見出し画像

フローライト第三十一話

正月も過ぎて奏空はまた忙しくなった。最近はもっぱらテレビの中で奏空を見ている。

咲良はウイスキーを飲みながらテレビの中で歌う奏空を見つめた。高校を卒業した春からは本格的に全国でライブツアーをやるらしい。

夜中に寝ようとするとスマホが鳴った。いきなり電話だ。

「もしもし?」

「あ、咲良?起きてた?」

「寝るとこ」

「そう。もう少し起きてて」

「いいけど、奏空の方が寝たら?」

「俺は大丈夫だよ。連絡できなくてごめんね」

「いいよ、そんなのは。それに高校ももうすぐ卒業でしょ?」

「うん、やっとね」

「大変だったの?」

「うん、勉強がね、ちょっと」と奏空が笑った。

「勉強できないの?」

「まあ、数学と英語以外はすべてダメ」

「数学と英語できるならいいんじゃない?」

「他もそれなりにできないと留年しちゃうよ」

「そんなにできないの?」

「うん。でも何とかね、留年はまのがれたよ」

「ハハ・・・そう」

「咲良、会いたい。うちに来てよ」

「あのね、奏空。あなたは高校出てようやく本格的に○○として活動できるわけだよ。周りの大人たちも本格的に期待してるわけ」

「うん、だから?」

「だから私と会ったりしたらダメなのよ」

「意味わからないな」

「わからない?ほんとバカだわ」

「バカって言うなよ。咲良の方がバカなのに」

「は?もういいよ。私、真面目に田舎に帰るから。実家にも連絡したの」

「えー何で?」

「こっちにもういたくないのよ。わかるでしょ?」

「わからない。帰らないでよ」

「帰る。奏空、これから頑張ってもっと上に上がって利成なんか追い越しちゃいなよ」

「もう追い越してるよ」

「それはないでしょ?利成の方がまだ収入だって上だろうし」

「収入?そんなものじゃないでしょ。もっと違う意味で俺はとっくに利成さんを追い越したよ」

「は?また意味のわからないことを・・・」

「咲良、ほんとにこっちにおいで。明希にちゃんと言うから」

「あのね、問題はその明希さんだよ。私はかつて利成と関係があったんだよ?そんな女と息子がどうこうって反対するに決まってるでしょ」

「明希は知らないよ」

「いつかバレる」

「バレてもいいんだよ。利成さんがしたことだから」

「バカだね。そうしたらまた夫婦関係にひびが入るよ。そんなの奏空は嫌でしょ?」

「ひびが入ろうと、別れようと、それはそれだよ」

「へぇ・・・冷たいね」

「咲良?物事にはね、逆らえることと逆らえないことがあるんだよ?」

「ふうん・・・そうですか」

(もう、生意気だな)と思う。

「咲良、明日でも迎えに行く」

「は?何言ってるの?」

「少し遅くなるかもしれないけど・・・待ってて」

「ちょっと!勝手にきめない・・・」

いきなり通話が切れた。咲良は唖然としてスマホをしばし見つめた。

前にも思ったけど、この強引さは確かに利成を上回ってるわ・・・。

 

・・・で、結局次の日無理矢理奏空に家まで連れて行かれる。リビングのソファに咲良と奏空が隣同士で座り、向かい側に明希、少し離れた位置のソファに利成が座っていた。

(あーサイアク)

利成をチラッと見ると、スマホを操作して見ていてあまり関心がなさそうだった。

「奏空?どういう意味か説明して」と明希が言う。

「え?また?一緒に暮らしたいの意味がわからないの?」

「それはわかったよ。何でそうなるの?」

「咲良と一緒にいたいからだよ」

「あのね、奏空。あなたはもうアイドルとしてちゃんと働いてるじゃない?事務所の方からも色々言われたんだよ?」

「知ってるよ。それは」

「だったらそれが無理だって奏空もわかるでしょ?」

「無理って?」

「その咲良さんと一緒に暮らすことだよ」と明希はチラッと咲良の方を見た。

「あの、私奏空君と暮らす気なんてありませんから。もうすぐ田舎に帰るし」

そう言ったらようやく利成がスマホから顔を上げた。

「えーまだそれ言う?」と奏空が唇を尖らせた。

「前にも言ったでしょ?奏空はこれからなんだよ?責任もあるでしょ?」

「何の責任?」

「社会人としてのだよ」

そう咲良がいうと奏空が「アハハ」と声をたてて笑った。

(は?)と奏空の顔を見た。それから利成の方を見ると、利成まで笑いをかみ殺したような顔をしていた。明希だけが真面目な表情だ。

(何なの?この親子は?)

「咲良、いいから一緒に暮らそ?この家で」

「は?この家で?」

(冗談じゃない、利成と一緒だなんて。何考えてるの?)

「だって、ここにいる方が目立たないでしょ?」

「目立つよ。この家から私が出入りしてたら」

「もう、それじゃあ拉致開かないでしょ?」と奏空が言うと、利成が急に「プッ」と吹き出したので皆でいっせいに利成の方を見た。

「あ、ごめん。何でもないよ」と利成が笑いをまたかみ殺した。

「奏空、咲良さんだって困ってるよ?奏空が強引に進めることじゃないでしょ?」と明希が言う。どうやらこの家で一番まともなのはこの利成の妻の明希だけらしいと咲良は悟る。

「強引なんかじゃないよ。もちろんこの家出ていったって俺はいいしね」

「強引だよ?咲良さんも言ってるじゃない?奏空はこれから色々やらなきゃならないこともあるし、責任もあるんだよ?」

「あーもう・・・明希は黙ってて」と奏空が言ったので明希が顔色を変えて利成の方を見た。

(これは母親が完全に下になっちゃってるな・・・)と咲良は思う。

「朝倉さん」といきなり利成に呼ばれてハッとして咲良は顔を上げた。

「しばらくここにいたらどう?」

(は?)

どういうつもり?と利成の顔を見つめた。

「田舎に戻るなんていつだってできるでしょ?」と続けて利成に言われる。咲良が明希の顔を見ると、明希は困ったようにうつむいた。

「奏空は忙しくて朝倉さんに会えないのがジレンマなんだろ?」と利成が奏空に言う。

「うん、そう」とこっちはまるで屈託がない。

「一緒にいて、それでも嫌になったらすぐ田舎に帰ったら?」

利成の言葉に明希が顔をあげて利成を咎めるように見ている。

「うん、そうだね。それでいいよね?咲良」と奏空が勝手に返事をしている。

「でも、部屋はどうするの?」と明希が利成の方を向いたまま言った。

「二階の空いてる部屋にしたら?」と利成が答える。

「え?俺と一緒でいいでしょ?」と奏空が言う。

(ちょっと、本人無視して話し進めないで欲しい)と咲良は奏空を少し睨んだ。

「ダメだよ、そんなの」という明希。

「えー、どうせ咲良の部屋に行くことになるよ。それにさ・・・」と奏空が利成を見た。

「何?」と利成が気づいて奏空に言った。

「べっつに」と奏空が利成から顔を背けて咲良を見た。

「部屋はともかくさ、明日にでもおいでよ」

「でも・・・」と咲良は明希を見た。

「わかった。言っても聞かない二人だって知ってるからいいよ」と明希がため息交じりに言った。

(ん?二人?)

咲良が利成の方を見ると利成と目が合った。利成がさりげなく目をそらす。そう言えばと思い出す。利成は自分とのことが妻にバレるのを気にしている・・・。あの時わざわざ言わないで欲しいと自分に頼んだのだ。何だかまた復讐心がムクムクと湧いてくる。利成が困ればそれも気持ちがいいかもしれない。

「じゃ、行こ」と奏空に手をつかまれる。

奏空の部屋に入ると奏空が口づけてきた。

「やっぱり離れてたらダメだよね?」と咲良を見つめてくる奏空の瞳が綺麗だった。

「アパートの契約もあるし・・・住んでないのに家賃払うのもね・・・」

そうだ、生活が大変なことに変わりはない。

「アパートは引き払っちゃって。ここにいれば家賃はかからないから少し楽でしょ?」

「そうだけど・・・」

ま、いいかと思う。ここを出て行く時は実家に戻る時なのだから、先に引き払っちゃっても問題はないだろう。

「よかった」と奏空が抱きしめてくる。そのままベッドに押し倒された。

「咲良」と名前を呼ばれて上から見つめられる。

「どうして私なんか好きなの?」と咲良は聞いた。

「また!”私なんか”って言わないの!」

奏空にそう言われて咲良は奏空の瞳を見つめると「好きに理由はないでしょ?」と奏空が言った。

 

それからは変な生活が始まった。奏空の家から職場に行き夜に戻る。明希は働いてはいるようだったが、ほとんどは家で過ごすことが多い様子だった。利成はその日によって帰宅時間はまちまちで、それは奏空もそうだった。

夕飯の支度や掃除などは率先してやった。やはりただでお世話になっているのは心苦しい。そんな日々が過ぎて最初はよそよそしかった明希も、わりと咲良と話すようになっていった。

「咲良さんて女優さんは完全にやめたの?」とある夜に夕飯の後に聞かれた。まだ利成も奏空も帰宅していなかったが、帰宅時間はわからないのでいつも支度が出来次第夕飯を取るようにしていた。

「はい、やめました」

「そう・・・奏空とはお仕事で一緒になってなんだよね?」

「はい・・・メンバーのMVの仕事で・・・」

「そうなんだね。奏空のこと知ってたの?」

「知ってたとは?」

「利成の息子だって」

「知ってました。ていうか有名ですよ。周りの人はみんな知ってましたから」

「そう・・・」

明希はどうやら奏空とは真逆で、内気な性格らしかった。色々な噂を週刊誌なんかで読んだことはあるが、あの記事のイメージとも違った。あの記事だとひどい悪女のように書かれていたが、実際に話してみると、非常に純粋な人だとわかった。

(なるほどな・・・これじゃ利成も言わないで欲しいっていうよね)と妙に納得した。

その夜は利成の方が早く帰宅したようだった。咲良が二階の部屋に一人いると誰かが階段を上ってくる音がして、一番奥の部屋に入ったようだった。

部屋は結局二階の物置のようになっていた部屋を使うことになった。奏空が帰宅すれば、奏空の部屋に呼ばれるか、奏空がこっちに来るのだが、何もかも一緒というのは咲良も疲れるのでちょうど良かった。

二階のトイレが利成の仕事部屋に近いので、時々トイレに行くと部屋の中からギターの音が聞こえたり歌声が聞こえることもあった。その日も歌声が聞こえてきて咲良は立ち止まって少し耳を澄ました。

新しい曲なのか咲良にはわからなかったが、利成の声をずっと聴いていたい気持ちになってしまってハッと気が付く。

(あーバカ!私)と踵を返すといつかのようにちょうど利成の部屋のドアが開いた。

「咲良」と後ろから呼ばれる。

振り返ると「ちょっとおいでよ」と言われて咲良は利成の顔を見た。その顔を見て利成が「何もしないよ」と笑った。

咲良が利成の仕事部屋に入ると「どっちがいいか教えて」と利成がギターを抱えた。メロディを二種類聴かされて「咲良はどっちが好き?」と聞かれる。

「後の方かな」と咲良は答えた。

「そう、何で?」

「んー・・・最初の方のはちょっと重たい・・・後の方はダークな感じがちょうどよく配合されてていいと思う」

そう答えると利成が笑顔を向けて「そう」と少し嬉しそうに言った。

(笑顔は無邪気なのにな・・・)と思う。

あんな冷たい仕打ちをされたのに、いつのまにか許してしまっている自分が憎らしい。

「じゃ、行くよ」と立ち上がると利成に腕をつかまれて引き寄せられた。

「ちょっと何?」と離れようとすると「奏空とのセックスはどう?」と耳元で聞かれる。

(は?)

「利成って二重人格?」と咲良は言った。

「どうしてそう思う?」

「奥さんの前と私の前とじゃ大違い。奥さんの前では物凄く優しいし何て言うの毒素がないもの」

「ハハ・・・そう?」

「何で猫かぶるの?そのまま見せればいいのに」

「俺のそのままは明希には毒だからね」

「何それ。私には・・・」と言いかけると口づけられた。

(信じられない・・・奥さんも階下にいるのに・・・)

あ、でも・・・。頭の芯までしびれるようなキスは利成にだけ感じるものだった。口づけられながら利成がズボンの中に手を入れてきた。それなのに咲良は抵抗できなかった。口の中に舌を押し込まれて利成の指が下着の中に入ってくる。

(あ・・・ヤバい・・・)

いきなり感じてしまう。何なんだろうと思う。身体が離れない。すると誰かが階段を上ってくる音がした。それなのに利成の指が更に奥に入って来て声が出そうになった。

上って来た足音がここからは一番奥の咲良の部屋のドアを開けた時、利成が咲良から指を抜いた。

「奏空が来たみたいだよ」と利成が言う。

咲良は急いでズボンを直した。部屋を出ようとすると「また今度ね」と言われて咲良は思わず利成を振り返った。

「今度なんてないから」

そう言うと利成が「そう?」と冷めた目で咲良を見た後に、開いていたドアの後ろを見た。咲良が前を向くと奏空が咎めるような顔でこっちを見ていた。それから咲良は利成の部屋に押し戻されて奏空も一緒に中に入って来た。

「利成さん、咲良に何かした?」

いきなり奏空が言う。

「何かとは?」と平然としている利成。

「・・・・・・」

奏空が黙って利成を見ている。それから思いっきりため息をついた。

「利成さんて咲良のこと好きでしょう?」

(え?)とびっくりして奏空の顔を見た。

「何でそう思う?」と利成は平然していた。

「二年以上も利成さんがつきあったのって咲良だけだよね?」

また(え?)と思う。

「ハハ・・・奏空、俺のこと詳しいね」

「小学校の頃から友達に色々言われたからね。それから色々ネットで見たし・・・それが咲良かは知らないけど、女の人と電話で喋ってるのも聞いたことあるよ」

「へぇ・・・そうなんだ。知らなかったよ」と利成はまったく顔色を変えない。

「だから咲良と会った時、すぐわかったよ。利成さんの恋人だって」

(恋人?)と咲良は利成の方を見た。利成はまったく平然としたまま表情を変えていない。

利成が黙っていると奏空が続けた。

「咲良と会った時、咲良の中がドロドロしてたよ。咲良も利成さんが好きなんだってわかった。でもそれは捕らわれの”好き”だからね。ついでに言うと利成さんもだよ」

奏空がそういうと「アハハ」と利成が声をたてて笑った。

「やっぱ奏空って最高だね。それでどうするの?」

「咲良を解放する。利成さんには負けないよ?」

また(え?)と思う。いつから二人は競争してるの?

「そうか・・・やっぱ奏空は面白いね」

「じゃあね!」と奏空に腕をつかまれて利成の部屋を出た。それからそのまま奏空の部屋に行く。

ベッドに座らされて奏空が自分の顔を見つめてくる。

「咲良」

「・・・・・・」

黙っていると奏空が言った。

「やっぱりここ出ようかな・・・」

「ダメだよ。私は一緒に行かないよ。そうなったら実家に帰るから」

「んー・・・どうしようか・・・なかなか咲良が気が付いてくれない・・・」

「何を?」

「まあ、色々だよ」

「・・・それに、利成なんか好きじゃないし、捕らわれてもいないからね」

「うん・・・ちょっと待って・・・」と急に奏空が考えるような顔をして「そうか・・・こうなるとこうなるし・・・」とひとり言を言い始めた。

(もう何なの?)

「来月からライブツアーが始まるんだよ」と奏空がいきなり言う。

「そう」

「帰れる日もあるけど、基本的に帰れないことが多いよ」

「そうだね」

「咲良をここに置いとけない」

「そう、じゃあ、実家戻るわ」

「じゃなくて!」

「何よ?」

「ここ出て一緒に暮らそう」

「無理」

「何で?」

「言ったじゃない?アイドルの奏空は同棲も結婚も今はダメだよ」

「・・・じゃあ、咲良。ここにいて」

「・・・・・・」

「でも、気持ちを強く持って。じゃないと利成さんにやられちゃうよ?」

「やられないって」

「今は?やられてないの?」

「・・・やられてない」

「そうかな・・・」と顔をのぞき込まれる。

「あの仕事部屋はね、明希は絶対勝手に入ってこないんだ」

「そう」

「曲を作ったり集中していることが多いからって暗黙のルールなんだよ」

「へぇ・・・」

「だから入らないでね」

「・・・わかった」

「えらいね」と頭を撫でられる。

「ちょっと」とその手を振り払った。

「子供扱いやめてくれる?少なくとも奏空よりは六つも・・・」と言っている間にベッドに押し倒される。

「咲良、可愛すぎる」と口づけられる。

(あーもういいや・・・)といつもの思考停止。考えるのをやめれば人は救われるのだ。

そのままそこで最後までされてしまう。おまけに奏空は奏空でだんだんセックスも上手くなってきていて、さっきの利成のせいで身体に火がついてしまったのも手伝って声までだしてしまった。奏空の母親に聞こえてなきゃいいけど・・・。

 

そして三月に入り奏空のグループ○○の全国ライブツアーが始まった。咲良は毎日奏空の家から職場に通い、明希の手伝いをし、夜は一人で眠る日々が続いた。


<咲良、起きてる?>

<起きてるよ>

<大丈夫?>

<何が?大丈夫だよ>

奏空からは大体毎日ラインは来たが通話はなかなかできなかった。それでも咲良は何だか満たされていた。奏空は絶対に自分を大事にしてくれる・・・そんな信頼が咲良の気持ちを温かくしていた。

奏空のライブももう最後でようやく明日には奏空が帰れるというある日、咲良が仕事から帰るとリビングに利成が一人座っていた。

「おかえり」と言われる。

「ただいま。明希さんは?」

「今日はお店の子たちと宴会だって」

「お店?」

「明希の店だよ。アクセサリーとか俺の絵とか置いてる」

「そうなんだ」

「ご飯は?」

「食べてないけど、明希さんいないならいいよ。適当に買ってくるから」

「もう夜遅いよ。一緒に食事に行こう」と言われる。

「いいけど・・・」

利成の車の助手席に乗り込んだ。こうやって二人で食事に行くなんて初めてだ。

(付き合ってる期間はあったけど、普通のデートなんてしたことなかったしね)

急に車のワイパーが動いたので咲良はフロントガラスを見た。

「雨、降って来たみたいだね」と利成が言う。

「そうだね・・・」

連れて行かれたのはフランス料理で利成の行きつけらしかった。

「一緒に食事は初めてだよね?」と料理が揃うと利成が言った。

「そうだよ」

「奏空とはどう?離れてるけど寂しくない?」

「寂しくない」

「そう」と特に関心があるようでもない返事。

帰りは雨が本降りになっていた。車に乗り込んでシートベルトを締めていると利成が「ホテルでも行く?」と言ってきた。

「は?行くわけないでしょ?」

利成の表情からは冗談なんだか本気なのかわからなかった。でも利成とはずっと身体を重ねてきたのだ。こうして隣にいるのも自然に感じた。

「そうか、残念」と言ってから利成が車を発進させた。

一時は復讐まで考えていたのに、今はあの明希を知るとそういう気持ちは完全に失せた。明希は純粋で何て言うかすぐに壊れそうだった。

(私なら平気だけど・・・)

多分あの明希には無理だろう。利成が言うように自分のことを知れば壊れてしまいそうだ。ぼんやりとそんなことを考えていたら急に突然車が止まったので咲良は利成の方を見た。

するといきなり唇を重ねてくる利成・・・。雨がまるでベールのように車の周りを囲っていた。避ける気にもなれずそのまま受け止めた。ひとしきり口づけてから唇を離す利成の顔を見つめた。

「奏空がわざと咲良を俺に近づけてるって気づいてる?」

突然意外なことを言われる。

「え?」

「以前に奏空が俺に言ったこと・・・あながち的外れでもないからね」

そう言って利成が運転席の方にまた戻る。

「どういうこと?」

「・・・情を持ったのは咲良が初めてだよ」

「・・・・・・」

「今まで色んな女とやったけど、一度もそういう情は持ったことがなかったからね」

「・・・情って?」

「んー・・・”好き”とかいう感情よりどちらかというと執着心かな」

「・・・・・・」

「だから二年以上も離れられなかったんだよ」

「でも、週刊誌に出てからすぐに私を捨てたじゃない?」

「そうだね」

「それに、いつもホテルに行ってただやって帰るだけだったし・・・情なんて・・・」

「ん・・・咲良には特にそうしてたっけね。他の女とは一緒に食事に行ったり、ホテルに行ってから色々話すこともあったよ」

「何それ・・・じゃあ、私に情なんてないでしょ」

「咲良、見えることだけで物事判断してると人生を味わえないよ」

(は?)

「また奏空みたく説教?」

「ハハ・・・奏空も何か言うの?」

「言うよ。利成とそっくり」

「そうか」と利成が面白そうに笑顔になった。そして「つまりね・・・」と続けた。

「情で物凄く引っ張られたんだよ。だからわざとそうしてた」

「・・・・・・」

「咲良とはすごく気が合う気がしてね、俺の曲もどっちがいいか聞いたことがあるでしょ?」

「うん・・・」

「咲良の答えが俺と一緒でね・・・奏空の言う通り執着心がまだある」

利成がそう言って咲良の顔を見つめた。咲良が黙って見つめ返すと「さあ、どうしようか」と利成が言った。

「私はもう利成とは寝ない」

「そう、何で?」

「私の方こそ引っ張られるからだよ」

「そうか・・・」

「一度でも寝たらもう終わりだよ。私、離れられなくなる。奏空はきっとそれをわかってるんだよ。だから自分を強く持てって・・・」

そう言ったら利成が少し驚いた顔をした。

「奏空がそう言ったの?」

「そうだよ。自分を強く持ってって・・・。でも、強くなんてなれない・・・だって私・・・」とそこで涙が出てきた。あーサイアクだと思う。復讐どころか利成をつけ上がらせるだけなのに。

「咲良」と利成が手を握ってきた。

「バカ!」と咲良は顔を窓の方に背けた。

(奏空に会いたい・・・)

急にそう思った。

 

家に戻って玄関のドアを開けるといきなりバタバタと廊下を走ってくる音がした。

「咲良!」と奏空が玄関で抱きしめてくる。咲良は驚いて「あれ?帰るの明日でしょ?」と言った。

「咲良に会いたいから俺だけ先に帰ってきた」とギュッと力をこめてくる奏空。

車を駐車し終わった利成が後ろから入ってくると、奏空が身体を離して利成の方を見た。

「利成さんとどこか行ってたの?」

「ご飯食べて来ただけだよ」

咲良はそう言って靴を脱いで部屋に上がった。

「そうなんだ」とまだ利成の方を見ている奏空。利成が何も言わず先にリビングの方へ歩いて行った。

「咲良?ちゃんと自分を強く持ってたよね?」と奏空に言われる。

「もちろん。私は元々強いからね」

「ハハ・・・そうだよ。咲良は強いんだよ。良かった」とその場で口づけられる。

するとまた玄関のドアが開いて、今度は明希が入って来て二人を見て驚いた顔をした。

「奏空?どうしたの?明日じゃないの?帰るのは」

「うん、そうだけど早く帰ってきたんだよ」

「そうなの?」

明希が咲良の方を見て言う。

「ごめんね、今日は急にお友達と出ることになって・・・夕飯、利成に頼んでおいたんだけど大丈夫だった?」

「大丈夫です。外でごちそうになりました」と咲良は明るく答えた。

「そう、良かった」と明希も靴を脱いで家に上がって先にリビングの方に行ってしまった。

「咲良、部屋に来て」と言われてそのまま奏空の部屋に上がった。

そして「はい!」と何か包みを渡される。

「何?」

「お土産」

「そうなの?ありがと」と包みを開けてみると皮でできたブレスレットだった。

「あ、素敵。ありがと。私こういうの好きだよ」

「そうだと思った。これ見て」と奏空が自分の腕を見せてくる。そこには同じ皮のブレスレットがつけてあった。

「おそろだよ」と嬉しそうに奏空が言う。

(無邪気だな・・・)と咲良は奏空の笑顔を見つめた。

でも、奏空に会えてほんとにホッとしていた。利成とのことで傷ついた心が奏空といるとどんどん洗われていくようだった。

「ありがとう」ともう一度言うと「うん、そうだよ。それが素直っていう気持ちだよ」とまるで咲良の心をすべてわかっているかのように、奏空が嬉しそうに笑顔で言った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?