?」
「ん・・・ちょっと寝る」」と奏空がまっすぐ寝室に入っていった。
咲良は夜ご飯はどうするのだろうと一時間くらいしてから寝室に行ってみた。
「奏空?」と声をかけたが奏空の返事がない。顔を覗き込むとひどく苦しそうに息をしていた。
「奏空?!」と咲良は奏空の額に手を当ててみた。
(熱い・・)
物凄い熱さだった。慌てて咲良は体温計を奏空の脇に挟んで熱を測った。
(四十度??)
「美園?!」と寝室のドアを開けて咲良は美園を呼んだ。
「何?」
「冷蔵庫から氷持ってきて。奏空が大変なの」
そう言ったら美園が奏空を見て顔色を変えた。
「わかった」と言ってキッチンに走っていく美園。咲良はスマホを取りだした。救急車を呼ぼうと思ったのだ。すると奏空が「咲良・・・」と小さく呼んだ。
「奏空?!大丈夫?!今救急車呼ぶから」
「いい・・・大丈夫だから・・・」
「何言ってるの?大丈夫じゃないよ。四十度も熱あるんだよ?」
そこで美園が「咲良、これでいい?」とアイスノンとタオルを持ってきた。
「うん、ありがと」と咲良は奏空の額にタオルで巻いたアイスノンを乗せた。
「奏空、大丈夫?」と美園が奏空のそばまできて言う。
「美園・・・大丈夫・・・」と奏空が少しだけ目を開けた。
「救急車呼ぶからね」と咲良がスマホを持つと奏空が手を伸ばしてきた。
「咲良・・・いいから。手、握って」
「奏空・・・」と咲良は奏空の手を握った。ものすごく熱かった。
「ごめんね・・・咲良・・・」
「何言ってるの?奏空は悪くないでしょ?」
「・・・ん・・・」と奏空がまた目を閉じた。
「奏空?」
今度は返事がない。
「咲良、救急車」と美園が言う。
「うん、そうだね」と咲良はスマホをもう一度握った。
救急車はすぐに到着して奏空を担架に乗せた。咲良は美園と一緒に救急車に乗り込んだ。
「奏空?」と咲良は何度か呼んでみた。でも奏空の返事はない。美園が「奏空・・・?」と泣き出した。
「美園、大丈夫だから泣かないで」と咲良は美園の手を握った。
救急病院についてから、点滴と解熱剤を打った。奏空はずっと目を閉じて眠っているようだったが、熱が少し下がってくると目を開けた。
「奏空?」と咲良は声をかけながら涙が出てきた。
「・・・咲良・・・」と奏空が言った。
「奏空」と美園が言うと、奏空が「美園・・・大丈夫だからね」と言った。
「ん・・・」と美園が涙ぐんでいる。
救急病院で朝までそうしていたが、熱はまだ下がらなかった。朝になって別の病院にまた救急車で移動した。
「奏空・・・」
昼近くになって奏空が目を開けたので咲良は呼んでみた。
「咲良?・・・美園は?」
「布団借りて寝てる。昨日の夜の間ずっと起きてたから」
「・・・そう・・・」
「具合は?どこか痛くない?」
「ん・・・大丈夫・・・」と奏空が手を伸ばしてきたので咲良はその手を握った。
「咲良・・・ごめん・・・」
「だから奏空は悪くないんだって。謝らないで」
「ん・・・でも、俺の方が逃げてたから・・・」
「いいんだよ。逃げて。私が悪いの」
「そうじゃないから・・・」
「奏空、ちゃんと考えるからまた教えて」
「・・・・・・」
「奏空がいなかったら私・・・生きていけない・・・」と咲良は泣いた。本心だった。
奏空がいたからわがままが言えたのだ。咲良は奏空がどこまで許してくれるだろうかと、いつもそんなことを無意識に思っていたことに気がついたのだった。奏空が自分を本当に愛してくれてるのだろうかと、いつもいつも本当は思っていた。
「咲良・・・俺も・・・咲良がいなかったら・・・死んじゃうみたいだよ」
「ん・・・ごめんね。早く元気になって」
「ん・・・」と奏空がまた目を閉じた。
奏空の事務所へ電話をかけてから明希へ電話をかけた。明希がものすごく焦った様子で病院まで駆けつけてくれた。少し熱が下がったと明希に言うと「良かった・・・子供の頃も一度あるからほんと焦ったよ」とホッとしたように明希は言った。
夕方になって夕飯におかゆが出た。奏空はまったく食べたくないと言ったが、咲良が無理矢理少しだけ食べさせた。美園は明希が連れて行くと言って、さっき帰っていったばかりだった。
夜に咲良は奏空のベッドに突っ伏したままウトウトした。不意に頭に何かが触れた気がして咲良は目を開けた。
「咲良・・・」と奏空が少し笑顔を作っていたので、咲良はホッとして奏空の顔を見つめた。
「ごめんね、事務所に連絡してくれたんでしょ?」
「うん、しておいたから安心して」
「ん・・・咲良、もう一回話そう・・・」と奏空が切なそうな表情で言った。
「ん・・・ちゃんと自分に向き合って考えるから・・・教えて」
「ん・・・今、話そう」
「今?今は休んで。熱があるんだよ?少しは下がったけど・・・」
「ん・・・でも話したい」
「じゃあ、気分悪くなったらすぐやめてね」
「うん・・・わかった・・・」
「ん・・・」
「咲良・・・どうやら俺は咲良のためにここにいるみたい・・・」
「私のため?」
「そうだよ。咲良を愛するためにここにきたんだよ」
「・・・・・・」
「だから咲良と離れようとしたらこんな状態になっちゃったよ」と奏空が切なそうな笑顔を作った。
「奏空・・・」
「咲良、前に味わいきらないと思いが残っちゃうよって言ったの覚えてる?」
「・・・うん・・・」
「・・・でもね、いつまでも味わいきれないものがあってね・・・それは欲すれば欲するほど渇いていくんだよ」
「うん・・・」
「・・・それが愛情なんだよ」
「愛情?」
「ん・・・愛して欲しい、愛して欲しいって思えば思うほど、失くしていくような感覚になる仕組みになってる」
「・・・うん・・・」
「そこにハマると地獄になるんだよ・・・」
「ん・・・」
咲良の目に涙が滲んできた。
「快楽もね、刺激を求めれば求めるほど物足りなくなっていくから・・・でも、それが悪いっていってるんじゃないんだよ?」
「ん・・・」
「だけど・・・咲良は・・・」と奏空がそこで言葉を詰まらせた。
「奏空?大丈夫?」
「うん・・・」と奏空の目から涙がこぼれた。
「咲良・・・俺が咲良を愛してるの・・・わかって欲しいよ」
「うん・・・奏空・・・わかった・・・ごめんね・・・」
咲良も涙で言葉を詰まらせながらそう言った。
「ん・・・」と奏空が手を伸ばす。咲良はその手を握った。
「もう少し眠った方がいいよ」
「・・・ん・・・」と奏空が目を閉じた。
個室なので他の誰もいない病室はしんと静まっていた。咲良は奏空の寝顔を見ながら、一番大切な人を失いそうになるまで気が付かないなんてと涙が溢れてきた。
(奏空・・・ごめんね・・・)
咲良はもう一度奏空の手を握りしめた。
色々検査をしたが、結局異常なしと出た。なのですっかり熱が下がった四日目には奏空は無事退院となった。奏空が「お世話になりました」とナースステーションに頭を下げてから通り過ぎようとすると、「すみません」と握手とサインを求められていた。
明希が一階で会計を済ませてくれていた。一緒に三人で表に出ると真っ直ぐ明希が一台の車の前まで歩いて行く。
(あ・・・)と咲良は思った。見覚えのある車だ。
「お久しぶり」と車から男性が降りてきて奏空に挨拶をしている。奏空がただ頭を下げた。
「咲良さんと奏空は後ろに乗ってね」と明希が笑顔で言う。
「すみません」と咲良が頭を下げるとその男性が頭を下げた。
「安藤さん、今度こっちにも曲作ってよ」と車に乗り込むと奏空が言った。
「え?それは無理でしょ?」と安藤と呼ばれた男性が答える。
「何で?利成さんとはやってるでしょ?」
「天城さんとはね、元々そういう契約だからね」
「ふうん・・・」と奏空がシートにもたれた。
「それより奏空君、身体もう大丈夫なの?」
「大丈夫だよ」
「無理しないようにね」と安藤がシートベルトを締めてエンジンをかけた。助手席には明希が乗っている。何となく慣れた感じだ。
車に乗っている間奏空は窓の方を向いたまま寡黙だった。咲良は珍しいなと奏空の横顔をチラッと見た。明希は楽しそうに時々安藤と話している。
マンションの前に着くと明希が「奏空、忙しいのはいいことかもしれないけど、無理しないようにね」と奏空に言った。奏空は「わかったよ」とつっけんどんに答えていた。
「じゃあね、咲良さん。美園とまた遊びに来てね」と明希が咲良に笑顔を向けた。
「はい、ありがとうございました」と咲良は頭を下げた。
部屋の中は出て来た時と同じままで何となく散らかっていた。美園は学校からまだ帰宅する時間ではない。
「あー何か疲れた」と奏空がソファに座った。
「大丈夫?休んだら?」
咲良が言うと奏空が笑顔になって「大丈夫だよ」と言った。
「咲良もここに来て」と奏空がソファの自分の隣の部分を手で叩く。咲良はいつもの奏空にホッとして隣に座った。
「咲良~」と奏空が抱きついてくる。これもいつもの奏空だ。
「・・・ほんと良くなって良かった」と咲良は言った。
「ん・・・心配かけてごめん」と奏空が咲良の顔を見つめた。
咲良が奏空の顔を見つめると奏空が口づけてきた。それからまた抱きしめてくる。
「わりとピンチだったね。今回は」と奏空が咲良の背中をポンポンと叩いた。
「・・・だいぶピンチだったよ」
「ん・・・そうだね・・・」
「・・・・・・」
咲良は無言で奏空の肩に頭を乗せた。
「だけどさ、明希もちょっとだよね」と急に口調を変える奏空。
「何のこと?」と咲良は奏空から身体を離して奏空の顔を見た。
「安藤さん。彼氏連れてくんなってんの」
「やっぱり彼氏なの?」
「そうだよ」
「そうなんだ・・・」
「安藤さんは何十年も明希が好きだったんだよ」
「え?何十年も?」
「そう。利成さんが昔バンド組んでた時のメンバーだからさ、二十年くらいは経ってるよ」
「えー・・・そんなに?」
「そう。おまけに明希が好きすぎて結婚もしてないの」
「そうなんだ。一途なんだね」
「一途か、物は言いようだね」といつになく棘のある言い方の奏空。
「何か奏空は気に入らないの?」
「まあね」
「珍しいね、奏空がそんなこというの」
「そう?俺結構好き嫌い激しいよ?」
「そんなことないでしょ?奏空は誰に対しても同じに見えるけど」
「えーそれはないよ。そうか、咲良って俺のことそんな風に見てたんだ」
「うん、だってそうでしょ?」
「んー・・・ほら、前のドラマの話し。俺が断ったのに無理やりやらされてって言ったら咲良が「いい身分だね」みたいなこと言ったでしょ?」
「あー・・・そうだね」
「断ったのなんて一度や二度じゃないよ?」
「え?仕事を?」
「うん、仕事もだけど・・・」
「何よ?」
「実は何人かに誘われたこともあってさ」
「・・・女性ってこと?」
「そう。でも全部断ったよ」
「ふうん・・・そこは怪しいけどね」
「いや、そう言われると思って言ってなかったけど、この際だから言っちゃうけど・・・」
「・・・・・・」
「女性も好きなタイプと嫌いなタイプがはっきりしてるからさ」
「そうなの?じゃあ、好きなタイプってどんなタイプ?」
「え?それはわかるでしょ?」
「わからないけど?」
「またまた。咲良じゃん」
「・・・へぇ・・・私ってどんなタイプなのよ?」
「お姉さんタイプ」
「・・・・・・」
「俺は年上好みなの」
「へえ・・・知らなかったよ」
「そうなの?知ってるかと思ってた。後、胸が咲良くらいの大きさね」
「・・・・・・」
「髪はショートカットで少し染めてるのがいいよ」
「まあ、出会った時の私の髪型だね」
「でしょ?頭は良くない方がいいし」
「・・・・・・」
「色気は必要」
「つまり頭空っぽの色気のある女性ってことだね?私が」
「そう。咲良がピッタリだったんだよね。性格はちょっときつめがいいし」
「・・・・・・」
「全部咲良がピッタリでしょ?」
「あーほんとにね。頭空っぽで売れない女優で、胸も中くらいで脱ぐこともできなかった中途半端な女がお好みなんだね」
「そうそう・・・て、”売れない”は必要ないよ」
「だってそうでしょ?」
「もう、違うって」と奏空が口づけてきた。奏空の舌が咲良の口の中に入ってくる。それからソファの上に咲良は押し倒された。
「やっぱり咲良が一番だね」と奏空が言う。それから奏空の手が咲良のTシャツをめくり上げてブラジャーを押し上げてくる。
「ちょっと、もう美園が帰ってくるよ」
「ん?そう?大丈夫だよ」と奏空の唇が咲良の胸に移動する。
(でもほんとに奏空が良くなって良かった・・・)
咲良は心からそう思った。あの奏空を失うかもしれないと思った時の心細さは、咲良の胸に刻み込まれてしまった。
奏空の手が咲良のズボンのボタンを外してくる。そして下着の中に手が入っていた。
(あ・・・)と咲良は強烈に感じてしまった。前にした時はあんなに感じなかったのに・・・。
奏空の指が咲良の下半身を刺激してきて、咲良は首をのけぞらせて声をあげてしまった。
「咲良・・・」と奏空が耳のあたりに舌をはわせてくる。
奏空の指が奥の方まで入ってきて咲良は絶頂感を感じて少し身体をけいれんさせた。奏空が自分のズボンのボタンに手をかけた時、玄関のドアが開く音がした。美園が帰ってきたのだ。
「あ・・・」と咲良は慌てて衣服を直した。
「えーやめちゃう?」と奏空が言う。
「しっーって。当たり前」と咲良は声を潜めた。
奏空がしぶしぶな感じでズボンのボタンを閉めたと同時に「ただいま!」とリビングに美園が顔を出した。
「おかえり!」と奏空がいつもの明るさで答えたので美園が嬉しそうに奏空の胸に飛び込んだ。
「奏空?もう大丈夫なの?」と美園が言う。
「うん、大丈夫だよ。美園にも心配かけてごめんね」
「いいよ。奏空が良くなったなら」と美園が笑顔になる。
次の日から奏空はまた休んだ分も含めて仕事が忙しくなった。奏空が帰宅する時間は咲良ももう寝ていたりでしばらくはまたすれ違いのような生活になった。けれど咲良は奏空が元気でいてくれることがとてもありがたい気持ちになっていたので不満はなかった。
でも、災難というのは連続で起こったりするものだ。今度は咲良が事故にあってしまった・・・。
その日は梅雨明けで気温が上がって暑かった。咲良は買い物に出るのにいつものように自転車に乗っていた。買い物を済ませて曲がり角を曲がろうとした時、急に子供が飛び出してきた。
「あっ」と咲良は急いでハンドルを切って子供をよけようとしたはずみで道路に飛び出してしまった。そしてちょうど角を曲がってきた車に引かれてしまったのだ。
咲良は自転車ごと倒れた。車のスピードは出ていなかったので跳ね飛ばされはしなかったが、思いっきり横から倒れて肩から腕にかけて思いっきりアスファルトの道路に打ち付けてしまって動けなくなった。おまけに片足を自転車に挟み込んでしまい、どこをどうなったのかざっくりと切ってしまい、かなりな出血をした。
その場が騒然となり、パトカーやら救急車が来た。咲良はすぐに救急車で病院に運ばれた。
最初に駆けつけてきたのが明希と美園だった。
「咲良さん、大丈夫なの?!」と明希が血相を抱えて処置を終えたばかりの咲良の病室に入って来た。美園も泣きそうな顔をしていた。
「大丈夫・・・多分・・・」と咲良は包帯がぐるぐるに巻かれた右足と腕に少しひびが入って固定されている腕を見た。
「ほんとに?もう、びっくりして心臓が止まりそうだった」と明希が言う。
夜になって奏空も明希のように血相を抱えて病室に入って来た。四人部屋だったので一気にみんなに注目される。
「咲良!?大丈夫なの?」と奏空も美園のような泣きそうな顔をした。
「うん・・・痛いけど・・・」
「何でこうなったの?事故だって聞いて俺心臓止まるとこだったよ」
「子供が飛び出してきてね・・・よけようとして道路にはみ出ちゃったのよ」
「えー・・・自転車だったって聞いたけど」
「そうなんだ、買い物の帰りでね」
「もう・・・自転車やめて」
「えー自転車ないと不便じゃん」
「そうだけどさ・・・入院して検査ってさっき聞いたけどどうなの?」
「うん・・・ちょっと検査して大丈夫だったら家で療養しないとならない・・・」
「そうか・・・でも、良かった。咲良が生きてて」
奏空がそう言って泣き笑いみたいな表情で咲良を見た。
「何か前と逆になっちゃったね」と咲良は言った。
検査を終えて退院はできたものの、家に戻っても咲良は料理もできないし、一人では髪も洗えない。見かねた明希が「良くなるまでうちに来てて」と言った。仕方なく美園と一緒に何度目かの天城家にお世話になることになってしまった。
「だいぶ前に、利成が動けない時散々お世話になったんだし、今度は私と利成が咲良さんのこと助けるからね」と明希の表情は明るかったが、咲良は少し不安もあった。最近ようやく利成から気持ちが離れられるようになってきたのに、ここで戻ってしまわないだろうか?
とはいっても、何もできない状態なので仕方がない。自分の身体を自分で動かせないことほど、もどかしいことはないなと思う。
その日は美園が学校に行ってしまうと、仕事がオフの利成と二人きりになってしまった。明希が仕事ででかけてしまったのだ。
(あーどうしよ・・・)
どうか心が引っ張られませんようにと願うばかりだ。
足の傷はだいぶ落ち着いてきていて、何とか足を引きずりながらトイレくらいは行けるようになった。そうやって足を引きずってトイレから出てくると、利成が二階から降りてきた。
「大丈夫?俺のこと呼んでくれていいのに」と利成が言う。
「うん・・・トイレくらいは大丈夫」
「そう?」
利成と一緒にリビングに入り咲良はソファに座った。利成はそのままキッチンの方へ行った。
「咲良、もうお昼だけどどうする?」とキッチンから聞かれる。
「あー・・・何か適当で」と咲良は言った。
昼食に利成が作ってくれたスパゲティを一緒に食べた。二人で食事をしていると何だか不思議な気がする。何だかずっと昔からこうしてたような気分なのだ。
(あーこれは絶対奏空の話の影響だな)と咲良は思う。
前世だとか奏空が前にそんな話をしていたので、きっと自分もそんな気になっているだけなのだ。
「警察の方とかはどうなったの?」と利成が食べ終わると言った。
「あー・・・何か奏空と明希さんがやってくれて・・・」
「そうなんだ」
「うん・・・」
「まだ痛む?」
「んー・・・肩がね、ちょっと」
「そう・・・」と利成が咲良の肩の辺りを見た。
「・・・あのね、こないだ奏空が退院する時、明希さんの彼氏見たよ」
「そうなんだ。一樹が見舞いにでも行った?」
「ううん、車で迎えに来てくれてて・・・家まで送ってくれたよ」
「そう」と利成が関心なさそうに言って立ち上がって汚れた食器をキッチンに持っていった。
咲良も食べ終わった食器を下げようとしたら、利成が「いいよ、置いておいて」と言った。
咲良は「うん・・・」と返事をしてリビングに戻ってソファに座った。明希の彼氏の話をしない方が良かったのかなと、咲良はキッチンの方を見た。
咲良がスマホを見ていると、キッチンを片付け終わった利成がリビングに来た。
「退屈でしょ?」と利成が咲良の前の一人掛け用のソファに座った。
「そうだね。動けないってほんともどかしいね」
「そうでしょ?俺も足を怪我して動けなくなった時、最初のうちはそうだったよ。じっとしていることなんてなかったからね。急にじっとしてれと言われても手持無沙汰でね」
「うん・・・わかる。そんな感じだよ」
「ん・・・でも、後半は何となく楽しんでたよ」
「楽しんでたって?」
「時間が過ぎても追いかけてもこない。何だか台風の目にいるみたいな感じでね・・・」
「そうなんだ。確かに動かないでいると時間が止まるような気がするよね・・・それに時間が経つのが実際遅く感じるよ」
「そうだね。時間って自分の意識で変わるって知ってた?」
「意識って?」
「その時々で時間のスピードが変わるでしょ?気にしてるとゆっくりだったり、何かに集中しているとあっという間に過ぎていたり・・・」
「うん・・・そうだね」
「咲良の時間も今は止まってるんだよ」
「・・・そうかな?でも時計は動いてるし、昼もくるし夜もくるじゃない?」
「ハハ・・・そうだね。確かに時計の電池が切れない限り動いているし、昼も夜もくるね」と利成がが面白そうに言った。
「だから時は止められないよ」
「ん・・・そうだね。俺も咲良も年を取ったのは時間ってやつのせいだろうからね」
「そうだよ。ほんと年ばかり取ってくっておかしくない?」
「何で?」
「変でしょ?汗水たらして皆働いても、何一つ持ち出せるものはないでしょ?死んだらすべて消えちゃうんだもんね」
「そうだね。見えるもの、物理的なものは持ち出せないね」
「だから私は時々バカバカしくなるよ。何のためにこんなことやってるんだろうかって」
「何のためにか・・・そうだね」
「利成も奏空みたく前世がどうって話しで、自分の前世ってわかってるの?」
「わかってる部分もあるよ。でも奏空みたくクリアじゃないからね」
「クリアじゃないってどんな感じ?」
「そうだな・・・少し靄がかかっているような感じかな?」
「そう・・・私と利成って何か関わっていたの?」
「多分、そんなに関わってないと思うよ」
「え?そうなの?関わってたからまた一緒にいるんじゃないの?」
「そういう場合もあるよ。明希なんかは完全にそうだし・・・。奏空もね。でも咲良は違う気がするよ」
明希はそうなのに咲良は違うと言われて、何となく寂しい思いがしてくる。
「咲良も本来は奏空の側だからね」と利成が付け足す。
「奏空の側とは?」
「んー・・・変な話しだけど、奏空は光側、俺は闇側、奏空の言い方で言うと、奏空は白石、俺は黒石・・・つまり咲良も白石なんだよ」
「私が?私は自分では闇側だと思うけどな」
「ハハハ・・・そう?何で?」
「だって心の中が真っ暗・・・色んなこと考えてるし・・・それはそんないいことじゃないよ」
「そうか・・・でもその考えてる部分は咲良じゃないからね」
「え?私じゃないってどういうこと?」
「”考え”はあくまでも”考え”で、咲良の本体じゃないんだよ。それを証拠に、考えなんてどんどん変わっていくでしょ?」
「・・・それはそうだけど・・・」
「変化していくものは咲良本体じゃないんだよ」
「えー・・・どういう意味かわからないよ」
「・・・そうか・・・少し説明が難しいからね。まず物事は目で見てるわけじゃないんだよ」
「目で見てるわけじゃないなら、どこで見てるのよ?」
「簡単に言うと、波動かな?まあこれもすべてじゃないけど・・・」
「波動?それもわからない」
「そうか・・・」
「やっぱり奏空も利成も私とは違う世界にいるような気がする・・・」
そう言ったら利成が立ち上がって咲良の隣に座った。そして怪我をしている肩をそっと撫でた。
「目の前にいるのに違う世界にいるような感覚がする・・・それがまさに目で見てない証拠だよ」
ハッとして咲良は利成を見つめた。優しい表情で利成は咲良を見つめていた。
「今日は絶好のチャンスなんだけど、咲良が怪我してるからね」
急に楽しそうな笑顔になって利成が言った。
「・・・前は利成が怪我をしていたけどね」
咲良が言うと利成が「フッ」と笑った。
「そうだね、あれは俺が怪我をしてる時だったね」
そうだ、美園はあの時の子だ。咲良はあの何も考えずに利成と抱き合った日のことを思い出していた。
「こないだの奏空は、ほんとに死にかかったからね。今日は大人しくしてないとね」と利成が咲良から少し離れてソファの背もたれにもたれた。
「ほんとにって・・・」
「高熱の時・・・子供の頃も同じことがあってね、あの時は転換期で奏空自身が目覚めるためだったみたいだけど、今回はどうやら違うみたいだったからね」
「違うって・・・どう違うの?」
咲良は恐る恐る聞いた。もしかしたら本当に奏空を失ったかもしれなかったのだろうか?利成が咲良の表情に気がついて、優しい笑顔になって少し咲良の頬を撫でた。
「大丈夫だよ、咲良のせいじゃないから。あれは奏空自身の問題だよ」
「どういうこと?私、あの時ほんとにギスギスしてて、奏空にひどいことしちゃったのよ」
そうだ、あの時利成のことを思いながら・・・。
「だとしても、奏空の問題。んー囲碁で言うなら、悪手・・・でもないな・・・感情的になって局そのものが見えなくなったんだろうね」
「奏空が?感情的になってなの?」
「そうだよ」
「だって奏空は今まで感情的になって失敗するなんて見たことないよ?」
「でもあの時はそうだったんだよ」
「信じられない・・・でもそうだとしたら私のせい・・・」
「どうやら咲良も明希のように自分自身を攻撃しやすいみたいだね」
「明希さんみたく?」
「そうだよ。明希は咲良よりもっとひどかったけどね。まるで世の中の悪いことは、全部自分が悪いみたいなくらいに思って生活してたよ」
「そんなに?」
「うん・・・いつも不安定で・・・俺に指示してもらわないと動けなかったよ」
「そうなの?でも今の明希さんはすごく自信にあふれて見えるけど・・・」
「最近はそうだよ。一樹という支えを得たからね」
「一樹さんて・・・二十年くらい明希さんを思ってたとか聞いたけど・・・」
「そうだよ。一樹は・・・・・・ま、いいか」
「何?言いかけてやめるなんて気になるじゃない」
そう言ったら少し考えるような顔を利成はしてから口を開いた。
「一樹は俺の奥の手なんだよ」と利成が少し楽し気な表情を作った。
「奥の手?」
「そうだよ」と利成が笑顔になって窓の方に視線を移す。
「意味がわからない・・・」
「・・・多分言っても意味が分からないと思うよ」
「言ってよ」と咲良は少しむきになる。奏空もそういう言い方をするのでカチンとくるのだ。
利成が視線を咲良に戻して見つめてくる。
「・・・明希は自分の不安定さを保てなくなった時、きっと俺じゃない支えを求めるだろうってね。一樹もどこかでそれを知ってて、結婚もしなかったんだよ。まあ、だとしても二十年以上はさすがだね」
「・・・・・・」
「咲良とのことが明希にわかって、いよいよ明希は自分を失いそうになった・・・と言っても、それも錯覚なんだけどね。でも孤独や恐怖心は人を惑わすには十分すぎるからね・・・明希は一人で立つことより、誰かに支えてもらう方を選んだ・・・明希ならそうするだろうと知ってて一樹のことを放っておいたんだよ」
「わざとってこと?」
「そうだね」
「ちょっとひどくない?」
「そう?でも今の明希は自信に満ちて幸せそうでしょ?」
「・・・・・・」
確かにそうだった。以前よりずっと明希は明るかった。
「そうだとしても・・・ほんとは利成に愛されたかったんだと思う」と咲良は言った。
「愛してるよ。明希のことを」
「・・・そうじゃなくて、明希さんだけをってことだよ」
「そうか・・・明希に対しては俺の中では誰よりも特別なんだけどね」
咲良の心がズキンと痛んだ。ああ、何故だろう。身体が勝手に反応するのだ。咲良はいつまでも利成に惹かれている自分を持て余すような気持ちになった。咲良が黙っていると利成が言った。
「咲良も愛してるよ?」
咲良は顔を上げて利成を見た。利成は真面目な顔で咲良を見つめていた。
「二番目はごめんだよ」と咲良は利成から目をそらした。
「そうか・・・女性はそうだね。一番とか二番とか特別とかそういうのにこだわるね」
「こだわるでしょ、男性だって」
「男にしてみれば、みんな一番だけどね」
「今、明希さんのことを誰より特別だって言ったくせに」
「その”特別”は違う意味だよ」
「違うって?」
「知りたい?」
「・・・・・・」
「怪我が治ったら俺のとこにおいでよ。そしたら全部教えてあげるよ」
「あーサイアク!さっき奏空が死にかかったから大人しくしてるって言ってたじゃない」
咲良は利成を睨んだ。
「アハハ・・・そうだね。でもそれは”今”の話しだよ」
「何それ。まったく利成は奏空の父親なんだよ?息子の嫁を口説くってどうよ?」
「どうでもないよ。昔からの因縁で奏空とは勝負してるからね。ま、そうでもしてないと世の中退屈すぎてそれこそ死んじゃうからね」
「退屈なの?利成は」
「退屈だよ」
「名声も財産も才能も何もかも持ってるのに?」
「そうだね。一番馬鹿らしいもの持ってるかもね」
「何よ、それ。持ってない人にしてみればひどい嫌味だよ」
「そう?・・・小学校の時俺の風景画が金賞を貰ったんだけど、あの時のようなしらけた思いで俺は生きてるよ」
「は?意味わかんない」
「模写ってわかるだろ?完璧に真似することだよ。努力をしなかったわけじゃないけど、大概のことは仕組みがわかればできるようになっててね。昔明希にも言われたけど、「できるなら楽しいんじゃない?」ってね。でもそれは、”できなかったことができるようになること”が楽しいんだし、”知らなかったことを知ったから”楽しいんだよ。最初から知っていることをなぞっていくことなんて退屈でしょ?そういう意味で、俺は毎日模写をしてる気分なんだよ」
「・・・よくわかんないけど・・・それでも才能のないできなかった私からしてみれば、贅沢な悩みに聞こえるよ」
「そうか・・・才能ね」
「そうでしょ?才能ないと・・・努力だけじゃどうにもならない範囲があるよ。利成にならわかるでしょ?」
「そうだね、”足るを知る”ってところは当然あるよ。地球はそういう星だからね」
「地球って・・・急に大きくなったね」
「アハハ・・・そう?咲良だから大サービスでここまで話したよ。後は咲良が俺のものになってからね」
「・・・・・・」
咲良は最近利成や奏空から聞く意味不明だけど何だか本当のような・・・そんな不思議な話を聞くのも楽しくなっていた。
夜は明希と利成と美園と共に咲良は食事をした。明希は本当に明るくなったよ咲良は明希が利成と話している姿を見て思った。
「ねえ、利成さん。どうやって歌って作るの?」と美園が聞いている。
食事と後片付けを終えた後、明希は先に入浴していた。
「思いうかぶままだよ」と利成が答えている。
「思い浮かぶの?すぐに?」
「すぐの時となかなか思い浮かばない時とあるよ」
「そうなんだ。奏空は曲は降りてくるって言うんだけど、ちっとも降りてこないよ」
「アハハ・・・そうなの?」と楽しそうに利成が言った。
「うん。まったく」
「そうか・・・美園はきっともっと違うことをしたらってことだよ」
「違うこと?」
「そう・・・そうだな・・・咲良みたくお芝居するとかどう?」
「お芝居?劇ってこと?」
「そうだね」
「えー・・・だって咲良って全然売れなかったんでしょ?」
リビングの隣のダイニングテーブルの椅子に座っていた咲良にも声は聞こえている。
(まったく・・・どこからその情報仕入れたんだろ?)と咲良は思う。
「美園は売れたいんだ?」
「うん。どうせならね。じゃないとつまらないよ」
「そうか・・・その辺はなかなか難しいところだね」
「難しくないじゃん。利成さんも奏空も売れてるんだから」
美園の言葉に利成がまた笑った。
「それはまあ、そういうことになってたからね。でも美園がどうかはわからないよ」
「えー・・・私も一緒がいいな」と美園が不貞腐れてような顔をする。
そこで玄関の方から音が下。
「あっ、奏空かな」と美園が立ってリビングを出て行く。咲良がふと見ると利成と目があった。
「美園は売れたいらしいね」と利成が笑って言った。
「まあ、何も知らない子供なのよ」と咲良は言った。
「そうだね・・・でも、女の子は成長が早いからね」
「そうだね、色んな意味でね」と咲良が答えるとリビングのドアが開いて奏空と美園が入って来た。
「おかえり」と咲良が言うと「咲良~ただいま」といつものようにわざわざ咲良のいる方まできて、座っている咲良に抱きついてくる。
「今日は早いね」と咲良が言うと「だって今日は咲良のことお風呂に入れなきゃ」と言う奏空。
足も手もダメなので、どうしても誰かに手伝ってもらわないと髪も洗えなかったので、奏空が手伝ってくれていた。咲良は美園に手伝ってもらうからいいと言っているのに、自分がやると言ってきかないのだ。
「あれ。奏空おかえり」とお風呂から出て来た明希が言う。
「ただいま」と奏空が答えてからリビングに向かって「利成さんもただいま」と言った。
「おかえり」と利成が素っ気なく言ってから立ち上がってリビングを出て行く。その後を追って美園もリビングから出て行った。
奏空の食事が終わると「じゃあ、お風呂入ろ」と奏空が言ってくる。
「ほんとにいいのに」と無駄な抵抗だと思いつつも咲良は言った。
「いいからいいから」と咲良は支えられてお風呂場まで連れて行かれる。
「ちょっと下着の取り換え持ってくるよ」と咲良が言うと、奏空が「いいよ。持ってきてあげる」と以前怪我をした時に利成が使っていた部屋まで行って奏空が咲良の下着を持って来た。その部屋は今回は咲良と奏空が使っていた。
「よくわかったね」
「わかるよ、そりゃ」と奏空が楽しそうに言う。
服を脱ぐのに一苦労してまだ固定している腕を濡らさないようにビニールを巻き付けた。足も同じくである。
(あー・・・とにかくお風呂が面倒だな・・・)
奏空が浴槽に入って咲良の頭にシャワーをかける。
「怪我治ってもこうしない?」と奏空が咲良の頭を洗いながら言う。
「治ってもこうやって奏空に洗ってもらうってこと?」
「そうそう」
「そんなの嫌に決まってるでしょ?何言ってるの?」
咲良は呆れ声を出した。
「そんな冷たい言い方しなくてもいいじゃん」と奏空が咲良の頭をこする手に力をこめた。
「それに奏空はまたこれからツアーが始まるでしょ?家にいないじゃん」
「そうだけどさ・・・いる時は一緒に入ろうよ」
「やだよ。教育上良くないでしょ?」
「何その教育上って」
「美園はもう結構年頃なんだよ?二人で入るのってちょっとでしょ?」
「意味わからないけど?三人で入る?」
「違うって。バカじゃない?」と咲良が言うと奏空がシャワーを急に咲良の頭にかけてきた。
「あ、ちょっと。腕にかかった」
「もう。咲良ってさ、俺のことほんとに好きなの?」と奏空が構わずシャワーをかけてくる。
「・・・好きだよ」
「そうは思えないなぁ・・・発言が」
「・・・こういう性格なのよ」
「そうかもしれないけどね」
浴室から出ると奏空がバスタオルで咲良の身体を拭いてくる。
「拭くくらいはできるよ」とバスタオルを奏空の手から取ろうとしたら、無言で阻止されてそのまま頭をごしごしとやられる。それからバスタオルで身体を包まれたまま抱きしめられた。
「ちょっと奏空、裸じゃない?早くお風呂に入っておいでよ」と咲良は言った。
「あー何か俺、咲良が好きすぎる」と奏空が言う。
「わかったから、入ってきなよ」
咲良が優しい声を出すと奏空がやっと身体を離した。それから咲良にTシャツとパジャマのズボンを履かせてから「じゃあ、入ってくるね」と浴室に入って行った。
咲良はそんな奏空を見て少し切なくなる。自分は奏空を好きだけど、奏空のように感情をあまり外に出せない。
(こういうところが女優業失敗した原因かもね)と少し思う。
浴室から出てキッチンに行くと利成と鉢合わせた。利成が咲良の濡れた髪と胸のあたりに視線を一瞬だけ向けた。
(あ、まずい・・・)
上はTシャツだけでノーブラだった。最近は胸も下がり気味だ。そういうところを利成には見られたくなかった。
「何か飲む?」と利成が言う。
「うん、水飲もうと思って」と咲良が言うと、利成が冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出した。そしてグラスに注いでいる。
「はい」と渡されて咲良はその場でグラスの水を飲んだ。
「美園に宿題教えてたよ」と利成が言う。
「え?そうだったの?ごめん」
「別に謝る事じゃないでしょ」と利成が笑顔になる。
「でも助かる。私じゃもう五年生の勉強見れないのよ」
「そうなの?普段は奏空が見てるとか?」
「ううん、奏空はいつも帰りが遅いから無理だよ。そのままかな。自力でやってもらってる」
そう言ったら利成が少し笑った。
「そう、美園はあんまり勉強が好きじゃないみたいだよ」
「そうでしょ?宿題もやってないことあるみたいだしね」
咲良がシンクに立っている利成のそばまで行って自分の使ったグラスを洗おうとしたら、「いいよ、置いておいて」と言われる
「ん・・・大丈夫だよ。一つくらい洗える」と咲良が蛇口に手を伸ばすと利成が先に手を伸ばし蛇口を開けた。
「奏空とはどう?」
「何が?」と咲良はグラスをゆすぎながら言った。
「何だか今日は咲良が随分色っぽいから」
利成の言葉に咲良はグラスを洗う手を止めた。
「・・・変なこと言わないで」と咲良は蛇口に手を伸ばし水を止めた。
「やっぱり俺のとこにおいで」と利成が咲良の頬に手を伸ばしてきた。咲良が利成を見上げると後ろから「咲良」と呼ばれた。振り返ると濡れた髪のままの奏空が立っていて咲良ではなく利成の方を見ていた。
「こないだはやばかったけど、もうああいうチャンスはないからね」と奏空が冷めた表情で利成を見て言った。利成は特に表情も変えず平然としている。
奏空がスタスタと咲良のそばまできてから背中から支えてくる。それから「もう寝よ」とそのまま咲良は背中を押された。
部屋に入るとベッドにドサッと奏空が座った。ひどく機嫌が悪そうだった。咲良も奏空の隣に座る。
「奏空?」と咲良が声をかけると奏空が咲良の方を見た。
「仕事休んで咲良の面倒見ようかな」といきなり奏空が言う。
「何?いきなり。そんなの無理でしょ」
「やっぱダメだよ。あの人は」
「あの人?」
「利成さん。全然ダメ」
「何がダメなのよ?」
「ほんとのこと言うと、そろそろこの勝負やめたいんだよね」
「何の勝負?また例のやつ?」
「例のやつって?」
「前世絡みのだよ」
「そうだよ。それ」
「もうやめたいの?」
「そう。これね、延々とやってるんだよ。そろそろやめたいでしょ」
「・・・わからないけど、やめたきゃやめればいいんじゃないの?」
「ダメだよ。利成さんが降参してくれないと」
「何でよ?奏空だけやめればいい話じゃないの?」
「・・・そういうことでもないんだよね」
「ふうん・・・よくわかんないわ」
「しかも、向こうは最近長考気味でさ、俺もあんまり動きづらいんだよね」
「動くって意味がわからないんだけど?二人は何の勝負してるの?昼間利成がこの世界が退屈だから奏空とでも勝負してないとやってられないみたいなこと言ってたけど」
「えっ?そんなこと咲良に言ったの?」
「そうだよ」
「わー・・・また反則技使う気満々?だからやなんだよもう」
「反則技って何よ?」
「そういう話しだよ。あんまり教えちゃダメでしょ」
「どうして?」
「あんまり教えると、咲良が自分で気づけなくなるでしょ?」
「私が何に気づかなきゃならないの?」
「・・・気づかなきゃならないことに気づかなきゃならないんだよ」
「・・・・・・」
「そうか・・・俺が死にかけてすっかり調子に乗ってるわけだ」
「ちょっと!親が子供が死にそうになって調子に乗るわけないでしょ?」
咲良がそういうと奏空が咲良の顔をもう一度見てからため息をついた。
「オッケー。俺も反則技一個使おう」
「は?」
「”死にそうになって”ってね、実際はないことなんだよ」
「は?よくわかんない」
「んー・・・ちょっと衝撃的なこと言うよ?」
「・・・・・・」
「人は死ねないんだよ」
「は?衝撃的だわ、それは」と咲良がバカにしたように言うと奏空がため息をついた。
「ほら、やっぱりこうなるでしょ?でも実際そうなんだからしょうがないね」
「じゃあ、死んだ人たちは?あれは一体なんなのよ?」
「んー次はもっと衝撃的だけど・・・」
「言ってよ」
「この身体の中は空っぽなんだよ」
「・・・・・・」
「やっぱね、ついてこれないか・・・」
奏空が諦めたような顔をした。
「ついて行けないけど、ついて行くよ」と咲良が言うと、奏空が笑顔を咲良に向けた。
「うん、諦めないで、ついてきて。咲良が気づくまでは俺も諦めないから」
「・・・・・・」
「よし!俺も責めで行こう」
何だかわからないけど、まあいいか・・・と咲良もつられて笑顔になってしまった。
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