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フローライト三十二話
全国のライブツアーに成功した奏空のグループ○○は、テレビのレギュラーなど人気はまだどんどん上昇していた。そして八月になり、例年にないほどの猛暑日がつづいたある日、やはり怖れていたことが起きた。
<アイドルグループ○○の天城奏空、かつての父の愛人とツーショット>
それは夜中に奏空と一緒にコンビニに行った時のものだった。
(誰が撮ったんだろう・・・)
まったく気づかなかった。いつも警戒はしていたのに・・・。
でもどうしようと思う。これを奏空の母の明希が見たら・・・。
(覚悟を決める時か・・・)と咲良は思った。自分は田舎に戻ればいい。ただそれだけのことだ。利成と明希の夫婦関係に何かしらの亀裂がまた入るのかもしれないけれど、それこそ自分の知ったことじゃないと咲良は思う。
その日の夜の明希の様子は特に変わったこともなかった。多分あの記事をまだ知らないのだろう。
食事を終えると先に帰宅したのが利成だった。キッチンで後片付けをしていたら利成が入って来て、耳元で「終わったら仕事部屋にきて」と言われた。
片付けを終えてから利成の仕事部屋をノックした。
「どうぞ」と声が聞こえてから咲良はドアを開けた。
「入って、そこに座って」と利成が部屋の隅の小さなソファに視線を送る。咲良がそこに座ると利成も机の前の椅子に座った。
「何で呼んだかわかる?」と聞かれて咲良は頷いた。
「そうか・・・」と利成が考えるような顔つきになる。
「何て言ったらいい?明希さんはまだ知らないみたいだよ」
「そうだね」
「明希さんは前の時はどうだったの?前の時の記事は嘘だって言ったの?」
「否定も肯定もしなかったよ。でもどちらかというと肯定に取られたかもしれないね」
「そうなんだ。じゃあ、否定しとくよ」
「・・・奏空が何て言うかだね」
「奏空も否定してって言うよ。後、奏空とのことも否定するし・・・」
「どうする気?」
「田舎に帰る」
「そうか・・・それは奏空が承知しないと思うよ」
「そんなの関係ないよ。奏空は・・・これからなんだから」
咲良はうつむいた。自分なんかのせいで奏空の行く先を壊したくない。
「咲良もこれからだよ」と利成が言う。
咲良が顔を上げると優しい表情の利成がいた。
(あーやめてよ・・・そういう顔は反則でしょ)と思う。
暫しの間沈黙が続いた後、階下から奏空の声が響いてきた。
「帰ったみたいだね」と利成が言う。
「呼んでくる?」
「いいよ、きっと咲良が部屋にいなかったらここに来るよ」
利成の言う通り、奏空が利成の部屋のドアをノックすると同時に開いた。
「また何?」と奏空が咲良の方を見ながら中に入って来た。
「奏空、ドアちゃんと閉めて」と利成が言うと、奏空が振り返ってドアを閉めた。そして咲良の隣にドカッと座った。
「何か深刻そうだね」と奏空が二人を見比べる。
「あの記事知らないの?」と咲良はのんきそうな奏空を見た。
「記事?」
「週刊誌!見てないの?」
「あーあれ?言われたよ。それで遅くなったんだもん」
「もう!のんきすぎ!」と奏空の膝を思いっきり叩いた。
「痛いって咲良」と奏空が膝をさすると、利成が「プッ」と吹き出した。
「利成も!」と咲良が利成を睨むと「ん、ごめん」と利成が椅子に座り直した。
するとドアがノックされて全員が一瞬沈黙した。「はい?」と利成が立ち上がってドアを開けた。
「奏空いる?」と明希が中を覗き込んで咲良と目が合い少し驚いた顔をした。
「みんなでどうしたの?」
「何でもないよ。何?」と奏空が返事をした。
「ご飯、どうするの?」
「あ、食べるよ」と奏空が立ち上がった。それから「咲良も」と振り返る。
「私は食べたよ」
「でも俺につきあって」と腕をつかまれた。一瞬利成と目が合う。
「良かったら咲良さんも一緒にお茶しましょ」と明希が言った。
三人でダイニングテーブルを囲みで咲良は明希が入れてくれたお茶を飲んだ。奏空は明希の作った料理を食べている。
「何か咲良さんも家族みたいな感じがしてきたよ」と明希が笑顔で言った。咲良は「ありがとう・・・」と答えながら心が少し痛んだ。
(純粋なのは奏空もだけど、明希さんの純粋はちょっと違うからな・・・)と思う。
シャワーを浴びてから部屋に戻ろうとすると、奏空の部屋のドアが開いて「咲良、こっち」と呼ばれた。
奏空の部屋のベッドの上に座ると「さっきの話し、田舎に帰るって本当?」と聞かれた。
「本当だよ。利成に聞いたの?」
「そう。絶対帰さないからね」
「だってもうこうなったら仕方がないでしょ?帰るしかない」
「何で?」
「奏空にこういう彼女がいるなんてバレたら今後のことに響くでしょ?」
「もうバレたよ。今日事務所との話し合いの時に言ったし」
「は?何で?そんなこと言ったの?」
「言ったよ。咲良が彼女だって。それに一緒に暮らしてるって」
「もう何でそんなこと言うのよ」
「隠すつもりはなかったから。咲良とは結婚するつもりだって言ったよ」
「えー、もう奏空?芸能界甘く見てない?いくら二世でもね・・・」
「甘いも苦いもないよ。そのままで俺は行く。アイドルがダメならまた別の表現方法に変えればいいだけだよ」
「別なって・・・あなた一人じゃないでしょ?他のメンバーはどうなるのよ?」
「それはまた話しあうよ」
「・・・・・・」
「咲良はね、最初から作られている枠の中からはみ出すと、生きていけなくなるって不安なんだね」
「不安だよ、そりゃあ。奏空は今一番大事な時期でこんな私とのことでつぶしたくない」
「”こんな私”って?誰のこと?」
「私は私のことだよ」
「そう・・・咲良は俺と一緒にいるのが嫌なの?」
「嫌じゃないよ。一緒にいたいよ。でもそれとこれはわけて考えないと」
「んー・・・せっかく少し良くなったのに・・・」と急にため息をつかれた。
「何のこと?」
「じゃあこうしよう」と奏空が大きな声を出してから続ける。
「咲良、まず俺がアイドルなことを一旦忘れて。普通のただの男だと思ってみてよ」
「何で?」
「いいからそうして。頭の中のもの一回捨てて」
「・・・・・・」
「捨てれた?そうしたら俺のこと見て」
咲良は奏空を見つめた。奏空も咲良を見つめてくる。
「どんなふうに見える?」
「どんな風って・・・奏空は奏空だよ」
「そうだよ。ただの俺。誰でもない」
「・・・・・・」
「わかる?」
「わかんない」
「・・・んー・・・困った」と奏空がベッドに寝転んだ。
「私も困ったよ。奏空がわからないみたいだから」
「あーこういう時、利成さんなら上手くいうんだろうな」
「利成?利成だって上手くなんか言わないよ」
そう言ったら奏空が寝ころんだままじっと見つめてきた。
「咲良がやっと俺のこと見てくれるようになったのに・・・」と手を伸ばしてくる。
その手を握って「奏空のことは大好きだよ」と言った。するとそのまま奏空に引き寄せられて咲良は奏空の上に倒れこんだ。
「奏空、せっかくここまで来たんだから、もっと有名になってお金持ちになりなよ」
咲良は奏空の髪を撫で上げた。
「ままごとのような世界で有名になってもどうしようもないよ」と奏空が咲良の頬を撫でて来る。
「えーままごとって何よ?みんな一生懸命やってるのに。それに私みたく一生懸命やっても全然売れなくて田舎に帰っちゃう人だっていっぱいいるのに」
「咲良は帰らせない」
「・・・・・・」
奏空が身体を起こし、今度は咲良が奏空の下になる。
「大丈夫、俺が何とかするから。咲良は心配しないで今まで通りにしていて」
「・・・明希さんは?バレたらどっちみちここにはいられない」
「そうだね、明希にも俺から言うよ」
そう言ってから口づけてくる奏空・・・。
ああ、奏空、私だって帰りたくないよ・・・・・・。
家の前に記者が見張るようになってついに明希も気がついた。
週刊誌がテーブルの上に置かれたリビングで、夜中四人で集まっていた。
利成は前のように少し離れた一人用のソファに座り、また前の時のようにスマホを見ている。奏空と咲良は隣同士にソファに座った。明希が向かい側に座っている。
「これ、どういうことなの?奏空」と明希が最初に奏空に聞いた。
「咲良は前に利成さんと噂になった人だけど、そんなの関係ないでしょ?」
「じゃあ、以前の記事は嘘なの?」と明希が今度は利成の方を見た。利成はスマホから顔を上げて「嘘だよ」と答えた。
「咲良さんは?どうなの?」と聞かれる。
「嘘です」と答えた。
「はぁ・・・」と大きく明希がため息をついてから「何か私だけ知らなかったのね・・・」と肩を落とした。それからもう一度顔を上げて奏空の方を見た。
「奏空はどうするつもりなの?」
「咲良と結婚するよ」
「結婚って・・・まだいくらなんでも早いでしょ?」
「早くないよ。明希だって早く利成さんと結婚したでしょ?」
「それはそうだけど・・・利成と奏空では違うでしょ?」
「どこが?」
「立場っていうか・・・利成はアイドルじゃなかったし・・・」
「もう!みんなアイドルアイドルって、それと俺が咲良と結婚するのとはまったく関係ないんだよ」
「関係あるよ」と咲良は口を挟んだ。
「そうだよ、奏空」と明希も言う。
「ちょっと、利成さんからも何か言って。この二人、お手上げ」
奏空がそんなことを言ってうんざりした表情で利成の方を見た。
「奏空がお手上げなら、俺もそうだけどね」と利成が面白そうに言う。
「もう、とにかくね、咲良は帰らなくていいし、結婚はできるし、何ならこの家出よう」と奏空が咲良の顔を見た。
「そんなの無理だよ」
「無理じゃない」
「無理」
「もう!無理じゃないから」
言い合っていると「奏空」と利成が口を挟んだ。
「結婚までしなくてもいいんじゃない?」
「そうだけど、咲良がまったくわかってないからね」
「奏空はアイドルやっていきたいんだろう?」と利成が続ける。
「できればね」
「でも無理だったらやめてもいいのか?」
「いいよ」
「やめるとアイドルはおろか、なかなか苦労することになるかもよ?」
「苦労?苦労なんてないよ」
「どうして?」
「んー・・・あらかじめある形に合わせてるわけじゃないから。いくらでも変形させれる」
(また意味不明なんですけど?)と咲良は心で思う。
「そうか・・・」と利成がわかったように言う。
咲良は隣の奏空の腰の辺りを指でつついた。
「何?」と奏空が言う。
「どういう意味?」
「今の?」
「そう」
「んー・・・説明難しい」
「でも、と・・・」
”利成”と呼び捨てにしそうになり咲良は少し焦って言い直した。
「でも、天城さんはわかってるみたいだけど・・・」
「俺もわかってないよ」と利成が答える。
(わかってるくせに)と咲良は思った。
「奏空?とにかくすぐ結論出さないで、じっくり考えた方がいいよ」と明希が言う。
(うん、そうそう)と咲良も心で思い頷いた。
「やっぱ明希ってバカだな」と奏空が冷めた目で急に言ったので、咲良はびっくりして奏空の顔を見た。
「ちょっと!」と咲良はたまりかねて奏空の膝を思いっきり叩いた。
「痛っ!」と奏空が大袈裟に顔を歪める。明希が驚いて見ているのがわかったが構わず続けた。
「親に向かって”バカ”とは何よ?謝りなさいよ」
「バカだからいいんだよ」と膝をさすりながら奏空がまだ言うので咲良は頭にきて言った。
「そういうこと言う方がバカだよ!」
すると利成が急に爆笑した。
(は?)と利成の顔を見た。
「何かおかしい?」
「いや・・・ごめん」と利成が笑いをかみ殺している。ふと明希の方を見ると、唖然として利成の方を見ていた。
(何なの?この親子と夫婦は?明希さんもビシッと奏空に言ってやらなきゃ)
そう思っていると「奏空」と利成が少し改まった声で言った。
「もう一度事務所と話し合って、グループのメンバーとも話してからまたこうやって話すのがいいよ。奏空の仕事は色んな人を巻き込むからね。それと結婚は一人じゃできないよ。朝倉さんの承諾を得ないとね」
(あれ?何かまともなことを・・・?)と咲良は利成の顔を見た。
「承諾なら得てるよ」と奏空が言ったので「は?」と思わず声を出してしまった。
「何?」と奏空が咲良の顔を見る。
「いつオッケーって言ったのよ?」
「咲良の心がオッケーって言ってるよ」
(は?)とまた奏空の顔を見つめた。
「奏空が読心術が使えるとは知らなかったよ?でもそれ間違ってるよ?」
「そう?でも大丈夫だよ」と奏空が咲良の手を握る。
「何が大丈夫よ?まったくわかってないでしょ?」
「わかってなくてもいいんだよ。そうなるって決まってるからね」
「何?今度は予知能力があるって言いたいの?」
「うん!正確に言うとちょっと違うけど・・・まあ、そんな感じだよ」
「やだ!もう・・・こんな人初めて」と咲良は呆れた。するとまた利成が「アハハ」と笑ったのでまたみんなで利成に注目した。
「いや、ごめん」とまた謝っている。こういう利成も初めて見る。
結局また話し合いは後日となった。それまではここにいてと利成にも言われる。
奏空の部屋に戻ると「咲良~」と奏空が抱きついてきた。
「ずっと一緒にいようね」と口づけられる。
「あのね、奏空」
「ん?」
「奏空はまだ十九歳でしょ?」
「そうだよ。誕生日済んだから」
「まだまだ若すぎるんだよ?私に決めなくても可愛い子も周りにたくさんいるでしょ?奏空ならモテるよきっと」
「モテないって」
「それに私、明希さんみたいに心が広くないの」
「どういう意味?」
「奏空が誰かと浮気したら許せないと思う。殺しちゃうかもよ?」
「俺を?」
「そう」
「ハハ・・・殺してもいいよ」
「冗談じゃなくてほんとだからね」
「うん、咲良は利成さんのこと殺したかったでしょ?」
「・・・そうかもね」
「でも今は?」
「今はそんなことないけど・・・」
「うん、そうでしょ?人はね、いつまでも憎んでいられないんだよ?いつか必ず許す時がくる」
「・・・だから浮気してもいいと?」
「ハハ・・・違うって!浮気はしないよ」
「じゃあ、今のうちに色んな人とやりまくりなよ。私一人なんてきっといつか後悔するよ」
そう言ったら奏空が爆笑した。
「アハハ・・・もう咲良って最高だね!」とベッドに押し倒してくる奏空。それから「大好き」と言って何度も口づけてきた。
(あー結局お子様なのよね・・・)と咲良もこれ以上言うのを諦めた。
何だかわからないけど、いつのまにか天城家に取り込まれてしまった。というか、奏空の不思議な魅力に取り込まれたと言う方が正しいか・・・・・・。
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