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フローライト第三十四話
ライブのリハーサル中に利成が怪我をした。台座が急に崩れて足から落下し、骨折はしなかったが酷くひねってしまい、当分は安静になってしまった。
咲良はその連絡を明希からの電話で聞いた。
「じゃあ、入院してるんですか?」と咲良が聞くと「ううん、検査で一日入院したけど、後は家で大丈夫だっていうから」と明希が答えた。
「そうなんですか・・・大丈夫なんですか?」
「うん・・・まあね。でも、何せ歩けないものだからトイレに行くのもやっとで・・・」
「そうなんですか・・・じゃあ、明希さん大変ですね」
「うん・・・まあ・・・それで、すごく申し訳ないんだけど・・・利成が個人でやってる会社のいくつかを私が任されてて・・・何度かは出かけなきゃならなくて・・・奏空は毎日忙しいし・・・咲良さんに付き添い数時間でいいから頼めないかしら?」
「え?」と思う。
「もちろん咲良さんのお仕事の都合もあるだろうから・・・それに合わせてていいから」
「・・・私は大丈夫ですよ。行きます。いつですか?」
「明日なの。ごめんなさい。急で・・・」
「あ、全然いいです。行けます。何時頃ですか?」
「午後からでいいの。数時間だけ・・・」
「はい。わかりました」
利成が怪我だなんて・・・おそらく初めてのことじゃないだろうか?
次の日の午後、咲良は久しぶりに天城家に訪れた。今のマンションに移ったのが夏の終わり頃で、季節は秋に移行していた。
「ごめんなさいね」とすまなそうに明希が言う。
「いいえ、全然大丈夫です」と咲良は明るく答えた。
二階だと大変だからと、利成は一階の部屋にいてできる仕事をしているらしい。
ドアをノックすると「はい」と声が聞こえた。咲良がドアを開けると利成が振り返る。思ったより全然元気そうだった。
「あ、ごめんね。わざわざ」と利成が言った。
「いいえ・・・大丈夫?」
「歩く以外は大丈夫だなんだけどね」
「そうなんだ。仕事中?」
「仕事ってほどじゃないんだけどヒマだからね」
「そうなんだ・・・じゃあ、何かあったらスマホで・・・」
そう言いかけたら利成が「少し話そうよ」と言ってきた。
「いいけど・・・」
「適当に座って」と言われて目の前にあった椅子に座った。座り心地のいい一人用のリクライニングできる椅子だ。
「あのマンションでの生活はどう?慣れた?」と聞かれる。
「まあ、慣れたよ」
「奏空とはどう?」
「どうとは?」
「仲良くやってる?」
「やってるよ」
「そう・・・」と利成が咲良の顔を見つめてくる。何だか急に気まずくなって咲良は目をそらした。
「怪我って・・・どうして?」と聞いた。
「舞台に組んであった台座が何故か崩れてね・・・そんな高い位置でもなかったのに変な落ち方しちゃったんだよ」
「そうなんだ・・・痛かった?」
「まあね」
「そう・・・」
「でもデビュー以来、こんな風にゆっくりしたことなかったからね、ちょっと満喫してるよ」
「そう・・・ずっと第一線で活躍できてるんだもんね。それはすごいよ」
「すごい?」
「うん、利成も奏空も・・・」
「咲良は女優はもうやらないの?」
「やらないっていうかやれないよ」
「どうして?」
「知ってるでしょ?何もかも私は中途半端なのよ。美人でもないし、グラマーでもないし、物凄い演技派でもない。売りどころがまったくないの」
「俺にとっては咲良は売りどころがあるよ」
「・・・何?口説き文句?」
「ハハ・・・そうだね」
「でもその足じゃ何もできないでしょ」と咲良は包帯の巻かれた利成の足を見た。
「そうだね」
「何か飲み物とかいる?持ってくるよ」
「じゃあ、まずトイレまで支えてもらっていい?」
「あ、うん」と咲良は立ち上がった。利成が椅子からゆっくり立ち上がるのを手伝った。
利成の手が咲良の肩にそえられる。身体をぴったりつけて歩いているとふと不思議に思った。
「ねえ、何で明希さん、私になんて頼んだのかな?」
「頼める人がいなかったんでしょ」
「いるじゃない。利成なら色々、頼めば喜んで来てくれるよ」
「明希は咲良が良かったんだよ」
(そうかな・・・)とちょっと違和感・・・。
利成がトイレから出てきて一緒にキッチンまで行った。
「あるもの飲んでいいし、適当に食べていいよ」と利成が言う。
「うん・・・でもまずソファに座って」と咲良は利成をリビングまで連れていった。
利成が座ってから身体を離そうとしたらそのまま引き寄せられた。
「ちょっと?」と離れようとしても押さえられてて身体が離れない。
「足以外は全然大丈夫なんだよ」と利成が言う。
「ねえ・・・やっぱり何か気になる」
「何を?」
「明希さんだよ。私をわざわざ呼んだの」
「どう気になる?」
「・・・盗聴器とかつけられてない?」と咲良が言ったら利成が声をたてて笑った。
「考えすぎだよ」
「でも・・・何て言うの?多分明希さん・・・」言いかけたらいきなり口づけられた。咲良は焦って利成から唇を離した。
「奏空に言うから」と咲良が言ったら利成が目をぱちくりさせてから言った。
「どういう意味?」
「奏空に言われたの。何かされたら俺に言ってって」
そう言ったら利成に爆笑された。
「そうか・・・じゃあ、何かしようか?」と利成が楽しそうだ。
「もう、まず離して」と咲良が言うと利成が手を緩めた。
「前から思ってたけど・・・」と咲良は利成の前に立ったまま言った。利成が見上げてくる。
「何人くらいとやったの?それと何であんな可愛い奥さんいるのにそうなの?」
そう言うと利成がまた少し面食らったように目をしばたたかせてから笑い始めた。
「もう、咲良って最高だね」と笑っている。
「もう!笑い事じゃないでしょ?」
「じゃあ、座りなよ。教えてあげるから」と笑いながら利成が言う。咲良は少し離れて利成の隣に座った。
「どの辺から言う?」
「どの辺とは?」
「デビュー前から?その後から?」
「とりあえず、結婚してからでいいよ。早く結婚したんでしょ?」
「そうだね、大学出てデビューしてからすぐかな。明希が妊娠したからね」
「そう・・・その子供は・・・」
「知ってると思うけど死産したよ」
「ん・・・」
「その時マスコミに騒がれて明希がいったん実家に戻ったんだけど、その時に別な人とやったよ」
「え?そんな時に?酷い」
「そうだね」
「それが初めて?」
「そうだよ、結婚したあとでは初めて」
「もしかして結婚前もあったの?」
「一度あったかな?これは明希には言ってないけど」
「酷い、何それ。誰と?」
「元カノ」
「は?」
「ライブに元カノが来てね。したそうにしてたからホテルに誘ったよ」
「最低・・・その後は?」
「んー・・・誰だっけ?最初が女優さんで・・・その後は・・・モデルの子だったかな?忘れたよもう」
「あーサイアク・・・私は何人目よ?」
「咲良は・・・何人目って重要?」
「重要ていうか・・・」
「咲良を誘ったのも軽い気持ちだけど、なかなか誘いに乗ってくれなかったからちょっと意地になったよ」
「そうだね、かなり強引だったもの」
「駆け引きが面倒なだけだよ」
「ふうん・・・」
「でも咲良とはほんと楽しかったよ」
「は?それ嘘でしょ?やったらすぐシャワーかけて帰ってたくせに」
「ハハ・・・そうだった?よく覚えてるね」
「覚えてるよ、そりゃあ。何度も寂しい思い・・・を」と言いかけて咲良は口をつぐんだ。
(やだな・・・また思い出しちゃったよ・・・)
あの頃の気持ちを・・・もう忘れてたのに・・・。
「咲良、ごめんね」と急に利成が言ったので驚いて咲良は利成を見つめた。
「楽しかったっていうのは本当なんだよ。今も楽しいしね」
「そう・・・」と咲良は利成から顔を背けキッチンに行った。
(何だかまた気持ちが・・・というより・・・)
身体が疼いてない?
(あーサイアク!)と自分に腹が立った。
「お茶?コーヒー?紅茶?」とキッチンから咲良は叫んだ。
「ウイスキーがいいよ」
「えー大丈夫なの?」
「少しくらいは大丈夫だよ」
利成がそういうので咲良はグラスに氷を入れた。そして勝手知ったる何とやらでウイスキーの入っている棚の扉をあけた。
「何で割るの?」
「いいよ、氷だけで」と利成が言う。
咲良はウイスキーを少しだけグラスに注ぐと利成のいるリビングまで持って行った。
「はい」と渡すと「ありがと」と受け取る利成。
(何だか怪我してる方が可愛いかも?)と利成の表情を見て思う。
「で、もう一つの質問だけど・・・」と咲良はソファに座った。
「ん?」
「明希さんみたいな純粋で可愛い妻がいるのに、そういうことをずっと続けるのは何故?」
「・・・そっちは難しい質問だね」
「でも理由があるでしょ?」
「理由ね・・・」と利成が窓の方に顔を向けた。
「若い時はただセックスがしたかったんじゃないかな」
「性欲が理由ってこと?」
「そうだね」
「じゃあ、今は?それに性欲なら妻にしたら解決するでしょ?」
「そうだね・・・やるだけならそれでもいいのかな」
「どっちにしたってやるだけでしょ?」
「ハハ・・・そうだね。でも妻に対しては少し違うでしょ?」
「どう違うの?」
「例えば子供が欲しいって言われてするのと、ただ性欲でするのとでは変わってくるでしょ?」
「子供が欲しいと性欲が一致すれば同じことにならない?」
「そうかもね。でもなかなかその辺は難しいよ」
「奏空の時は?欲しくてなんでしょ?」
「そうじゃないよ。できればできたでいいみたいな気持ちだね」
「明希さんも?」
「明希は欲しかったっていうより、子供を二回も死産したことで自分のことを欠陥品みたいに思ってたからね、そのコンプレックスが強くて・・・おそらくそのせいでしばらく妊娠しなかったんだろうね」
「そうなんだ・・・二回も・・・」
「咲良はどうなの?子供欲しいの?」
「私は別にそんなに欲しくはないよ」
「何で?」
「だって育てなきゃならないでしょ?そういうのって自信ないし・・・」
「そうか・・・」
「それに奏空だってどうなるかわからないし・・・」
「どうなるかって?」
「別れるかもしれないでしょ?今はいいだろうけど」
「何でそう思う?」
「奏空が若いからだよ。まだこれから色々経験積んでいくわけだし・・・私が邪魔になってくるかもしれないからね」
「そうなったら別れる?」
「別れるよ。しがみついたっていいことないもの」
「そうか・・・」
利成がウイスキーを一口飲んだ。
「利成は明希さんが大事なんでしょ?」
「・・・そうだね」
「じゃあ、もう他の人のところいくのやめなよ」
「・・・・・・」
「利成?」
「咲良はほんといいね」
「何が?」と咲良が聞いても利成は黙ったままだった。それからウイスキーを飲み干すと「悪いけど部屋まで頼んでいい?」と言った。
「もちろん、そのために来てるんだから」と咲良は利成が立つのを手伝った。部屋まで行くと「ベッドに座らせて」と言うのでベッドのところまで行く。
「このベッドって上から運んだわけじゃないよね?」
「買ったんだよ。ここはどうせ誰かが泊る時に使う部屋だからね」
「そうなんだ」と咲良もベッドの上に座った。
「今日は奏空、遅いのかな」と窓の方を見た。
「さあ・・・」と利成も窓の方を見た。
「やっぱり何か気になるな」
「何が?」
「明希さんだよ」
「何?盗聴器の話し?」
「そう、だって私に頼むな・・・」言いかけた途中で利成に今度は押し倒された。
「そうだね、咲良としていいよって意味かもよ?」
咲良は利成を見つめた。
「そんな足じゃ無理でしょ」
「そうだね。でも、咲良だけ気持ちよくさせてはあげれるよ」
「いらないから。奏空になんて報告するのよ?」
「ハハ・・・また奏空?」
「・・・奏空ってほんと不思議な子なんだよ」
「そう」と言って利成が咲良の髪を撫でてくる。そんなことを利成にされたのは初めてだった。
利成の唇が近づいてくる。その時リビングのドアが閉まる音が聞こえた。利成がドアの方を見てから身体を起こした。すると、ドアがノックされたと同時に開いて「咲良!」と奏空が顔をだしたので咲良は驚いた。
「ただいま!」と奏空が言う。
「おかえり。びっくりした。何でこんな早いの?」
「仕事が一つなしになったんだよ」
「そうなんだ」
「利成さん、大丈夫?」と奏空が利成の方を見る。
「大丈夫だよ」
「そう?無理しないでね」
「ん・・・」
「明希はまだなんだ?」
「うん」と咲良が答えた。
「じゃあ、明希が帰るまでいるから」と奏空が言った。
「少し休むから二人共好きにしてていいよ」と利成がベッドの布団をめくった。
「じゃあ、何かあったら呼んで」と奏空がスマホを持つように手を耳に持って行った。
「ん、わかったよ」と利成が言う。咲良が布団をかけるのを手伝うと利成が「ありがと」と言った。
リビングに行くと後ろから奏空が抱きついてきた。
「咲良、大丈夫だったよね?」
「何が?」
「利成さん」
「大丈夫だよ」
「ならいいけど」と奏空が離れる。
「それより気になることがあるの」
「何?」と奏空がキッチンに入って行った。それを後ろから追いかけて話す。
「明希さん・・・何で私に頼んだんだろう?」
「さあ?咲良が良かったからでしょ?」
「そうなのかな・・・」
「そうそう。何か気になることあるの?」
奏空が冷蔵庫からペットボトルに入ったお茶を取り出している。
「うん・・・何かね」
「そう?咲良、お茶飲む?」
「ううん、私はいいよ」
「そう」と奏空がペットボトルのままお茶を飲んだ。それからリビングのソファに座ってテレビをつけた。
咲良も奏空の隣に座ると奏空が肩を抱いて口づけてきた。
(あ、そうだ、さっき利成とキスしちゃったっけ・・・)
でもま、いいかと奏空のキスを受け止めていたら奏空が唇を離してから言った。
「利成さんとキスしてないよね?」
「え?・・・してないよ」
「んー・・・ちょっと怪しい・・・」
「奏空?いつも思うけど・・・奏空ってほんとは読心術できるの?」
「できないよ?ということは?やっぱりしたんだ?」
「してない」
「したでしょ?」
「してないから」
「ああ、俺今日早く帰って良かった」と奏空がまた口づけてくる。
(やっぱり奏空って超能力ない?)
奏空が口づけながらソファに押し倒してきた。それから咲良の脇の下や腰の辺りをくすぐってくる奏空。
「ちょっと、くすぐったいって!」と咲良が笑いながら身体をよじると「ダメ!お仕置き」と更にくすぐってくる。
「わかったって!ごめん」と言うと「あっ!やっぱり?」と奏空が余計にくすぐってきた。
「ちょっと、勘弁して」と言うと「ダメ!」と奏空が言う。その時咲良のスマホが鳴った。
「あ、鳴ってる。ちょっと待って!」と奏空を押しのけた。
「はい?」と出ると利成が「悪いけど何か飲み物頼んでいい?お茶でいいから」と言われる。
「いいよ」と通話を切ると「利成さん?」と奏空に聞かれる。
「うん、お茶が欲しいって」
「もう!何で咲良に?俺が持ってく」と奏空が立ち上がった。
「いいよ、そのために私来たんだから」
「何それ?利成さんのところ行きたいの?」
「違うって」と咲良はキッチンに行ってお湯を沸かした。
お茶を入れて利成の部屋に行こうとしたら奏空が「俺が持って行くから」とトレーを奪われた。
少ししてから奏空が戻って来る。
「もう一回釘さしといた」
「何のこと?」
「咲良に手を出すなって」
「手なんか出さないよ」
「出されてるでしょ?」
「出されてない」とふと窓の外をこっちに向かって歩いてくる明希の姿が見えた。
「あ、明希さん帰ってきたよ」
その日の夜はそのまま天城家で夕食を食べた。利成は明希が支えていた。
「奏空は仕事順調?」と明希が聞く。
「うん、まあね」
「そう、良かった」と明希が答えた。
後片付けを手伝っている間も明希は以前と変わらなかった。また頼むかもしれないと帰り際にすまなそうにしていた。
(やっぱり考えすぎか・・・)と帰り道奏空の車の助手席に乗った咲良は思った。
奏空は最近免許を取って車を購入していた。車の方がやはり目立たない。
マンションの部屋に帰宅してシャワーをかけてからパソコンを眺めていると、奏空が隣に座って横からのぞきこんできた。
「何見てるの?」
「ユーチューブだよ」
「ふうん・・・でもそれ利成さんだよね?」と言われる。
「うん、何か昔のがあったから」
「何で利成さん?」
「え?別に意味ないよ」
「咲良ってまだ利成さんのこと好きでしょ?」
「好きじゃないよ」
「んー・・・まあ、いいか」と奏空が口づけてからパソコンを消した。
「あ、何で消すのよ?」
「もう寝よう」
「・・・わかったよ」と寝室に入る。最近ダブルのベッドをいれた。
ベッドに入ると奏空がすぐに咲良の上に乗ってきた。そしてそのまま体重をかけてくる。
「ちょっと、重いんだけど」
「明日また行くの?」と奏空が体重をかけたまま言う。
「頼まれたからね」
明日も明希が出かけるからと頼まれたのだ。
「本当に気をつけてよ」
「大丈夫。もうそういうのはないから。それより明希さんが気になってしょうがないよ」
「何が?」
「だって・・・」
「明希も色々思うところはあるみたいだけどね」
「そうでしょ?そう思う」
「でも咲良は気にしなくていいよ」
「そうかな・・・」
「うん、そう」
「ところで重いんだけど?」
「このまま寝ていい?」
「いや、冗談。よけてよ」と咲良は奏空の身体を押し返した。
「俺とより利成さんの方がいいでしょ?」
「何が?」
「セックス」
「・・・そんなわけないでしょ?」
「ほんとに?」
「ほんと!だからよけて」
「やだ、よけない」
そう言って奏空口づけてくる。大丈夫だとは言ったけど本当は明日も不安・・・。
次の日の夕方、明希が出かける間咲良は利成についているために天城家に再び訪れた。
「ごめんね。連続で」と明希がすまなそうに言う。
「いいえ、全然大丈夫です」と答えながら明希の表情を盗み見たが、特に何か思っているような感じはなかった。
利成がピアノの部屋にいるというので、咲良はそこまで行き顔を出した。利成がピアノを弾いているのを見たのは初めてかもしれない。ここに住んでいるときも利成はこの部屋にはあまり来ていなかった。
「明希さん、二時間くらい出かけるからって」
咲良が後ろから声をかけると利成が手を止めてこちらを見た。
「そう。また来てくれたんだ?ごめんね」と言う。
「ううん、全然大丈夫よ」
利成がまたピアノを弾き始める。
(やっぱ上手いな・・・)
咲良が後ろに立ったまま聴いていると、利成が弾きながら「座ったら?」と言う。咲良は置かれている小さな椅子に座った。
「咲良、何かリクエストある?」
「リクエスト?んー・・・何だろう・・・」
「好きな曲ないの?」
「んー・・・じゃあ、もうすぐクリスマスだからクリスマスソングは?」
「ハハ・・・まだ早くない?」
「早くないよ。ハロウィンが終わればクリスマス」
「そうか、オッケー」と利成がクリスマスの定番の曲をメドレーで弾き始める。
(ああ、何か一人で聴いてるって贅沢だな・・・とピアノに聞き入る。
(そういえば奏空も上手いんだよね・・・)
奏空は利成の母親がプロにしようとしていたと明希から聞いたことがある。
「咲良、歌ってよ」と弾きながら利成が言う。
「え、やだよ」
「何で?」
「下手くそだし、知らないもの」
「歌なんて適当でいいんだよ」
「それ利成が言う?」
「ハハ・・・何で?」
「プロな人に言われたくないわ。利成が歌ってよ」
「ハハ・・・そう?いいよ。何がいい?」
「何でも。あ、私○○〇が好きなんだよね」
「そうなの?」と利成がピアノの曲を変える。それは利成のデビュー直後の歌だった。
(よくすぐ弾けるな)と感心する。
弾きながら歌う利成の声を聴きながら、何だかゆったりした気分になってくる。歌い終わって利成が弾く手を止めた。
「何かすごい良かった」と咲良は手を叩いた。利成を知ってからよく聴いていた曲だった。
「そう?ありがと」と利成がピアノのふたを閉める。
「あ、部屋に戻る?」と咲良は立ち上がった。
「足、まだ痛む?」と聞くと「もうそうでもないよ」と利成が答えた。
肩を貸してリビングまで行きソファに座る。
「足を痛めてちょっと得したかもね」と利成が言う。
「何で?」
「咲良とこうしていられる時間ができたよ」
「もう、そういう言葉には騙されないよ」
「ハハハ・・・何で?ほんとなのに」
「もう絶対嘘でしょ?」
「そんなことないよ。座りなよ」
咲良が立ったままでいるとそう言われる。咲良は利成の隣に座った。
(あの頃、こんな風に自然につきあえたらな・・・)
本当にそう思った。ただホテルに行くだけで帰ってくる。会話だってほとんどなかった。それでも誘われると断れなかった。やはり利成が好きだったのだ。
気が付くと利成に身体を引き寄せられていて、利成が唇を近づけてきた。
「ちょっと・・・」と顔を背けた。
「・・・奏空に言われる?」
「言われるよ。昨日だって言われたし」
「じゃあ、キスはやめよう」と言って利成が下半身に触れてくる。
「それはもっとダメだよ・・・」と言いながら何故か椅子から立ち上がれなかった。利成がズボンの中に手を入れてくる。
(ここリビングだし・・・)
明希が帰ってくるかもしれないし、キスじゃなくても奏空にはすぐばれてしまう。なのに離れられない。
(どうして・・・?)
急に濃厚に口づけられる。身体が思いっきり反応して求めてしまっているのを感じた。
(離れなきゃ・・・)
やっぱり来たらダメだったんだ・・・。と今更思う。
けれど身体が利成を求めていた。あの二年少しの日々で、咲良の身体はすっかり利成に慣らされていた。
(ああ、もう無理・・・)
利成のもう片方の手が咲良の胸を愛撫してくる。奏空には感じない何かを利成から感じる。
「俺が欲しいでしょ?」と耳元で言われる。そんなセリフも利成だと違和感がないのだ。
「もう・・・やめて・・・」と利成から咲良が離れようとすると、動かしていた利成の指がもっと奥まで入ってきた。咲良の身体が座っていられなくなって、利成に押されてそのままソファの上に倒れた。
「ダメだって・・・」と言う言葉はもう弱い。
強く胸をつかまれてから更に利成の指に突かれて、咲良はまた強い絶頂感に首をのけぞらせた。
(あ・・・もう・・・どうしよう・・・)
息を吐きながら利成を見ると軽く口づけられてから言われる。
「やっぱり咲良はいいね・・・」
「・・・・・・」
「物足りないでしょ?」
「・・・・・・」
そうなのだ、実は利成の激しいセックスに咲良の身体は鳴らされていて、優しい愛撫だけだと物足りなさを感じるようになっていた。でもまさかそんなこと奏空には言えなかった。
「・・・もうしないでよ」と咲良はズボンと下着を直した。
「しなくていい?」
「しないで」と咲良はもう一度言った。今日は奏空に何て言い訳したらいいのか・・・。
「今度は俺から奏空に挑戦状だね」と利成がまた胸を愛撫してくる。
「だからやめて」と今度は利成から離れて立ち上がった。
「・・・明希が来たようだね」と利成が窓の外を見ている。
「最低」
「咲良、自分の身体に素直になりなよ。まだ身体は俺のものだね」と利成が特に表情も変えずに言う。
玄関のドアが開く音がして少しの間の後、明希がリビングのドアを開けた。
「おかえり」と優しい表情で利成が言う。
「ただいま。あ、咲良さん、ありがとう。助かった」と明希が笑顔を咲良に向けてきたので咲良は何だかいたたまれない気持ちになった。
「いいえ・・・」と言って咲良は自分のバッグを持ちあげた。
「あれ?もう帰る?」と明希が言う。
「はい・・・」と咲良が言うと「ご飯食べていけない?」と言われた。
「すみません、ちょっと今日は用事があって・・・」
「そうなの?ごめんね。忙しいところ」と明希がすまなそうに言った。
咲良が「いいえ」とリビングのドアに向かうと「ありがとうね」と利成が言った。
咲良は利成とは目を合わせずに頭だけを下げて玄関に向かった。
(どうしよう・・・もう・・・)とマンションに戻ってからしばらく悶々とした。
夜九時近くに奏空が帰宅した。
「ただいま!」といつものように抱きつかれる。
「おかえり。ご飯は食べた?」
「食べてないよ」
「じゃあ、用意するね」と咲良はキッチンに行った。
おかずを器によそってご飯を準備してテーブルに運ぼうと顔をあげると、奏空がちょうど立っていたのでぶつかりそうになった。
「あ、びっくりした」
「咲良、今日どうだった?」
「何が?」と知らぬふりでテーブルに料理を運んだ。奏空が後からきてテーブルの椅子に座る。
「利成さんのところ行ったんでしょ?」
「うん、行ったよ」と咲良はなるべく明るい声を出した。
「利成さんどうだった?」
「もうだいぶいいみたいだよ」
「そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
「・・・いいや」と奏空がご飯を食べ始めた。
(・・・絶対気づかれてる・・・)
咲良も自分の分のおかずとご飯をよそうと食卓について食べ始めた。
「曲、また作ることになっちゃってさ・・・」と奏空が言う。
「そうなの?」
「そう・・・しかも二週間で持ってこいってそれはないでしょ?」
「そうだね」
「もう昔の曲リメイクして持っていこうかな」
「昔の曲?」
「うん、小学校の時から色々書き溜めてたやつ」
「そんな時から?すごいね」
「すごくはないけど、あの頃ユーチューブやってたからね」
「そうなんだ」
「うん、咲良はやってなかったの?」
「私はやってないよ」
「そうか・・・今からでもやる?」
「やだよ。何のために?」
「何のためでもなく」
「そんなの意味ないからやらない」
「そう」
奏空がそれから押し黙ってしまった。
(どうしよう・・・でも謝るのもね・・・もしかしたらわかってないかもしれないのに・・・)
奏空がシャワーに入っている間に先に寝室に入ると、自分のスマホにラインが来ていた。
<奏空に報告した?>と利成からだった。
(もう、一体何考えてるの?)
<報告なんてしないから>と返信してスマホを閉じた。
(私のライン、消したわけじゃなかったんだな・・・)とちょっと思う。ベッドに咲良が入ると、奏空が寝室に濡れた髪のまま入って来た。
「髪、乾かさないの?」
「ん、大丈夫」
「風邪ひくよ」
「大丈夫。それより・・・」と奏空がベッドに入って来る。そして咲良の上に馬乗りになってきた。
「また、重いって」
「やっぱりさ、咲良とは少し話さなきゃね」
「話すんなら上からよけてよ」
そう言ったら奏空が咲良から身体をよけた。咲良は身体を起こして「何の話し?」と聞いた。
「わかるでしょ?」
「わからないよ」
「んー・・・そうか・・・今回はどうするかな・・・」
「だから何が?」
「咲良の気持ちがだいぶ弱ってるみたいだしね」
「弱ってなんかないよ」
「快楽ってオプションなんだけど、ハマると割とやばいんだよね」
「オプション?」
「そうだよ。セックスもそうだし、まあ、色んな快楽があるけど、基本オプションだから」
「意味わからないけど?」
「俺とじゃ気持ち良くなれない?」
「・・・そんなことないよ」
「咲良に言っておくよ。俺に嘘つかないで。全部見えちゃうから無意味なんだよ」
「は?また読心術の話し?」
「心は読めないよ。ただわかるだけ」
「それが読めるっていうんでしょ?」
「違うよ。俺はエネルギーを見てるの。心は見えないよ」
「エネルギー?」
「そう。人それぞれ特有のエネルギーっていうか波動?みたいなものがあって、俺はそれがわかるんだよ」
「そうなの?初めて聞いた」
「初めて言ったよ。あまり人には言ってないから」
「いつからわかるようになったの?」
「多分、二歳頃かな?」
「二歳?覚えてるの?」
「覚えてるよ。俺、その時高熱を三日以上だして入院したんだよ」
「え?そうだったんだ」
「うん、四十度以上出て、三日間はびくとも下がらなかったって・・・。でも、下がってから急にわかるようになったんだよ」
「そうなんだ・・・」
「明希は完全に俺より弱かったから、その時から守ってもらうんじゃなくて守る側になったちゃったんだよね」
「守るって・・・二歳の子が?」
「さすがに二歳ではそこまで思わなかったけど、小学生くらいには完全にそう思ってたよ。俺、利成さんが咲良と付き合ってた時期知ってるよ。利成さんみたらエネルギーが変化してたからすぐわかっちゃったし・・」
「何それ?じゃあ、私と会った日とかわかってたの?」
「まあ、全部じゃないよ。俺もその頃中学生になるかならないかくらいだったと思うから、今よりまだ乱れがあったからね」
「そうなんだ・・・」
「だからあの週刊誌の記事に明希がかなり思い詰めてたのも気づいてたんだけど、明希は何でもシャッター閉めちゃうからアクセスできなくなるからさ」
「・・・それも意味がわからない」
「まあ、意味はいいよ、わからなくて。あの時利成さん、自暴自棄になって明希のこと壊そうとしたから俺が利成さんに注意したんだよ」
「壊すって・・・」
「明希は精神系が弱くて壊れやすいんだよ。ものすごいトラウマを抱えててそれは俺でも手が出せないよ」
「そう・・・」
「で、注意したら利成さん、俺のことにすぐ気づいたみたいでさ・・・まあ、その時から利成さんとは対等になったわけ」
「・・・・・・」
「俺、ほんとに咲良が好きになったんだよ?それはわかるよね?」
「うん・・・」
「咲良は明希より開放的だからずっとやりやすかったんだけど、開放的ってことはいつも門が開いているようなもんでさ・・・そこがちょっと困っちゃう」
「どういうこと?さっきからよくわからないんだけど」
「そうだよね・・・説明不可能だからスルーして」と奏空が少し笑った。
「でも・・・そうか・・・利成さん、本気できたか・・・」
「・・・・・・」
「どうやら咲良にかなり執着してるみたいだね」
「利成が?それは違うよ。利成は私なんかに執着しないよ」
「”私なんか”ってまずやめよ?それにそこが責めどころになっちゃって相手の思うつぼだよ」
「・・・・・・」
「どうするかな・・・今回ちょっと俺が不利じゃん」
「不利とは?」
「セックスで咲良を満足させてあげれない」
「だからそんなことないから」
「んー・・・そこのところ取っちゃいたいけど・・・」
「取る?」
「無理だな・・・」
(何なわけ?)
「奏空って霊能者?」
「ハハ・・・何で?」
「取るとか、俺にも無理とか・・・わけわからないこと一人でいってるから」
「ハハハ・・・そうだけど、霊能者じゃないよ。生きてる人間専門だし」
「生きてる人間って・・・」
「まあ、色々あるんだよ」
そう言ってから考え込んでいる奏空は、やはり何か特殊な能力を持っているのでは?
それから三日後、咲良のところに明希から電話が来た。また二時間程でいいからいてくれないかと言うのだ。咲良は迷ったけれど明希が本当の困った様子だったのでオーケーしてしまった。
夕方天城家に行くと、明希がいつもより綺麗におしゃれしていることに気がついた。なので「今日はすごく綺麗ですね」と咲良が言うと「え?そう?ありがと」と少し照れたように明希が答えた。
(ん?何か・・・)
咲良は明希の出かける様子を見て、もしかしてこれは逆なのでは?と思った。つまり目には目を状態?
「あのね、私間違ってたみたい」
利成の部屋に行くと咲良は言った。利成はパソコンに視線を向けたままマウスを動かしながら「何が?」と言った。
「明希さん」
「明希?」
「ん・・・盗聴器のこと」
「ああ、そうだね。そんなの明希には知識ないよ」
「そうじゃなくて・・・」
そう言ったら利成がマウスを動かす手を止めて咲良の方を見た。
「何が言いたいの?」
「・・・その・・・まったく確証はないから私の勝手な思いだよ?」
「ん、言ってごらん」
「目には目をっていうじゃない?」
「・・・・・・」
「だから明希さんも・・・」
「浮気してるってこと?」
「ん・・・あ、これ勝手な私の思いだから。やっぱり気にしないで」
咲良は焦った。夫婦の間にひびを入れるつもりは毛頭なかった。ただ思ったことはつい言ってしまう性分なのだ。
「まあ、それもあり得ることだよ」と利成がまたパソコンの方に視線を向けた。
「え?どうして?私としてはあり得ないと思ってるんだけど・・・」
「あり得ないと思っているのにそう思った何かがあるんでしょ?」と利成がパソコンを閉じた。
「まあ・・・」
利成が椅子から立ち上がったので咲良は慌てて立ち上がって支えようとした。すると利成が「大丈夫だよ」と言って咲良の座っているベッドの隣に座った。
「どうしてそう思った?」と利成が聞いてくる。
「何か綺麗になったから・・・あ、元々明希さんは綺麗だけど・・・」
「そう・・・」と利成は特に顔色を変える様子もない。
「・・・ごめん、変なこと言った」と咲良が言ったら「変なことでもないでしょ?」と利成が咲良に笑顔を向けた。
「明希さんに限ってそれはないね」と咲良も少し笑顔を作った。
「さあ・・・どうかな」と利成が咲良から目をそらして遠くを見るような目をしたので気になって咲良は「・・・何かあるの?」と聞いた。
「・・・明希はね、好きな人がいるんだよ」
「えっ?まさか・・・」
「今はどうかは知らないけどね、若い頃ずっと好きだった人がいてね」
「利成と会う前のことでしょ?」
「そうだね、でも結婚してからもずっとその彼が好きだったからね」
「結婚してからも?」
「そう、そのせいで本気で離婚になりかけたし、俺も何度も別れようかと思ったよ」
「え・・・ほんとの話し?」と咲良が驚いて利成を見ると、利成が少し微笑んだ。
「ほんとの話しだよ」
「信じられない・・・明希さんに?でも明希さんは利成がすごく好きだと思うけど・・・」
「そうだね、明希は離婚なんて考えてなかったみたいだよ。明希と俺とは幼馴染だったって話したっけ?」
「ううん、知らない。聞いてないよ」
「そうか・・・子供の頃、家が隣同士だったんだよ。一緒によく絵を描いててね・・・」
「そうだったんだ・・・」
「うん、でも俺が小6の時に引っ越ししてそこからは一切会ってなかったんだよ。再会したのは大学の頃」
「へぇ・・・再会はどうしてできたの?」
「俺が明希のアップしてたユーチューブを見つけてコメントしたんだよ」
「えっ?!明希さんのユーチューブって・・・」
「明希は歌が上手くて誰にも内緒でユーチューブに自分の歌をアップしてたんだよ」
「えー!びっくり!」
咲良が驚いてそう言うと利成が微笑んだ。
「それで明希が俺のツイッター見て、俺の個展に来てくれたんだよ。そこで再会したわけ」
「えーそうなの?何だかロマンチックだね」
「ハハ・・・そう?だけど俺の方は何となくそれが明希かなって思ってたし、もしかしたら個展も来てくれるかもしれないってある程度は予想してたよ」
「え?何?利成も奏空みたく予知能力あるの?」
「ハハ・・・ないよ。大体のことはね、確率の問題だよ。あと直観とね」
「ふうん・・・」
(よくわからないな・・・さすが親子)と咲良は思う。
「だけどその頃明希は相当のトラウマを抱えててね・・・」
「そうなんだ。どんなトラウマ?」
「・・・続き聞きたい?」
「聞きたいよ」
「そう、じゃあ、今日は咲良が俺のをやってくれる?」
(は?)と利成の顔を思わず咲良が見ると、利成は特に表情も変えていなかった。
「そんなのは無理」
「どうして?よくやってくれたじゃない?」
「・・・あの頃はね。今は無理だし、そんなんなら続きは・・・」と言いかけたところでまたキスをされる。(ああ、もう・・・このパターン?)と咲良は利成の身体を押し返した。
「・・・ほんと無理・・・奏空って全部わかるらしいんだもの」
「わかるって?」
「こういうことしたかどうかだよ。人の波動やエネルギーがわかるとか何とかで・・・」
「そうか、そうだろうね」
(え?)と思う。
「利成はわかってたの?奏空のこと」
「そりゃあね、一緒にずっと暮らしていたしね」
「じゃあ、なんでするのよ?」
「したいから。それ以上の理由いる?」と利成に見つめられた。利成に見つめられると咲良は不思議な気持ちになる。それがハチャメチャでも筋が通らなくても、何だかそんな気がしてくるのだ。それは奏空にもそうだった。
「好きだよとか愛してるとか言って欲しい?女性はそれが欲しいみたいだけど、性欲に理由なんてないよ」
「・・・それ、他の女性にも言ってるの?」
そう聞いたら利成が笑った。
「まさか、咲良にだけだよ」
「何で私だけ?」
「咲良にはそのまま出せるからかな・・・他の女性にそんなこと言ったらせっかくのチャンスも失うからね」
「サイテー・・・」
「ん、そうだね」と動じないどころか楽しそうな利成。
「あんなに明希さんの前では猫かぶってるのに・・・」
「猫なんか被ってないよ」
「被ってる。ものすごく優しい顔してるもの」
「ハハ・・・咲良にだってしてるでしょ?」
「してないよ」
「じゃあ、それは咲良がそういう風に俺を見てるからだよ」
「そうかな・・・夫婦ってそんなもん?明希さんも利成に何だか遠慮してるし・・・」
「そうだね、そんなものかな」
(あー何だか結婚なんてしなくていいかな)と思ってしまう。
「咲良」と利成が手を伸ばして髪を撫でてきた。
「何よ?」
「性欲は置いておいて、俺は咲良が好きだよ」
「あーはいはい、ありがと」と咲良が投げやりな調子で言うと「プッ」と利成が吹きだして笑いだした。そして「やっぱり咲良はいいね」といつもの言葉を言っている。
明希のトラウマの話や、続きが気になったがまさかまた利成とするわけにはいかない。何だか明希の様子もおかしいし・・・どうなってるの?と咲良は思う。
明希が帰宅してその日も食事に誘われたが咲良は断って帰宅した。
(明希さんのトラウマって・・・)
そう言えば奏空もそんなようなこと言ってたような・・・?
奏空が帰宅したのは夜の八時過ぎでいつもよりだいぶ早かった。食事を一緒に食べていると「今日も利成さんのところに行った?」と奏空が聞いてきた。
咲良は今日は奏空には言わずに行った。それでもわかるだろうかと試したい気持ちになったのだ。
「何で?」
「行ったでしょ?」
「わかるの?」
「わかるって前に言ったじゃん」
「・・・行ったよ。明希さんに頼まれたんだよ」
「仕事は?」
「休んだよ。最近よく休むから首になりそうだけどね」と咲良は笑った。
「首になったら別なところにいくか、やめちゃってもいいよ」
「やめるわけにはいかないよ。生活できなくなるじゃん」
「俺が出すから」
「結婚もしてないのに?」
「うん、関係ない」
「・・・ま、いいや。ところで奏空は明希さんのトラウマって何か知ってる?」
「明希の?・・・ん-まあね」
「明希さんから聞いたの?」
「いや、聞いてない」
「じゃあ、何で知ったの?」
「・・・明希は昔、かなりマスコミに叩かれてたんだよ。当時の話し、小学校の時のクラスの奴がわざわざ教えてくれたよ」と少し皮肉っぽく奏空が言った。
「叩かれてたの?」
「そうだよ。利成さんの女性関係もかなり言われたけど、明希は二回も子供を死産しちゃってたり、元カレと会ってたのが写真に撮られたりね」
「え?元カレ?」
「そう。see-throughってバンド知ってる?」
「知ってるよ。あまり曲は聴いたことはないけど」
「そのメンバーの一人が明希の元カレなんだよ」
「え?そうなの?」
「そう」と奏空は言うと立ち上がってキッチンまで行ってご飯のおかわりを茶碗のよそうとテーブルまで戻って来た。
「食欲あるね」
「うん」と明るく答える奏空。
「その元カレが明希さんは好きなんだね」
「そうだね」
「奏空は小学校の時から明希さんの思いを色々知ってたの?」
「ん・・・まあね。ついでに言うとね、俺も散々学校で言われたんだよ。いじめまではいかないけど」
「え?奏空が?」
「そ、小学校の時は俺もルール破りばかりしてたから目立っててね。ある日明希の悪口ばかり言われて頭にきてそいつのこと突き飛ばして喧嘩になったよ」
「そうなんだ、相手の子は大丈夫だったの?」
「・・・何で相手の子の心配?俺は?」
「だって奏空は強そうだもの」
「やだなーそんなに喧嘩なんて強くないよ」
「そうじゃなくて、やられてもへこまないでしょ?」
「それはね、へこまないよ。先生に謝れって言われたけど謝らなかったし。そしたら明希が学校に呼び出されちゃったけどね」と奏空が笑った。
「ハハ・・・そうなんだ。明希さんも大変だったんだね」
「そうだね。・・・で?今日の話に戻るけど・・・」
「戻る前に明希さんのトラウマって何なのか教えてよ」
「何で?」
「気になるの」
「・・・俺からは言えないよ。明希は言いたくないだろうから」
「そうなんだ・・・そんなに深刻?」
「んー・・・明希の場合は根深いかもね」
「そう・・・じゃあ、いいよ」
「うん・・・で?今日は?」
「何が?」
「利成さんと色々話したんでしょ?」
「・・・そんなことまでわかるの?」
「そうじゃないよ。明希のこと聞いてきたから。利成さんに聞いたんでしょ?明希のトラウマは軽く話になることじゃないから、昔の話でも話しこんだんじゃないの?だけど利成さんが明希のトラウマが何なのかは教えてくれなかった・・・もしくは迫られて受け入れてくれたらみたいなことを言われたかね」
「・・・やっぱり奏空はエスパーだわ・・・」と咲良はびっくりした。
「ハハ・・・違うって。それくらいは予想つくよ」
「いや、私はわからないよ」
「わかったからって何ってこともないよ。それより咲良が利成さんに取られないかと心配だし」
「そんな心配はいらないよ」と咲良は席を立った。食べ終わった茶碗を手にキッチンに向かう。
キッチンで茶碗を洗っていたら奏空が自分の食べ終わった食器を手にキッチンに入って来た。
「休んでていいよ」と咲良が言うと奏空が背中から抱きついてきて体重をかけてきた。
「ちょっと、重いって」
「咲良、多分次行ったら利成さんに負けるよ」
「誰が?」
「咲良と俺」
「何に負けるのよ?」
「んー・・・勝負に」
「だから何の勝負してんの?」
「咲良の取り合い」
「は?奏空の考えすぎ」
「そうじゃないんだよねーそれが」とまた体重を咲良の背中にかけてくる奏空。
「・・・どうでもいいけど、片付けてるんだから離れて」
「・・・やだ」
「奏空?」と蛇口をあげて奏空の方を見ると奏空が口づけてきた。
(あ・・・ちょっと・・・)とキスだけで感じてくる。何か確かに最近身体がヤバいかも・・・。奏空がひとしきり口づけてから唇を離す。
「そんなに感じるのって利成さんのせいだよね?」
「違うでしょ?今、奏空がしたからでしょ」
「・・・どうしようか・・・」と奏空が咲良の目を見つめてきた。
「どうもしないよ」
「あー・・・もう!」と奏空が咲良から離れてリビングの方へ行った。
「奏空?もう利成もだいぶ良さそうだったし行くことないよ」
咲良はキッチンから言った。奏空からの返事はない。
(何の勝負?)と咲良は思う。
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