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フローライト第二十九話
天城利成の子供がアイドルデビューした。○○事務所から五人組の一人だという。朝倉咲良はそのニュースをテレビで知った。
利成の息子がアップで映るのを見て、咲良は「全然似てない」と思った。
二年以上つきあった利成から別れると言われたのは一年ほど前だ。それも突然一方的にそう言われて着信拒否やラインもブロックされた。
(ふざけんな)と思った。週刊誌に載って妻にバレたのが理由だとか?
それから何度も電話やラインをしたがすべて拒否された。最後に話しくらい聞いてくれたってと、咲良ははらわたが煮えくり返った。どう復讐してやろうかと最初の三か月はそればかり考えた。
週刊誌にぶちまけたところでそんなの一時のことで、利成自身にはさほどのダメージなどないだろう。そうなると利成の妻ならどうだろう。昔、自殺未遂をしたのも原因は利成の女性関係だと聞いたことがある。
咲良は女優業をしていたが、たまたま利成のMV製作で関わって交際が始まった。相手は既婚者でもう四十才を過ぎている。咲良はまだ二十四才、利成と知り合った頃はまだ二十一才だ。
まだまだ純粋だった咲良は、利成の言葉をそのまま受け取って信じた。優しい言葉や時々見せる冷めた目、荒々しいセックスにすっかりハマってしまった咲良は、かなり利成に本気になったのだ。
噂は知っていた。女性関係が多いことも承知の上だった。でも、いざこんな風にされた冷たい仕打ちにどうしても諦めきれなくなった。
ただ利成の妻に接触するにしても、どうすることが一番ダメージを相手に与えるのかがわからなかった。そして利成の子供がアイドルとしてデビューしたというのを聞いて一か月後くらいに、そのグループが出すMV出演の依頼がきた。これはわざとかもしれないと思う。咲良が利成と関係があったのを関係者は知っていたし、その息子が所属するグループのMVにとなるとかなり話題になるだろう。
(でもまあ、私が憎まれ役か・・・)
アイドルグループのにとなると、利成との時よりかなりファンから嫌われるだろうと予想する。それでも実のところ、女優の仕事も最近は脇役ばかりで、目立った役どころはなかったし、このまま行くとセクシー路線に転向させられそうな雰囲気だった。仕事を選べるような身分ではなかった。
(利成の子供と接触してそれとなく両親のことでも聞こうか)と思った。相手の家庭が壊れればそれでいい。もう利成とよりを戻したいとかそんなことではなかった。
撮影の初日、メンバーと顔合わせをした。平均年齢十八才、利成の子供はまだ十七才だと言う。
「よろしく」と笑顔を作った。笑顔には自信がある。
髪は派手目に染めて欲しいということで、明るい茶髪で服装も露出が激しい。どうやらこのグループは通常のアイドルより少し違った路線を考えているらしい。
利成の息子奏空は、利成と外見がまったく似ていない。恐らく母親似なのだろう。
撮影の合間に少し話せる時間があったので咲良は話しかけてみた。
「天城利成さんの子供なんでしょう?」
「そうだよ」と屈託なく答える奏空は、別段そのことを隠すつもりもないらしい。
「お父さんっておうちではどうなの?優しいの?」
「優しい・・・って?どんな感じのこというの?」
「んー・・・怒らない?」
「怒らないよ」
「そうなんだ、お母さんは?」
「たまに怒るかな」
「そう、お母さんは怒るんだね」
「咲良さんはうちに興味ある感じだね」と奏空が笑顔を向けて来た。
「そうだね」と隠さずに咲良は答えた。どうせこの子にも自分と利成のことはバレているだろうと思う。
撮影は順調に進んで、終了の日に打ち上げのような感じでメンバーとスタッフで食事会となった。ただ皆未成年なのでお酒はなしだ。
咲良は何とか奏空に近づいて、今後も情報を手に入れようと考えた。なので食事も終わりころに「奏空君、もし良ければライン教えてくれない?今後もたまにお話しようよ」と咲良は言った。
(露骨かな?)とは思ったけれど、これを逃すともう奏空との接触はなさそうだったので、思い切って聞いた。
意外にも警戒する様子もなく「いいよ」と奏空はすぐに教えてくれた。やはりまだまだ子供なんだろうなと思う。
自分から連絡しようと思っていたら奏空から連絡が来たので咲良は驚いた。
<先日はどうもありがとうございました。元気?>
(ため口なんだか敬語なんだかわからないな)と思いつつ返信をする。
<こちらこそお世話になりました。元気だよ>
<良かった。今は何してるの?家?>
(あー完全にため語だな)と苦笑しつつ返事をする。
<今は家。テレビ見ながら爪の手入れ>
<そうなんだ。爪の手入れってどういう風にしてるの?>
<甘皮処理とかマニキュア塗ったりね>
<そうなんだ。電話ってしてもいい?>
(ん?随分馴れ馴れしいな)と思う。一応先輩だし、利成の子供だとはいえデビューしたてのド新人なのに?
でも・・・もし、この子を奪ったら?利成と関係を持った女がその子供までも?世間からは完全に自分が悪者だろうけど、利成の妻にしてみれば痛手では?
そう考えてまた違和感。利成の妻ではなくて利成自身が悪いのに、これじゃあ妻に復讐してるみたいだな・・・。
けれど妻が壊れれば、利成の家庭が壊れるだろう。そうなることが一番の復讐だ。そう考えてもう一度気を取り直して返事をした。
<いいよ。番号は○○〇ー〇〇〇だよ>
するとすぐ電話が来た。
「もしもし?」と言われたのでこっちも「もしもし」と返した。
「咲良さんって一人暮らしなの?」
「そうだよ。奏空君は?」
「俺は親と一緒だよ」
「そう、じゃあ、今もいるんだね」
「親?」
「うん、そう」
「うん、いるよ。咲良さんって利成さんが好きなの?」
(え?)と思う。それに”利成さん”って・・・。
「親のこと名前で呼ぶの?」
「そうだよ。うちはね」
「へぇ、変わってんね」
「ハハ・・・よく言われるよ」
「そうだろうね」
「うん、それで利成さんのこと好きなの?」
「好きじゃないけど?何で?」
「だって付き合ってたんだよね?」
「誰から聞いたの?」
「週刊誌で見たことあるよ」
「そう、あれは噂だからね」
「じゃあ、ほんとじゃないの?」
「ほんとじゃないよ」
「そうなの?ほんとかと思ってた」
「ああいうのは信じないで。嘘が多いから」
「ふうん」
そこで少し沈黙になる。咲良は自分から話題を変えた。
「奏空くんは何でアイドルになったの?」
「アイドルになりたかったからかな」
「そう、何でなりたかったの?」
「なりたいってことにあんまり理由はなくない?」
「・・・そう?理由あると思うけど」
「ないよ。理由なんて」
「そう」
(何だか馴れ馴れしいプラス生意気だな)と思う。
そんなことを思っていると「今度うちに遊びに来る?」と言われて咲良は思いっきりびっくりした。
「それ本気で言ってる?」
「うん、何で?」
「だって、違うけど一応噂になっちゃってるし・・・」
「でも違うんでしょ?」
「そうだけど・・・」
「じゃあ、気にすることもないじゃない?」
(生意気なだけじゃなくて何考えているのかわからない子供だな・・・)
「そう?」
「そうだよ」
「じゃあ、まあ、そのうちにね」
「うん」
その日は後はたわいもない会話で話しを終えて通話を切った。それにしても変わった子だなと咲良は思う。子供に罪はないけれど、利成のことはほんとのところ本気で好きだったのだ。それだけまだ心が乱れて苦しい。
それから奏空のグループの人気がどんどん上昇していった。それにくらべて咲良の仕事はどんどん減っていった。ドラマの仕事も最近ではほとんどなく、最近は本気でセクシー路線への転向もそれとなく匂わされていた。
(もし、そうなったら・・・)
田舎に帰ろうかなと思った。そんなことをしてまで芸能界に残る気はなかった。ヒマを持て余すと色々余計なことを考えてしまう。利成のラインを開いてみる。ブロックはされているが、今までのラインは残っていた。どうせ田舎に帰るのなら全部ぶちまけてから帰ろうかと思う。
全部印刷して送りつけてやろうか・・・そんなことを考えていた夜中、奏空からラインがまた来た。
<元気?起きてる?>
<起きてるし、元気だよ>
もう奏空をどうこうの気持ちはなくなっていた。どの道奏空が自分を恋愛の対象として見てくれることはないだろう。何せ相手はまだ十七歳だ。自分の方が六つも年上だ。
<じゃあ、電話していい?>
<いいよ>
するとすぐにまた電話がかかってきた。何なのだろう?
「元気だった?」と聞かれる。
「元気だよ。だけど私もう田舎に帰るかもしれない」
「え?何で?」
「仕事があんまりないのよ。もうやめようと思って」
「芸能界やめちゃうの?」
「そうだよ。脱がされるまえにね」
そう言ったら奏空が一瞬沈黙した。あーお子様にはちょっと刺激が強かったかな・・・。
「脱がされそうなの?」
「そうだよ。これ以上仕事ないとね。前から言われてたことだから」
「そうなんだ。女優以外はダメなの?」
「女優以外とは?」
「歌とか?」
「歌?そんなの全然ダメ。歌はへたくそだもん」
「そう、でも探せば他にもあるよ」
「・・・ありがと。でも奏空君はまだ新人さんでわからないかもしれないけど、まあ、色々あるのよ。お金の問題がね」
「んー・・・そうか・・・」と少し沈黙になる。
「まあ、脱ぐようなことになったらやめるって決めてたからね」
「そう。でもまだ帰らないでしょ?」
「まあ、まだ契約期間はあるからね」
「じゃあ、今度デートしない?」
(ん?)と思う。随分無邪気に誘って来るな・・・。
「デート?奏空君からみたら私なんておばさんでしょ?」
「俺からみたら?全然そんなことないよ」
「そうなのかな~からかってる?」
「からかってなんかないよ。どっか一緒に行こうよ」
(親子してまさか手が早いとか?)
「いいよ、どこ行く?」
「どこがいい?」
「どこでもいいよ~何ならホテルでも行く?」とつい投げやりに言った。十七歳のお子様だ。きっと怖気づくだろうと思った。正直利成の子供なんて御免だなという思いもあった。復讐はしたかったけれど、最近何だか面倒な気分でもあった。
「いいよ」といわれてびっくりする。
「ちょっと、冗談だって」と何とか取り繕った。
「そうだと思った」と奏空が笑った。何だかこっちの方が手玉に取られてる?
「じゃあ、まず食事する?」
「いいよ」
「じゃあ、明後日は?」
「全然オッケー。ヒマだもん」
「じゃあ、また連絡するね」
そうしてその日の夜七時に○○というレストランに行こうと言われる。割と高級店だ。
(十七歳だけど、利成の子供だものな)
そういう店も慣れているのかもしれない。でも、年齢的に私がおごるべき?時間通り行くと、奏空がもう先に来ていた。案内された席は個室だった。
「ここの常連さん?」と椅子に座りながら聞いた。何となく店の人も心得ている様子だった。
「うん、利成さんがね」と笑顔で答える奏空に利成の面影はあまり見られない。
「コースでいい?」と聞かれ頷く。メニューには値段が書かれていない。
(わー・・・ちょっと怖い)
利成と付き合っている時は、ただホテルに行って終わりが多かった。こんな風に行きつけの店に連れて行ってもらったことはない。
(やっぱりただのセックスフレンドだったんだろうな・・・)
今更だけど心がズキンと痛んだ。
「仕事まったくないの?」と聞かれる。
「まあね。でも、もういいやって感じ。田舎に帰って何か仕事探すよ」
「田舎ってどこ?」
「九州の方」
「そうなんだ。でもまだ帰るには早いよ」
「そんなことないよ?こっちに出てきたのは奏空君と一緒の十七歳だったし、それから七年?はたったよ」
「俺、十八になったよ」
「あら、そうなの?誕生日いつ?」
「七月だよ」
「そうなんだ、じゃあ、もう高校卒業?あ、高校に確か通ってたよね?」
「うん、行ってるよ。来年は卒業」
「進学はしないんでしょ?」
「うん」
そんな話をしているうちに料理がどんどん運ばれてくる。食べながらチラッと咲良は奏空の顔を見た。十八歳か・・・と思う。自分もその頃は夢をいっぱい持って上京したのだ。
「最近人気すごいでしょ?良かったね」最後のデザートが出てくると咲良は言った。
「んーそうだね」
「何?嬉しくないの?」
「嬉しいっていうかまあ、普通のことかな?」
「ずいぶん自信あるんだね」
「自信?咲良もあるでしょ?」
「私は全然ないよ」
「何で?」
「結局女優業ダメだったし・・・恋愛もね、失恋したし」
「そう・・・失恋は芸能界の人?」
「そうだよ」
「ふうん・・・」
「奏空くんは、彼女いるの?」
「いたけど、別れたよ。嫌いだって言われた」
「えーそうなの?でも今頃その彼女後悔してるよ~、奏空君がこんな人気アイドルになるって知ってたら別れなかったでしょ」
「どうかな。それなら俺から別れたかもしれないし」
「そうか・・・」
奏空との会話はわりと楽しかった。何だか利成の子供だということも、自分が利成のことを恨んでいることも一時忘れてしまっていた。
会計をする時、「大丈夫、こっちで払うから」と言われる。かなり年下の子におごってもらうとは・・・と思うけれど、今では稼ぎは奏空の方がずっと上なのだからいいかとも思う。
外に出ると少し風が冷たかった。
「今日は、ありがとう」と奏空に笑顔を向けた。何だか復讐とかどうでもいいかなと奏空といると思ってしまう。
「うん、良ければこれからうちにおいでよ」
「え?だって・・・」
時刻はもう八時半を回っていた。
「ヒマなんだよね?」と聞かれて「まあ」と答えた。利成の家・・・興味はあった。でも本人に会ったら?
「じゃあ、行こう」と手をつながれる。温かな温もり・・・最近はまったくなくなっていた人の温もりだった。
タクシーで降りた場所は、高級住宅街だった。その中の一軒家が奏空の・・・つまり利成の家だ。
「ただいま!」と玄関で大声で言っている奏空。女性がパタパタと音をたててきた。
「おかえり」と言ってから驚いた表情でこっちを見る。それもそうだろう。こんな時間に女性を、しかもこんな年上の女を連れて我が子が帰宅すれば、大抵の親は驚くに違いない。
「こんばんは」とそれでも咲良は笑顔を作った。
「朝倉咲良さんだよ。MVの時にお世話になったよ」と奏空が紹介している。
「あ、そうだったの?すみません。奏空がお世話になってます」と頭を下げられる。お世話したのは奏空だけじゃないけどね、と心で毒づいてみる。
奏空の部屋に通される。いいのかな、年頃の息子をこんな女と一つ部屋でと思いつつ、珍しくて奏空の部屋を見回した。
「いろんな音響機器とかコンピューターとかすごいね。あ、本も色々読むんだ?」
部屋の本棚には本がいっぱいだった。
「うん、本はわりと読んだかな。最近はあまり読んでないよ」
「そう」と咲良は本棚を眺めた。コンピューター関係から哲学書まであった。
途中奏空の母親が紅茶を持ってきてくれた。優しそうな利成の奥さん・・・そうだよね、私なんかよりずっと大事だろう。
「咲良?」と呼ばれてハッとする。
「どうかした?」と奏空に聞かれる。どうやらぼんやりしていたようだ。
「あ、ごめん。ちょっとぼんやりしちゃった・・・。でも、そろそろ帰るよ」と咲良は部屋の時計を見た。時刻は夜の十時近い。
「帰る?タクシーで帰る?」
「ううん、まだ電車あるし」
「じゃあ、駅まで送るよ」と言われる。
「いいよ、大丈夫」と咲良は立ち上がった。
「ねえ、俺と付き合わない?」といきなり言われてびっくりした。
「え?付き合う?」と思わず聞き返す。
「うん、彼氏いる?」
「いないけど・・・」
「じゃあ、つきあおうよ」
「・・・私、奏空君よりだいぶ年上なんだよ?」
「うん、知ってるよ。でも、年は関係ないでしょ?」
「そうかな・・・」
「そうだよ」と笑顔になる奏空。実はあなたのお父さんと付き合ってたんだよって言ったらどう思うだろう。
「でも、ほんとに近々田舎に帰るから。付き合うなんて無理だよ」
「ほんとに帰っちゃうの?」
「帰るしかないからね」
「そう・・・でも、付き合おうよ」
「・・・・・・」
「いいでしょ?」と結構強引なところは、利成に似ているのかもしれない。
「無理だよ。私、年下ってダメだもの」
「どうして?」
「んー・・・頼りたい気持ちが強いのよ。年下だとあんまり甘えられないし・・・」
「そんなことないって。甘えてよ」
「アハハ」と何だか笑ってしまった。でも、「まあ、いいよ」と答えた。どうせ田舎に帰るし、それまでの付き合いだ。
玄関で利成の妻に挨拶をしてから奏空と表に出ると、ちょうど一台の車が入って来た。そして降りてきたのは当然利成だ。利成は咲良の顔を見ると、驚きを露わにした。そうだよね、かつてのセフレが自分の家にしかもこんな夜中に我が子と共にいるのだから。
「こんばんは」と普通に咲良が挨拶をすると「こんばんは、お久しぶり」と利成が返してきた。
「そうですね」とただ返して歩き出そうとすると、利成が後ろからついている奏空に話しかけた。
「奏空、どこに行く?」
「咲良さんを送って行くんだよ」
「咲良を?」
利成が昔のように自分のことを呼び捨てにしたので咲良は利成の方を振り向いた。利成は特に表情も変えずに咲良をチラッと見た。
「うん」と奏空が答えている。
「乗っていきな」と利成が言ったので咲良は利成の顔を見た。
「いいです。電車で帰るから」と答えると、奏空が利成と自分の顔を見比べてから言った。
「咲良さん、利成さんの車で帰ろうよ。俺も一緒に乗るから」
奏空が言うと利成がまた驚いた顔をして奏空を見ている。
面倒なので「わかった」と言い、利成の車の後部座席に乗り込むと、奏空も一緒に後ろの座席に乗って来た。
「前に乗ったら?」と咲良は言った。
「何で?」と奏空に返される。
「何でって・・・」
するとバッグミラー越しに利成と目が合った。
「いいよ、咲良。気にしないで」と言われる。
(呼び捨てなんてやめて欲しい・・・)
咲良は利成から目をそらして窓の方に顔を向けた。不覚にも涙が出そうになって焦った。すると奏空が手を握ってきたので驚いて奏空を見た。
「利成さん、出発していいよ」と笑顔で言っている奏空。
(不思議なというか、変わった子だな・・・)
利成が「家、変わってない?」と言う。
「まあ・・・」と答えると奏空に顔を見られた。そうだよね、家を知ってるなんて・・・おまけに呼び捨てだし・・・週刊誌の記事は嘘だと言ったのに完全にそうじゃなかったってバレただろうなと思う。
「何だ、やっぱり利成さんと付き合ってたんだ」と屈託ない調子で奏空に言われて、今度は思いっきり驚いて咲良は奏空の顔を見た。利成の方を見ると、特に動揺した様子もなく黙っている。
信号待ちで車が止まると奏空が言った。
「そうか~でも、利成さん、今は咲良さんは俺の彼女だから」
この言葉にはさすがに利成も驚いて後ろを振り向いた。咲良も驚いて奏空を見た。
「彼女?」
「うん、付き合うことにしたんだ」
「・・・・・・」
利成がまた前を向いてから言った。
「明希には言った?」
(明希?・・・あー、妻のことか)と咲良は思う。
「言ってないよ」
「そうか・・・」と口をつぐむ利成。信号が青になり車を発進させた。
「内緒にする?」と奏空が利成の方を見ながら言う。
「どっちでも・・・」
咲良は利成の後姿を見た。自分のことがわかってももう支障はないということか・・・。
自宅のアパートに着くと奏空が手を離した。ずっと車の中で手を握っていたのだ。
「じゃあ、咲良さん。またね」と奏空が明るい声で言う。
「うん・・・天城さん、ありがとうございました」
咲良が言うと「うん、じゃあね。頑張って」と言われる。
(頑張って?)
カチンときた。自分がまったく売れない女優になってしまったことを利成は知っているのだ。一瞬全部利成の妻にぶちまけるというのは本気でやろうかと思った。夫婦関係には支障はないかもしれない。でも、あの優しそうな利成の妻なら傷つくであろう。利成はけして傷つかない。そんなことは付き合いの中でわかっていた。
「私・・・」と言いかけると、「咲良さん、部屋まで送る」と言われて奏空が車から降りた。
咲良は言いかけていた言葉を飲み込み車を降りた。奏空が一緒に階段を上って来る。
「いいよ、戻って」と振り向いて言った。
「いいよ、送る」と奏空が笑顔で言う。
「ここだから」と三階のドアの前で鍵を取り出した。
「うん、ちょっとだけ話しいい?」と奏空が強引に玄関に入って来た。
(こういうところは父親譲りだな)と思う。利成も強引に自分を誘ってきたのだ。
「玄関でならいいけど?」と咲良は自分だけ靴を脱ごうとした。するといきなり奏空に抱きしめられてびっくりした。
「ちょっと・・・」と咲良は身体を離そうとした。
「あのね、咲良さんのその気持ち、もう少し俺に預けといて」
「何の気持ちよ?」
「利成さんがまだ好きなんでしょう?」
「好きじゃないよ、あんな奴」
「そう?」と奏空が身体を離して顔をのぞきこんできた。
(何なの?こいつ)
腹が立って咲良は奏空を睨みつけた。この子も親と一緒で身体目当てじゃないの?
「そうだよ。そういうこというならあなたとは付き合わないよ」
「わかった。もう言わないよ。でも、寂しくなったら俺に電話でもラインでもしてね」
「寂しくなんてならないよ。勘違いしないで!」
咲良は少し声を荒げた。すると奏空が少し驚いた顔をしてから言った。
「咲良さん、じゃあ、俺からするね」
「もういい。奏空君とは付き合わないから」
「何で?」
「言ったでしょ?年下なんて嫌なの」
「年下だけど、利成さんよりは頼りになると思うよ」
咲良は奏空の顔を見つめた。真っ直ぐな目だった。その瞳は少なくとも利成とは違った。
「バカみたい」と咲良は言って部屋に上がった。後ろから奏空が「じゃあ、またね」と言ってドアを開けて出て行く音がした。
部屋に入ってから咲良は壁にもたれてからずるずると床に座った。涙が出た。まだ傷はドクドクと血を流していたのだ。
(やっぱり復讐してやる・・・)
泣きながら床を叩いた。利成の家庭だけ幸せだなんて許せない・・・・・・。
久しぶりに来た仕事は、すぐに殺されて死ぬ役だった。
(もうどうでもいいや)と思って引き受けた。契約が満期になればもうやめるつもりだ。
あっという間に終わった仕事を終えて、テレビ局近くの喫茶店でコーヒーを飲んでいるとラインがきた。
<咲良さん、元気?今日空いてる?>
奏空からだった。あれから毎日のようにラインをしてくる。
<空いてるけど?>
<夜時間あるからどっか行こう>
<やだ、面倒>
最近は外に出るのもだんだん億劫になっていた。
<じゃあ、俺が咲良さんの家に行くよ>
(は?やっぱ手が早いのは親子共々ってわけね)と思う。
<来たって何もしないよ>
<何もしないって?>
<セックスはしないし、キスもしない>
露骨に書いてやった。利成の子供となんてする気はなかった。
<しなくていいよ。会いたいだけだから>
(あーもしかして童貞かもね)と急に思う。部屋に来るって意味わかってないとか?
<じゃあ、いいよ>と返事をした。
(どうせろくな仕事もないんだし・・・さっさと田舎に帰ろうかな・・・)
貯金も底をつきそうだった。咲良はコーヒー代を支払うと表に出て家に向かった。
夕方五時頃奏空は来た。今日は仕事がぽっかりと急に空いたという。
「仕事、順調でしょ?」と聞いた。
「そうだね」と奏空が珍しそうに部屋の中を見回していた。
「狭いでしょ?何もないよ」
「一人なんだから十分じゃない?」と笑顔で言われる。奏空の笑顔はほんとに一瞬ドロドロした自分の心が綺麗になるかのような笑顔だった。
コーヒーを入れて奏空の前のローテーブルの上に置くと「ありがと」とまた笑顔を返される。
「奏空くんさ、何で私なんかとつきあうの?利成の元女っていう興味?」
「利成さんの元女だからじゃなくて、咲良に興味があるよ」
(あーはいはい、親子して口はうまいわ)
「そう。私は利成の子供には興味ないよ」
「うん、咲良は明希に興味があるでしょ?」
「別に、あーそうか、私が奏空君のお母さんに何かするかと思ってるんだ。残念でした。もうそんな気持ちなんてこれっぽっちもないから」
「そう?」
「そうだよ。そうか、それで付き合おうって言ったんだ。じゃあ、もう大丈夫だから気にしないで帰って!」
ついまた声を荒げてしまった。利成もこの子もみんなその”明希”だかを守るのに必死ってわけね。
奏空が切なそうな表情を作って立ち上がった。咲良は顔を背けていた。冗談じゃない、そんなんで付き合おうって・・・。
いきなり奏空がそばに来たかと思ったらキスをされた。咲良は驚いて奏空の顔を見た。
「約束破っちゃった。ごめんね」と奏空が言う。
「でも、何か切なくなっちゃったよ」と続けて言うと、奏空が咲良の顔を見つめてきた。
「ねえ、次のオフの日、俺と一緒にどこか行こうよ。あ、泊まりがいいかな?」
無邪気な表情の奏空。
「泊りがけ?だから私はあなたとそんな関係になる気は・・・」
「じゃあ、日帰り」
「・・・・・・」
「それならいいでしょ?」
何なのだろう・・・ほんとに邪気がないってこういうことを言うんじゃないだろうか・・・。咲良は何だかそれ以上は何も言えなくなった。
テレビで奏空の姿を見た。グループの中ではすごく目立つというわけでもない。ごく普通に見えた。
「では今日は○○のみんなに好きな女性のタイプを教えてもらいたいな」と司会者がわざとらしく言う。
四番目に奏空が当てられる。
「天城君は?」
「僕はタイプはないかな・・・」
「そうなの?どうして?」
「好きになるのに理由なんてないから」
「ハハ・・・そうだね~いいこというね」と司会者が笑顔になっている。
(まあ・・・他の子とは全然違うってことはわかるな・・・)
咲良はテレビの中の奏空を見つめた。
奏空と出かける約束をしていた前日、事務所から連絡が来た。
「え?どういうことですか?」と咲良は聞き直した。
「つまり○○の天城君とお付き合いのようなことはやめて欲しいってことなんだよ。向こうはアイドルだからね、色々厳しいですよ」
「付き合ってなんかないです」
思わずそう言っていた。
「そうなの?それなら良いけどね。あと、今月で契約も満期だし・・・更新はなしということでいいんだよね?」
「はい」
もちろんそのつもりだった。
事務所からの電話を切ってから奏空にラインをした。
<何かつきあうなって言われたから奏空くんとはもう別れるよ。明日も中止ってことで>
そして寝ようとしていた夜中にいきなりスマホが鳴った。案の定、奏空からだった。
「もしもし?」
「何で?誰に言われた?」といきなり聞かれる。
「事務所だよ。奏空君の方のね」
「あー・・・そうか・・・そんなの気にしないでよ」
「奏空君?いくら今絶好調でもね、新人であるわけだし、事務所の意向にはちゃんと従わないと、いくら天城利成の子供でもね」
「ふうん・・・まあ、いざとなったらアイドルやめたらいいじゃん?」
「は?何それ。本気でやってるんじゃないの?」
「本気だよ。もちろん」
「じゃあ、何でそんな簡単に言うの?」
何だか腹が立った。二世だから?余裕ってわけ?
「簡単には言ってないよ。本気でやってるし・・・。でもね、アイドルも咲良さんみたいな女優にしたって一般の仕事だって、いつどんな風になくなるかわからないでしょ?それまでは精一杯やるけど、そのために自分自身ていうか・・・そういう本質の部分まで売り払う気はないよ」
「本質?」
「簡単にいうと”やりたいこと”かな?」
「ふうん・・・それも親の力ありきだよね?」
「利成さんも基本的にはそういうスタイルだよ。俺には干渉してこないから、咲良さんのことも何も言ってきてないし・・・。”親の力”とはどんな力だろう?」
「芸能界に顔がきくってことだよ。アイドルがダメでも何とか他のことで滑り込めるでしょ?」
「顔がきくかぁ・・・そうなのかな?」
「奏空君はまだ何もわからないだろうけど、利成はそういう人だよ。ある程度ていうか、かなりな影響力を持ってる」
「ふうん・・・まあ、でもそれはそれだよ」
「・・・まあ、奏空君にはわからないか・・・。とにかく、付き合いはもうやめる。明日も当然やめるから」
「じゃあ、また俺が咲良さんの家に行くよ。それならいいでしょ?」
「は?聞いてた?今の話し」
「聞いてたよ。大丈夫。見つからないから」
「・・・もう勝手にして。私はもう今月で事務所辞める身だから関係ないから」
「え?やめちゃうの?」
「そう。前から言ってるでしょ?」
「うん・・・そうか。とにかく明日朝から行くよ」
「朝から?」
「うん、だって十時集合だったでしょ?」
「そうだけど・・・」
「じゃあ、明日ね」と通話を切られた。
(もう・・・お子様なんだから)と思う。きっと仕事に関しても何にもわかってしないのだ。天城利成と言う大きなコネがあるんだから、ま、仕方ないかとも思う。
次の日、ほんとに朝十時にインターホンが鳴った。咲良はまだ起きたばかりで寝ぼけ眼で玄関に出た。
「あれ?まだ寝てたの?」と言いながらさっさと部屋の中に入ってくる奏空。
「いや、起きてたけど・・・」
「そう?」
「でもちょっと待ってて。化粧くらいはしないとね」
「いいよ。化粧なんて。そのままで咲良さんは可愛いんだから」と言われる。
(あーお子様でも利成の子供だな・・・)
口がうまいところにうっかりハマらないようにしないとと思う。
「いや、でもしてくるよ」
咲良はそういうと洗面所に行った。化粧を済ませてリビングに戻ると奏空が自分のスマホを見ていた。
「奏空君、あなたはアイドルなんだからやっぱり行動には気をつけた方がいいよ。ほんとはここに来るのもダメだよ」
「俺は俺だし・・・やりたいことやるよ」
急に覚めたような目をした。その目は利成そっくりだ。それから「ね?そうでしょ?今日は何する?」といつもの笑顔になる奏空。
あーやっぱりこの子には気をつけないと・・・と思う。
パソコンを開いていつもやってるゲームだかを見せられて、午前中はゲームを指導されて終わる。昼は咲良があるもので適当に作った料理で済ます。奏空が「美味しい」と喜んでくれたので少し嬉しい気持ちになった。
芸能界の話や、学校での話し、奏空は次から次へと話し、午後からもまったく退屈しらずだった。それでもさすがに夜六時を過ぎると、奏空も黙りがちになったので、咲良はテレビをつけた。
ぼんやりとそれを眺めているうちに、奏空が欠伸をした。
「ねえ、もう帰ったら?疲れたでしょ?」と咲良は言った。
「疲れてなんてないよ。あ、夕飯どうするの?」
「んー・・・もう材料ないし・・・買い物行くか外食かな」
「そう。じゃあ、外食する?」
「ううん、しない。奏空君とは会うなって言われてるのに・・・もしバレたらたいへ・・・」とそこまで言うといきなりキスをされた。でも今度は驚かなかった。正直咲良も人肌が恋しかった。
そのまま深く口づけた。奏空のキスにぎこちなさはない。
(あーやっぱり・・・利成の息子だもんね・・・)
「咲良さん、まだ利成さんが好き?」唇を離すと奏空が言った。
「・・・好きじゃないよ」
「そう?」と髪を撫でられる。あーもうそういうところが利成とそっくりなんだ。
咲良は奏空の身体を押し戻した。
「私、奏空君とそういうことする気はないから。そういうつもりなら帰って」
「ん・・・わかった。しないからいていいでしょ?」
「・・・・・・」
夕飯は外に買いものに一人で行った。もうすぐやめるのに、最後にとやかく言われたくなかった。部屋に戻ってからキッチンに行くと奏空が「手伝うよ」と言う。
「いいよ。キッチン狭いでしょ?奏空君の家とは違うんだから」
「狭くても二人くらいは立てるでしょ」と奏空はいい、買い物してきた袋の中から野菜や何かを出し始めた。
意外にも包丁を器用に使っている。「料理するの?」と聞いたら「たまに」と言って奏空が笑顔になる。
二人で合作の野菜炒めとオムレツで夕飯を済ませて、汚れた茶碗を片付けようと咲良は腕まくりをした。奏空がまた一緒にやろうと言ってくる。ああそうかと咲良は思った。
「家ではお母さんのことお父さんもよく手伝ってるんだ」
「まあ、そうだね。利成さんも手伝うっていうか、よく一緒にやってるよ」
「ふうん・・・」
急にズキリと胸が痛んだ。やだな、もうどうでもいいはずなのに・・・。家庭の中での利成は、自分に見せていた顔とはまるで違う顔を見せているのだろう。自分とは会ってただセックスするだけだった。どこかに一緒に行ったこともないし、こうやって一緒に料理をしたり、片付けを手伝ってくれたりなんてこともない。そもそもこの部屋に来たことなどないのだ。
(バカみたい・・・)
咲良は急に片付ける気持ちがなくなってしまって、汚れた茶碗をそのままで水道の蛇口を下げた。
「咲良さん?」と訝し気に奏空に言われたが無視してリビングに行って床に座った。もう早く田舎に帰ろう・・・疲れた・・・。
こっちに来て知った唯一の恋は、恋でも何でもなかったのだ。ただ性欲の処理に使われただけだった。
小さなソファを背床に座って脱力していると、奏空が隣に座って来た。
「どうかした?」
優しい声だった。確かに何だか年上みたいだね。
「どうもしないよ。疲れただけ」
「そう・・・」と奏空が手を握ってきた。何だかどうでも良くなった。奏空が利成の子供だということも、利成が自分をただいいように使っただけで、家庭をすごく大切にしていたことも・・・。女優業も恋も失敗に終わって後は田舎に帰るだけ・・・。この業界、美人なら腐るほどいる。自分がいくら地元で綺麗だと言われようと、こっちにくればそんなもの大したことではない。
顔を上げると奏空と目が合った。そのまま自分から咲良は口づけた。奏空が受け止めて深く口づけてくる。ひとしきり口づけると、奏空がそのまま床に押し倒してきた。
(もう、いいよね・・・どうせ帰るんだもの・・・)
寂しさを埋めるのに抱き合うなんてよくあることだ。一度くらいいいだろう・・・。
奏空の手が胸のあたりに移動する。ああ、何だかじれったい。もっと思いっきりやっていいのにと思う。利成は初めての時からもっと激しかった。
奏空がぎこちない手つきで背中に手を回してブラジャーを外そうとしてきたが、どうやらうまくホックを外せないようだ。
「いいよ」と言って自分で外した。奏空がブラジャーを押し上げてきた。けれどそこで動きが止まる。
「何?」と咲良は奏空の顔を見た。
「いや、ちょっと感動しちゃった」
「何に?」
「ん・・・女性の身体、こんなに間近で見るの初めてだから」
「え?もしかして初めて?」
「ん・・・まあ」
「ほんとに?」
「ほんと」と少し照れくさそうな顔をする奏空。
(利成の子供なのに?)とその言葉は声にはしなかった。キスがうまいからてっきりと思っていた。
「そうなんだ・・・」
「うん・・・」と言いながら胸に口づけてきた。
しばらく胸を愛撫されてから奏空の手が咲良のジーパンのボタンを外しにかかる。その手もぎこちない。
「待って」と咲良は言った。それから「ベッドに行こう」と言って立ち上がり隣の寝室に入った。そしてベッドの前で咲良は自分でジーパンを下ろした。
「奏空君も脱ぎなよ」
「ん・・・」と奏空がシャツを脱ぎ始めた。咲良は下着一枚に自分が鳴ると奏空が脱ぐのを手伝った。
奏空のジーパンにも手をかける。どうやらもうすっかり反応している様子だ。先にベッドに入って「どうぞ」と言う。奏空もいきなり上に乗りかかり今度は余裕なさそうに胸を愛撫してきた。
(親子と寝ちゃうなんて・・・)と抱かれながら思う。
(おまけに子供の方は初めてだとは・・・)
「咲良さん、いいの?」と聞かれる。子供の方はどうやら利成よりはずっと奥手っぽい。
「いいよ」と奏空を引き寄せて口づけた。それから「でも中には出さないでよ」と言う。
奏空がわりとすぐに咲良のお腹の上に射精した。さすがに利成のように余裕はない様子だ。
(やっぱり若いもんね・・・)
咲良はベッドの棚にあるティッシュペーパーに手を伸ばした。奏空がそれを受け取って咲良の身体を拭いてきた。
後始末が終わると額に口づけられた。これは利成にはなかった。利成は終わればすぐにシャワーを浴びて帰るだけだ。不意に涙が出た。自分はまったく愛されてなかったのだ。でもそのことには目をつぶっていた。本当はどこかで気が付いていたというのに・・・。
「咲良さん?大丈夫?」
顔を枕に埋めて涙を見せないようにしていたら奏空に髪を撫でられた。利成も自分の妻にはセックスの後にこんな風に優しくしてるのではないだろうか?
「うっ・・・」と嗚咽が漏れた。奏空が抱きしめてくる。
「咲良さん・・・」と名前を呼ばれて余計に悲しくなった。
奏空に抱きしめられながらひとしきり泣いた。自分でも不思議だった。まだ自分は利成が好きだったのだ。恨みより憎しみより、愛して欲しかった。
「咲良さん、田舎に行かないで」と泣いた後に鼻をかんでいると言われる。
「どうして?」
「一緒にいたいから」
「んー・・・奏空君は私のこと好きでも何でもないんだよ。ただそんな気になってるだけ」
「好きかどうかじゃないよ。一緒にいたいんだ」
「好きだから一緒にいたいんじゃない?」
「一緒にいたい・・・それに理由いる?好きかどうかなんて愚門でしょ?」
「愚門だなんて、難しい言葉使うんだね」
「そうかな?でもそうでしょ?」
「嫌いな人と一緒にいたいなんて思わないでしょ?でも奏空君はね、まだ若いから性欲を”好き”だと勘違いして一緒にいたいなんて思うんだよ」
「性欲?そうかもね。だけど一緒にいたいし、咲良さんもそうでしょ?」
「私?私は違うよ。一緒になんかいたくない」
「・・・利成さんのこと忘れてないんだね」
「利成は関係ないよ。もう忘れてる」
「そう・・・?」
「そうだよ」
「でもさ、一緒にいようよ。仕事、こっちで探してさ」
「簡単にいうけどね、私ってバカだからあんまりできる仕事もないんだよ」
「バカなんかじゃないよ。咲良さんが自分でそう思っちゃってるだけで」
「バカなのよ。じゃあ、私が路頭に迷ったら奏空君が助けてくれるの?」
「うん、もちろん」
(あー・・・ほんとに・・・)
「何にも奏空君はわかってないよ。そんな簡単じゃないよ」
「簡単なんだよ?この世界なんて。難しくしてるのは咲良さん自身」
「は?意味わからない」
「意味わかって」と奏空が笑った。
でも結局事務所との契約が切れた後も、咲良はこっちに残った。奏空に対して興味が湧いていたのと、奏空の言う通りもう少しこっちでやってみてもいいかもしれないと思ったからだ。
とりあえずカフェでアルバイトしながら、通販カタログのモデルの仕事を契約した。奏空とはもっぱら自宅デートだった。咲良の方はもうどうでも良かったが、やはり奏空の方の事務所にわかるとまずいことになる。
最初はぎこちなかった奏空のセックスも、回を重ねてかなりさまになってきた。
「奏空君、うまくなったね」とある日ベッドの中で褒めると、「そう?」と少し嬉しそうな笑顔で見つめてきた。それから「ねえ、咲良って呼び捨てにしてもいい?」と聞いてきた。
「別にいいよ。じゃあ、私も奏空って言うね」
「うん」と無邪気な笑顔・・・。ハマらないようにと思っているのに、このままではハマってしまいそうだ。いや、もう田舎に帰らなかった時点でハマってしまっていたのかもしれない。
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