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フローライト十一話

すごく久しぶりにユーチューブを更新した。こないだ練習した利成の歌を歌った。最近は家でも時々利成の歌を口ずさんで練習していた。次回更新するときも利成の歌にしようと思っていた。

キッチンを片付けながら無意識に利成の歌を口ずさんでいたら「明希、うまいね」といきなり言われてびっくりして飛び上がった。別な部屋にいるとばかり思っていた利成がいつの間にかリビングにいたのだ。

(聴かれちゃった・・・めちゃ恥ずかしい・・・)

「うまくないよ」

明希は恥ずかしくて頬が熱くなった。

「うまいって」

「利成の方がうまい」

「ハハ・・・まあ、一応プロだから下手っていわれたらきついかも」

利成が笑って言った。

「利成の歌、難しいよね」

「そう?でも上手に歌えてるよ」

「そうかな・・・」

「うん」

「明希、あのさ・・・」

「ん?」

「来週から何か所か回るライブツアーだから、少しの間帰れないんだ」

「うん、わかった」

そういうことは今までで何度もあって明希は慣れていた。

「これ終ったら、今年の年末はどこか旅行に行かない?」

「旅行?」

「うん、色々忙しくて明希とはどこにも行ってないだろ?」

「まあ・・・でも、私なら・・・」

「いいんだよ。どこに行きたいか考えておいてね」

「うん」

 

次の週のライブのために出かける前日の夜、利成が求めてきた時に「後ろからしていい?」と聞いてきた。明希としてはもう気を使って一回一回聞かなくてもいいのにと思っていた。何故なら聞かれると恥ずかしいのだ。なので「うん」と小さく答えた。

(あ・・・でも・・・)と思う。

後ろからだとすごく感じてしまう。利成は気づいてるかな・・・。

(気づいてたら恥ずかしい・・・)と思ったけれど、利成が入ってきてすぐに意識が吹っ飛んだ。

「あっ・・・」と声まで出てしまい、だんだん変な感じになってきた。

「あ・・・ダメ・・・」

思わずそう言ってしまった。

「明希・・・」と耳元で利成に言われた時、強烈な絶頂感がきた。初めてのことだった。

明希が脱力した後に、利成が「中にいれるから」と言ったけれど、もう何だかわけがわからなくなっていた。そして利成が中で射精した後、口づけてきた。

 

後始末を終えて二人でベッドに横になると利成が言った。

「明希、もしかして初めて?」

「何?」

「今日みたいな感じ」

「・・・うん・・・」と明希は顔を赤らめた。

「そう。良かった」と利成は嬉しそうに言った。

「良かったの?」

「うん、だって恐怖症がひどくて明希は結構苦労したでしょ?だけどそれが苦痛じゃなくて気持ちがいいものに変わってくれたら嬉しいよ」

「ん・・・苦労したのは私じゃなくて利成だよ」

そうだ。あのひどい恐怖症をかなりな時間をかけて辛抱強く接してくれた利成がいたからこそ、明希はセックスが恐怖ではなくなったのだ。

「そんなことないよ」

「そんなことあるよ・・・あのね・・・」

明希は本当は聞きたかったけれど、今まで聞けなかったことを思い切って聞いてみた。

「・・・利成は私と付き合う前はどうだったの?」

「ん?どうとは?」

「・・・その・・・誰かと付き合ってたでしょ?」

「うん、まあね」

「何人くらいとつきあったの?」

「急にどうしたの?」と利成が笑った。利成の過去のことを明希は一切聞いたことがなかった。気にならなかったわけではなく怖くて聞けなかったのだ。

「三人かな」

「え、そんなに?」

「多い?」

「うん・・・その人達とは何で別れたの?」

「そうだな・・・最初の子の時は中学生だったからあんまり覚えてないし、多分何となく気が合わなくなってかな」

「他の人は?」

「一人は振られたよ」

「えっ?まさか」

「ハハ・・・何で?」

「利成が振られるわけないと思うよ。だってこんなに優しいんだもの」

「ハハ・・・明希がそう受け取ってくれてるだけだよ。振られた子からは「冷たい」って言われたよ」

「えー・・・まさか」

「高校ん時から色々忙しかったからね、彼女ともほとんど会えなかったし、たまにあっても途中で用事ができたりね」

「・・・そうだったんだ・・・じゃあ、最後の人は?」

そう言ったら利成が少し黙った。それから明希の顔を見た。

「もう時効だから言おうかな・・・」

利成が珍しく逡巡するような顔をした。

「ん・・・」と明希が利成の顔を見つめると、利成が少し微笑んで明希の頬を撫でた。

「実は、明希と再会した時はその人と付き合ってたんだよ。彼女も絵がうまくて・・・そういう関係で知り合ってね」

「うん・・・」

「明希と美術館に行ったの覚えてる?」

「うん、もちろん」

忘れるわけない、再会して初めてのデートだった。

「あの時点ではまだ彼女とつきあってたんだ」

「え・・・」

「ごめん、言ってなくて」

「ううん、だってあの時はまだ利成とつきあってたわけじゃなかったし・・・ただ美術館に一緒に行っただけだし・・・」

「そうだね、でも、明希につきあってって言った時も、まだその子がいたんだよ」

「えー・・・ほんとに?」

「うん、ごめん」

「・・・でも、その後は?」

「その後はもちろん別れたよ。明希にモデルになってもらってた頃にはもうその子とは別れてたから」

「・・・そうなんだ・・・」

ちょっと気持ちが沈んだ。過去のことなのに・・・。

(あれ?)と思ったら涙が出てきた。これはヤバイ・・・過去のことに泣くなんて利成に呆れられる。でも止まらない・・・。

涙を隠そうとしたら利成に気づかれた。

「明希?」

顔をのぞきこまれて慌てて手で隠した。

「ごめんね」と利成が言って抱きしめてきた。

「ううん・・・」

「明希のユーチューブ見つけた時、思い出したんだ・・・明希と描いたオレンジ色の絵を」

「・・・・・・」

「もちろん明希かどうかなんてわからなかったけれど、あの歌声聴いたらパッとオレンジ色が浮かんだんだ。・・・あの個展の日、実は明希があの会場に入って来てくれた時に先に気づいてたんだ」

「え・・・ほんとに?だってあの時私が絵を見ていたら・・・」

「そう、今気づいた振りした」

「えー・・・ほんとに?」

「うん、うまいでしょ?」

「もう・・・ずるい」

「ハハ・・・ごめん。だけどあの色鉛筆、わざわざ持ってきてくれてたでしょ?嬉しかったけど俺が明希を忘れるわけないのにって思ったよ」

「そうなの?だって何年も経ってたし・・・もう忘れてるんじゃないかって・・・」

「明希は俺のこと忘れてた?」

「ううん・・・忘れてない。ずっと思ってたけど、もう会えないと思ってたから・・・」

「色鉛筆と一緒に住所いれたでしょ?」

「ん・・・」

「電話番号も書いたはず・・・だからしばらくはちょっと期待してたよ」

「え?そうなの?」

「うん」

「ごめん・・・私なんかが連絡したら嫌かなって・・・」

「・・・明希はそうだよな・・・」

そう言われて利成の顔を見た。

「明希・・・もっと自分を信じて、そしたらね、俺のことも信じられるようになるよ」

「利成を?利成のことは信じてるよ?」

そう言ったら利成が微笑んで「うん・・・そうだね」と言って抱きしめてきた。

「明日からまた留守にしちゃうけど大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ」

「うん、ありがとう。・・・じゃあ、寝よう」

「うん、おやすみなさい」

「おやすみ」

 

次の日の朝早くから利成は出掛けて行った。明希はいつものように仕事に行き家に戻るの毎日。ただ一人になると、このマンションの部屋がやたら広く感じて寂しい気持ちになった。

ただ利成は時間があれば夜は明希にラインをくれた。電話ができるときは電話をくれるので夜はそこまで寂しさを感じずにすんだ。

(でも、寂しい・・・)とやっぱり思う。

なので利成が帰宅する日が近づいてくると指折り数えてカレンダーを見つめた。そうしてやっと帰宅すると言ったその日の夜、たまたま見ていたニュースでついさっき着陸しようとした飛行機が着陸装置の故障で胴体着陸をしたというニュースが入って来た。

(え・・・)

それは福岡発十九時十分発とあった。それは今日利成が乗っているはずの航空機だった。明希はテロップで流れてきたニュースを見つめチャンネルを変えてみた。

すると空港が映し出されているのが見えた。アナウンサーが喋っている。着陸装置の故障で胴体着陸の後、機体から煙が出て乗客乗員が避難しているという。

(利成・・・)

一気に不安になった。

(どうしよう・・・)

どうしたらいいのかわからない。どこに聞けば?

(利成のスマホはつながらないよね)

テレビでは乗客は荷物もそのままに非難しているところだという。

(どうしよう・・・)

ただオロオロして時間ばかりが過ぎる。そのうちテレビで「乗務員の一人が軽いけがをした他は乗客に怪我はありません」と言うのを聞いて少しホッとした。

その時電話が鳴った。利成かと思って慌ててスマホを手にした。

(あれ?)

スマホには番号だけが表示されている。

「もしもし?」

「明希?俺・・・」

(え?)と思った。

「・・・翔太?」

「うん、ごめん、電話なんかして・・・」

「ううん、いいよ。どうしたの?」

「飛行機、天城大丈夫?」

「え?」

(何で知ってるんだろう・・・)

「何で知ってるの?」

「あれ?明希知らないの?俺、今天城と仕事関わってるんだ」

「え?嘘・・・」

まったく知らなかった。そんなこと利成は一言だって・・・。

「明希、相変わらずだな・・・テレビとか見てないでしょ?」

「うん・・・」

「天城が俺の曲編曲してくれてさ、バンドの方一回テレビにも出たんだよ」

「えー・・・そうだったの?」

「うん・・・そっか、明希は知らなかったんだ。じゃあ、知らないことにしといてよ」

「何で?」

「俺、天城から明希に絶対連絡するなって言われてるからさ・・・ま、今しちゃったけど」

そう言って翔太が笑った。

「私の番号消さなかったの?」

「消してないよ。ラインも」

「何で?」

「んー・・・だって明希、あの時泣いてたじゃん。俺にさよならいう時」

「ん・・・」

「天城に言われたんだろ?俺ともう連絡取るなって。明希から言われたんなら俺も諦めたけど」

「そうなの?」

「うん、明希はまだ俺のこと好き?」

「ん・・・」

好きだけど言っていいのかわからなかった。

「俺はまだ好きだからさ・・・あ、ごめん、もしかしたら天城から連絡入るかもしれないね。じゃあ、切るね」

「あっ・・・翔太」

何だか寂しかった。

「何?」

「えーと・・・その・・・」

また話したいなんて言えないし、言っちゃいけないよね。

「・・・また連絡する・・・じゃあね」

通話が切れた。

その途端電話が鳴った。今度は利成からだった。

「もしもし?」

「明希?ごめん、帰るのもう少し遅れそう」

「だ、大丈夫なの?テレビ見て・・・」

「大丈夫だよ。誰も怪我してないし。あ、CAの人がちょっと転んじゃったかな」

「そうなの?本当に?」

「うん、大丈夫。少し遅れるけど待ってて」

「うん、わかった」

 

その日の夜遅く利成が帰ってきた。

「ごめん、心配かけて」と少し疲れた顔をしていた。

「ううん・・・ほんとに怪我とかない?」

「うん、大丈夫だよ・・・ちょっと疲れたから話は明日でもいい?」

「うん、いいよ。休んで」

「ありがとう」

利成が「疲れた」なんて言うのはあまりないことだった。先に眠ってしまった利成の寝顔を見て明希は思った。

(翔太のこと・・・利成は黙ってたんだよね・・・)

そりゃあそうだよね・・・。もう連絡するなって当たり前だよね。

でも・・・何でいつまでも翔太が気になるんだろう・・・何でいつまでもすっきり切れないのかな・・・。

 

次の日は利成は休みを取ったと言っていた。

「着陸の時、ちょっとしたパニックになっちゃって・・・」

「そう・・・」

「無事着陸できても今度は煙が出てまたパニックみたくなって・・・。先に子供やお年寄り女性の人みたく順番に飛行機から降りたから、俺は一番最後に降りたよ」

「そうだったの?煙は?大丈夫だったの?」

「うん、大丈夫。降りてからショックで具合悪くしてる人とかいたけど」

「そうだったんだ」

でも良かった、利成が無事帰ってこれてと思った。

テレビでは昨日の飛行機の事故が映し出されていた。芸能ニュースに切り替わってもまた飛行機が映し出されている。

(あれ?)

利成が映っていた。

「たまたま記者の人も乗ってたんだよね」

利成がテレビを見ながら言う。

「そう・・・」

「だからばっちり取られちゃったよ」

「そうなんだ・・・」

続けてテレビを見ているとアナウンサーが「実は同じ飛行機にかねてから噂のある〇〇〇さんも乗っており・・・」と言っている。

(え・・・)

あのネットでみた利成の写真を思い出した。どういうことだろう・・・。利成は特に慌てた様子もなくそのままテレビを見ている。

「今回のツアーでの滞在先では・・・」

そこで利成と女性の写真がまた映った。それは明希の見た写真とは違うものだった。そこで利成がテレビを切った。

お互い何となく気まずい雰囲気が流れる。明希は何と切り出していいか考えあぐねた。

(かねてから噂ってなんだろう・・・)

そう思ったけど聞けずにいた。黙っていると利成が「朝食何にする?」と言った。ふと顔を上げるといつもの優しい笑顔だった。

二人でトーストとコーヒーの朝食を取った。今日は祝日で明希の仕事は休みだったのでゆっくりできた。

(さっきの聞いた方がいいよね・・・)

あのテレビに映し出された女性は何とかっていう女優さんだと言っていた。

(でも・・・前に聞いた時もはぐらかされたし・・・)

前に聞いた時は昔の話をされて話は終わったのだ。

「利成・・・」とそれでも明希は聞こうと思って言いかけた。

コーヒーを飲んでいた利成が「ん?」と利成が顔をあげる。

「その・・・」とまた言い淀んでしまう。

「何?」

(でも、考えてみたらああいうの見ちゃって言い訳するのは利成の方じゃ・・・)

だから自分から話してくれてもいいのにと思う。

「明希?何か言いたいことあるなら言ってよ」

(私から言うことかな・・・)

「あの・・・さっきのテレビの・・・」

「テレビの?」

「・・・・・・」

多分わかっててとぼけてるんだと思って続きが言えなくなった。

明希が黙っていると利成も何も言わず、またコーヒーを口にしている。

(もしかして本当だから何も言わないのかも・・・)

不安になって来た。前の時も結局はぐらかされてはっきりしなかったのだ。

(それに過去の人のことを聞いた時、最後の人は私とかぶってたって・・・)

明希の頭の中にはそのことがずっと残っていた。明希は朝食を終えるとキッチンでカップと皿を洗い始めた。自分はいつもはっきり言えない。何て言われるかと思うと怖くて聞けないのだ。子供の頃からよく父に叱られていた。何でもっと早く言わなかったのかと・・・。

利成も自分が使ったカップと皿を持ってキッチンに入って来た。

「置いておいて、やるから」と言ったら利成がカップと皿を置いてから後ろから抱きしめてきた。

「明希、言いたいことあるならちゃんと言って」

「・・・・・・翔太のこと・・・何で黙ってたの?」

さっきの女性のことは聞けず、つい言わないつもりだった翔太のことを言ってしまった。すると利成が明希の背中から離れた。

「夏目のことって?」

「アレンジしたとか・・・」

「・・・そうだね。誰に聞いたの?」

「・・・翔太から・・・」

「・・・・・・」

利成が沈黙した。明希は利成が使ったカップを洗いながら、自分が利成に対して腹を立てていることに気づいた。こんな気持ちは初めてだった。

「そう」

利成がそう言ってリビングの方に行った。明希が片付けを終えてからキッチンを出ると、利成が「明希、こっちに来て」と言った。明希はソファに座っている利成の向かい側に座った。

「夏目と連絡取ってたの?」

「ううん・・・取ってない」

「じゃあ、なんで?」

「向こうから電話が来たの。昨日・・・利成が大丈夫かって・・・」

「そう・・・」

考える風な利成の顔を見ているうちに、やっぱり自分だけこんな風に言われるのはおかしいんじゃないかと思い始めた。おまけに自分は翔太と何でもないのだ。ただ元カレだというだけだ。

(だって利成はそうやって綺麗な女優さんと・・・)

「夏目にはもう一度言っておくよ」

利成がそう言った時、何だかカチンときてしまった。そんなことは初めてだった。

「私、翔太とは何でもないし、たまに連絡取るくらいはいいんじゃないかと思うんだけど・・・」

そう言ったら利成がひどくびっくりした顔をした。こんなふうに利成にたてつくような言い方をしたことはなかったのだ。

「明希はそう思うの?」

「うん・・・だって利成だって・・・」

「俺だって?」

「その・・・他の人がいるでしょ・・・」

カチンとした勢いで言った。そうでなければ言えなかっただろう。利成の顔は見れなかったので明希はうつむいた。利成は黙っている。

「俺に他の人がいるって思うんだね」

少し経つと利成が口を開いた。

「ん・・・だって今もテレビで言ってたし・・・前に聞いた時もはぐらかしてたから・・・今だって何も言ってくれない」

「そうか・・・」

沈黙が続いた。明希はただうつむいてじっとしていた。利成に誰かいるなら、何だかここに自分はいらない人間ではないかと思い始めていた。

「・・・どうしようか?じゃあ・・・」

利成がそういったので明希は顔を上げた。

「どうするって?」

「俺に女性がいたら、明希はどうするの?」

「・・・利成と別れる・・・」

「そう」

利成があっさりとそう言った。言い訳もしないところを見ると、テレビで言ってたことは本当なのかもしれない。

「・・・あの女性って利成はつきあってるんだよね?」

「・・・うん、そうだよ」

ハッとして顔を上げた。利成がじっと明希の顔を見ていた。

(ひどい・・・)

涙が出てきて立ち上がって寝室に走った。それからベッドに突っ伏して泣いた。

(ひどい・・・)と泣きながら、本当は利成のことを信じていたんだと気づいた。きっといつものように優しく否定してくれるはずだと・・・。

「うっ・・・」と嗚咽していると寝室のドアが開いた。

利成の手が肩に触れる。

「明希」

呼ばれたけど返事はできなかった。ただ哀しくてやりきれなかった。

「明希」とまた呼ばれた。でももう利成の顔も見たくなかった。

「明希、顔上げて聞いて」

そういわれたけど、顔は上げられなかった。もう利成となんか一緒にいたくない。

「あの女優さんとはつきあってないよ」

(え?)と顔を上げた。

「嘘・・・今つきあってるって言ったじゃない」

「そうだね・・・明希、つきあってるっていう俺と、つきあってないっていう俺のどっちを信じる?」

「・・・そんなの・・・付き合ってるんでしょ?もう誤魔化すのはやめて」

「・・・・・・」

利成が黙った。それからまた口を開く。

「俺のいる世界はね、あることないこと話題にしておもしろおかしく他人のことをいう世界なんだよ。それが悪いわけじゃない、みんながそれを望んでいるからそうなってるだけだしね」

「・・・・・・」

「人の中にはその人独自のフィルターがあってね・・・例えばあの人ならこういうことしそうだとか、あの人は絶対そういう人じゃないでしょとかね。まず明希には自分には価値がないというフィルターがあって、そこから覗いてるんだ。ここまでわかる?」

「・・・多分・・・」

「じゃあ、一応話しすすめるよ。明希は前も聞いたでしょ?この記事は本当かって」

「うん・・・」

「はっきり違うって言っても良かったんだけど、また今同じことが起きたよね?それでまた明希が不安になる。それで聞くんだよね?前回と同じことを」

「・・・・・・」

「きりがないってことまずわかる?」

「ん・・・」

「俺が「そうだ」と言っても「そうじゃない」って言ってもね、明希が望む方を信じるんだよ。そのフィルターに従ってね」

「・・・よくわからない。事実は一つでしょ?」

「うん・・・ところがね、そうじゃないんだ」

利成がそこで少し楽しそうな笑顔を作った。

「よくわからないよ・・・」

利成は時々こうやって明希が理解できないことを言うのだ。

「簡単に言うと、さっきのその人独自のフィルター・・・まあ、“考え方”っていう方がわかりやすいかな。その“考え方”の分だけ事実があるよ」

「まったくわからない」と言ったら利成が少し笑った。

「じゃあさ、今目の前に俺がいるだろ?明希は俺を見ている」

「うん」

「でも実は明希のさっきのフィルターを通して俺を見てる」

「わからない」と即答したらまた笑われた。

「そっか・・・明希って可愛いね」と利成が頭を撫でてくるのでちょっとバカにされた気がしてぶすっと膨れて見せた。

「バカにしてる?」と言ったら利成が笑いながら「ごめん、ごめん」と言った。

「じゃあ、赤いセロハンあるだろ?子供の頃遊ばなかった?あのセロハンを通して周りをみたら?」

「赤くなるよ」

「そう。明希は例えばその赤いセロハンをいつも通して物事を見てるとして、俺はオレンジ色のセロハンを通して物事を見てたら?」

「私は赤い世界でしょ?利成はオレンジ色の世界・・・あれ?」

「そう。同じ場所にいるのに見えてるものは違うんだ」

「でも、事実は事実でしょう?目の前に起きていることは一つでしょう?」

「んー・・・事実があるというより、解釈があるって感じかな・・・フィルターは実際には一つじゃなくて色んな色が重なり合ってるからね」

「でも利成がつきあっている人がいるのかいないのか、それはどちらかでしょ?」

「そうだね」

「だからそのフィルターとか考え方とか関係ないんじゃないかな」

「じゃあ、明希の言う通り事実が一つあるとするよ?」

「うん」

「俺があの女性とどこかのホテルの前に立っているという事実は一つだね」

「うん」

「ホテルの前にいるからきっとそのホテルに二人は入ったのだろうと人は思う」

「うん」

「でも、たまたまそこに立っていただけということもあり得る」

「うん」

「ホテルに入ったかどうかはわからないよね?もしかしたら、出て来たのか入るところなのかもわからない。わかる?」

「うん」

「でも何でみんなそこの前に男女が立っていたら、ホテルから出て来たと思うんだろう?」

「それは・・・」

「男と女だから?きっとそうだろう?」

「うん・・・そうかも」

「芸能人だから?きっとそういうことしそうだから?」

「・・・うん・・・それも思うかも」

「じゃあ、事実は一つ?」

「あっ・・・」

ハッとしたら利成が嬉しそうに微笑んだ。

「まあ、皆が思いたい方向に思わせるように記事は作られるからね。あたかも事実のような感じがするんだよ」

「でも・・・そうだとしてもまだわからないよ」

「うん・・・何がわからない?」

「その・・・利成とその人がつきあってるかどうかって・・・」

「そうだね」

「だから・・・」

「もし信じて違ったらって思うと怖い?」

「うん・・・」

「じゃあ、あの話が本当だとするよ?」

「うん・・・」

「俺が明希をだましてました。こういう話でけむに巻いて狡いことをしたとします。そしてそのことが明るみに出ました。なんだやっぱり嘘つかれてたと明希は傷つくよね?」

「うん・・・」

「そして明希は俺を憎んで別れました」

「うん」

「まずこれが一つ目のお話し」

「うん」

「次ね、本当は俺はあの女優さんとももちろん誰ともつきあってなかったとします。でも、明希は疑っていました。一度はその気持ちも収まりました。でもまた週刊誌に記事が出ました。今度は違う人です。明希は不安になりました。また確認しました。でも二回目は不信感でいっぱいです。今度は俺の行動が気になり始めます。スマホもチェックしたくなります。俺が隣にいてもいつもそのことが頭にあって落ち着きません。明希はだんだん疲れてきました。こんな毎日は嫌になってきます。そして三回目の記事が出ました。もう明希は限界です。俺に言いました。「別れて欲しい」と・・・」

「うん・・・」

「実際には俺は明希だけを愛していました。でも明希は俺を憎んで別れました。おしまい」

「・・・・・・」

「で、まだまだお話は何通りにでも作れるけど、どうする?」

「もういい」

「うん」

利成は明希を抱きしめてきた。

「明希のお話は、必ず俺との「お別れ」が結末なんだよ。俺に誰がいてもいなくても」

「うん・・・」

「それが明希のフィルター。でも悪いわけじゃないよ?さっきも言った通り、マスコミがおもしろおかしくああいう記事を書くのはね、皆が望んでいることでもあるからなんだ。それと同じで明希も無意識にそう望んでいる・・・この辺の話は誤解を生みやすいんだけどね」

「うん・・・でも何となくわかった」

そう言って利成を見つめたら利成が明希に口づけてから言った。

「明希、一度だけ言うよ?」

「うん・・・」

「俺は明希だけだよ」

「うん・・・」

「明希を愛してる。これでお話は完結」

そう言われて明希は利成を見つめた。少し切なそうに利成は明希を見つめていた。

「うん・・・」

明希の目にさっきとは違う意味で涙が浮かんだ。

「じゃあ、今日はせっかく二人一緒に休みなんだから一緒に何かしよう。どこかに行く?」

「んー・・・でも、出かけても大丈夫?」

「大丈夫だよ」

「あのね、美術館に行きたい」

「美術館?いいよ。今、何かやってる?」

「うん、○○で絵本美術館っていうのやってるの。見てみたい」

「そうなんだ。いいよ、行こう」

 

初めて一緒に行った時のように久しぶりに利成の運転で美術館に行った。美術館に入ると利成が手をつないできた。

(いいのかな・・・)

不安になって利成に言った。

「ねえ、大丈夫かな?誰かに見られない?」

そう言ったら利成が笑った。

「明希、俺たち夫婦でしょ?」

「あ、そうか」と納得したら利成が吹き出した。

「しっかりしてよ、奥さん」と笑っている。

エヘヘと照れ笑い・・・。まだ利成と付き合っているような感覚でいる自分に気づく。

二人で絵本を見ながら、これがいいとかここが好きだとか言いあって本当に楽しかった。利成のフィルターの話は本当はあまりわかっていなかったけれど、こうやって一緒にいたいと思った。

そして「今年の年末はどこかに旅行に行こう」と利成が言ってくれて計画していた旅行は二か月後取りやめになった。

明希が妊娠したからだった・・・。


 

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