フローライト三十九話
ゴールデンウィークに入る前に美園の学校の先生から呼び出された。美園がクラスの子を脅したというのだ。
「どういうことでしょうか?」と咲良は美園の担任の若い男性教師に言った。
「詳しいことは本人も相手の子も言わないのですが、美園ちゃんがカッターナイフで脅したと・・・脅された生徒が親御さんに話して、それで私のところに話にこられてわかったのですが・・・」
「カッターナイフで?ほんとに?」
咲良は驚いた。美園がだなんて信じられなかった。
「本当です。美園ちゃんも認めてます。でもなぜなのかは話さないんですよ。相手の子も脅されているらしくて口をつぐんでます」
「・・・・・・」
「お母様の方から理由を聞いてもらえませんか?」
「・・・はい、わかりました」
「まず理由がわからないと何ともできませんので・・・」
「・・・・・・」
(サイアク!カッターナイフだなんて・・・)
咲良は家に戻りすぐに美園の部屋に行った。
「美園?!ちょっと来なさい」と咲良が言うと「何?ここで言ってよ」とパソコンの画面を見たまま美園が言った。
「あんたカッターナイフでクラスの子脅したんだって?」
「あーうん」と平気な表情の美園。
「何でそんなことしたの?」
「その子が生意気だったから」
「は?何それ。理由は?」
「今、言った」
「だから生意気だと思った理由だよ」
「言うと咲良が傷つくよ?」
「は?言いなさい」
すると美園が椅子を回転させて咲良の方を見た。
「咲良が女優だった頃、色んな人としたから、私は誰の子かわからないらしい」
「え?何それ」
「でしょ?そんなこと言ってきたんだから脅していいの」と美園がまたパソコンの方へ身体を向けた。
「ちょっと!例え相手が悪くても、カッターナイフだなんてダメだよ」
「ふうん・・・でも、そうでもしないとあの子調子に乗るよ?最初が肝心でしょ?」
咲良開きかけた口を閉じた。この冷静さや冷たさは利成にそっくりなのだ。咲良が黙っていると「もう用事済んだでしょ?」と言われる。
咲良はそのまま何も言わず美園の部屋を出た。何だか絶望的な気分だった。奏空にでもなく自分にでもなく美園は外見も中身も利成にそっくりなのだ。
(性格まで似てるなんて・・・)
咲良はいたたまれなくなって美園に「買い物に行く」と言って表に出た。美園は振り向きもせず「オッケー」と小さく答えた。
咲良は高校を出てすぐに上京をしてこっちには友達もいない。女優時代も特に親しい人はいなかった。
ただ関係を持った男は確かに複数いた。女優をするのに役に立つと思ったのだ。ただそんな中で本気になってしまったのは利成だけだった。
気が付いたら天城家のそばまで来てしまっていた。急に一人で訪れたりしたら明希が驚くだろう。
思いついて利成にラインをした。どうせ仕事でいないだろう。
<話があるんだけど>
ラインをしてから街中のカフェに入った。何となく煙草が吸いたくなったけれど、当然このカフェも禁煙だった。近頃は煙草を吸えるところはかなり少ない。
(どうしてこんなイライラしちゃうんだろう・・・)
今更なのにと咲良は思う。更年期にはまだ早いのに、もしかしてそうなのだろうか?咲良はもう三十後半の年だ。利成などもう五十代後半ではないか?・・・。いつまでこんなことをやっているのだろう。
(子供はもう無理だな・・・)と咲良は思う。
できれば奏空との子供が欲しかった。
カフェを出ようとしたところで利成から電話が来た。そのまま表に出て咲良は電話に出た。
「もしもし?」
「何?話って?」といきなり言われる。つきあっていた時もこちらから連絡するとこんな風に冷たい言い方だった。
「会ってじゃないと話せない」と咲良は言いながら、自分は何を言ってるのだろうと思った。
「いいよ。うちに来る?」
「利成が出てきて。私、今○○町なの」
「そうなの?どこにいけばいい?」
「○○ってカフェの側にいる」
「オッケー。着いたら電話する」
通話を切ってから空を見上げた。もう太陽は落ちたはずなのにうっすらと空が見えた。十五分ほどで利成が車で来るのが見えた。咲良はそのままその車に近づく。
「・・・急にごめん」と咲良は助手席に乗り込んでから言った。
「いや・・・話しって?」
「車、適当に走らせて」
「いいよ」と利成が車を発進させた。
しばらく咲良は窓の外を見つめながら無言だった。奏空と結婚して十年は経っている。何故奏空となんか結婚しちゃったんだろう。奏空といるからこうして利成との縁も切れないのだ。
「咲良?どうする?どこかに止める?」
利成が言ってくる。
「・・・・・・」
咲良は黙っていた。何で利成を呼び出したのだろう・・・。
「ホテルでも行く?」と利成が言うので咲良は利成の顔を見た。
「お互い年取っちゃったよね」と咲良は突然言った。
「そうだね。年取っちゃったね」
「利成は平気なの?」
「何が?」
「こうして生きてること」
「・・・咲良は平気じゃないんだね」
「・・・・・・」
利成がホテルの駐車場に車を止めたけれど、咲良は何も言わなかった。
「どうする?」と利成が表情も変えず余裕たっぷりな口調で言う。それはまったく昔と変わらなかった。
咲良は車から降りて自分からホテルの入り口に歩いた。後ろから利成が車を降りてくる気配がした。
部屋に入って咲良はベッドに座った。利成は目の前にある小さな椅子に座っている。
「さあ、どうしようか?」と利成が少し楽しそうに言った。
「・・・・・・」
「まず咲良の話を聞くよ」
「・・・美園が利成にそっくりなのよ」
「そう?」
「そう。外見も中身も」
「中身?」
「そう。言い方も全部。今日、学校に呼び出されて・・・美園がクラスの子にカッターナイフ突き付けて脅したって」
「カッターナイフで?」と利成が驚いた表情をした。
「そう!サイアク」
「何があってそういうことになったの?」
「私が女優時代に色んな人と寝たから、美園が誰の子かなんてわからないって言われたって。小学五年生だよ?そんなこと言う?」
「・・・そうだね・・・」と利成も少し考えるような顔をした。
「そりゃあ、色んな人と寝たかもしれないけど、それは仕事の為だったんだよ」
「そうだね、昔そう言ってたね」
利成にそう言われて咲良は少し驚いた。
「私、利成にそんなこと言ったの?」
「言ってた気がするよ。色んな人と寝たけど、あなたとは寝ないって最初の頃断られてたからね」
「そんなこと私言ったんだ」
「そうだよ」
「何で利成とは寝ないって言ったんだろう・・・」と咲良は首を傾げた。
「さあ・・・ハマりそうで怖かったんじゃない?」と悪びれもせずに利成が言う。
「違う。色々噂聞いてたからだよ」
「どんな?」
「酷いセックスをするって。挙句の果てすぐ捨てられるって」
「アハハ・・・そうなんだ。若かりし頃だね」
「・・・・・・」
「今はどうか試す?」
「いらない」と咲良は言った。
「そう」と利成が素っ気なく言う。
「聞いていい?」
「いいよ」
「前に言ってた奏空との勝負ってまだ続いてるの?」
「続いてるよ」
「どっちが優勢?」
「・・・俺かな」
「どうしたら利成が勝ちなの?」
「咲良とセックスしたらかな?」
「・・・違うでしょ?」
「どうかな?いずれにしても勝ったも同然にはなるね。だから無理強いはしないよ」
「・・・私、奏空との子供が欲しかったんだよ。でもできない」
「そうなんだ」
「何でだと思う?」
「さあ・・・奏空に問題があるとか?」
「機能的なこと?」
「そう」
「そんなことあるかな・・・」
「調べてみた?」
「調べてない」
「調べてみたらいいよ。奏空がわざとじゃなければ、身体がってこともあり得るからね」
「わざとってどういう意味?」
「子供をわざと作らないってことだよ」
「そんなこと無理だよ。私が欲しいって言ってるもの」
「出来るときにしてるってこと?」
「そうだよ」
「そうか・・・」と利成がまた考えるような顔をした。
「・・・もういいよ」と咲良は投げやりに言ってベッドに横になった。何だか今日は思いっきりわがままになりたかった。
「咲良、じゃあ、しないなら帰ろうか」と利成が言う。いつもなら二人きりになると、無理矢理でもキスしようとしてきたりしていたのにそんなことを言う。咲良は横になったまま利成を見つめた。自分でもしたいのかやめたいのかわからなかった。
利成は何も言わずに咲良を見つめ返してきた。
「利成はどうしたい?」
「俺はどっちでもいいよ」
「そう。じゃあ、何でホテルに誘ったの?」
「咲良がしたそうにしてたからだよ」
それを聞いて咲良は起き上がった。
「何、それ」
「違う?」と利成は平然としている。
(あー腹立つ)
自分からして欲しいなんて言えるはずもない。
「じゃあ、いいよ。昔みたいに先に帰れば?」
「そう?」と利成が立ち上がる。昔もそうだ。咲良が寂しくても話しすらせずに帰って行った。けれど妻の明希には違うのだ。辛抱強くセックス恐怖症を治したというではないか?咲良は自分は誰にも愛されていないような気がした。奏空だってそうだ・・・。
「バカ!!」と枕を利成の後ろ姿に投げつけた。利成が驚いたような顔をしているのが見えたけれど、咲良は布団に突っ伏した。
利成が戻ってきて咲良の突っ伏しているベッドに座った気配がした。
「咲良、したいならしよう。ここはちょっと慎重にしないとならないから、俺からは誘わないよ」
「・・・また勝負?」
「そうだよ。後から奏空に文句言われるからね。だけど咲良も考えた方がいいよ」
「何で?」
「そうだな・・・ターニングポイントっていうのがあるんだよ。重要な個所とどうでもいい部分があるからね」
「・・・・・・」
「どうする?」
「して・・・」
咲良は言った。奏空が負けるとか勝つとか意味がわからない。でも今の自分は寂しさを身体で埋めたがっていた。
咲良が顔を上げて利成を見ると、利成が口づけてきた。いきなり濃厚に口づけてくる。
(あ・・・)と咲良は身体が反応するのを感じた。奏空とは得られない快感だ。
いきなり上半身を脱がされ激しく胸を揉まれた。
咲良の身体は喜びに満たされていく。何故かという問いももう浮かばない。利成の指が入って来て咲良は指だけでイってしまった。と思ったらいきなりうつぶせにされる。
「咲良、どうする?」と耳元で利成が聞いてくる。
「何?」
「今ならまだ間に合うよ」
「・・・何に?」
「・・・まあ、いいか」と利成が言う。とその時咲良のスマホが鳴った。咲良に入れようとしていた利成の動きが止まる。
「電話じゃない?」と利成が言う。
「いい・・・出なくて」と答えると利成が咲良から離れて咲良のバッグを持って来た。
「まず出なよ」
「・・・・・・」
画面を見ると奏空からだった。
「奏空からだから出ない」
咲良は言った。奏空なら電話でも自分の変化に気づくだろう。
「いいから出なよ」と利成が更に言うのでしかたなく咲良は電話に出た。
「もしもし?」
「咲良?今どこ?美園が買い物行くって行ったきり戻ってないって言うから」
「もう帰るから心配しないで」
「迎えに行こうか?」
「いい」
「・・・・・・」
急に奏空が黙った。咲良は「じゃあ、切るね」と慌てて言った。
「ちょっと待って。誰かいるでしょ?そばに」
「・・・・・・」
「咲良?」
咲良が利成の方を見ると利成が咲良の方を見た。もちろんお互いまだ裸だった。
「誰もいないよ。切るね」と咲良は通話を切った。
「奏空からでしょ?」と利成が言う。
「そう」
「どうする?続き」
「してよ」と咲良は言った。もうすっかり体には火がついてしまっていた。利成が咲良の背中から乗って来て耳に舌をはわせた。その時また咲良のスマホが鳴った。利成の動きが止まる。
「もう無視していいから」
そう言うとまだ濡れている咲良の下半身に指を入れてきた。咲良が「あっ」と声をあげると利成が入れてくる。スマホの着信が一度切れたあとまた鳴り始めた。
利成が「フッ」と苦笑して咲良から離れた。
「咲良、どうも今日は無理みたいだよ」
「・・・・・・」
咲良は起き上がって電話の画面を見た。もちろん奏空からの着信を告げていた。咲良はスマホの電源を切った。
「これでもう来ないから」
「・・・だといいね」
利成がそう言うと今度は利成のスマホが鳴った。
「さて、また次回かな」と利成が自分のスマホに出る。
「もしもし?・・・・・・」
利成が黙っている。どうやら相手がずっと話しているらしい。
「そうか・・・咲良が子供ができないこと気にしてるよ」
利成の言葉に咲良は利成の顔を見た。
「・・・・・・いいよ」と言って利成がスマホを渡してくる。
「咲良と変われだって」と利成が言う。
「もしもし?」
「咲良?あのね、話そう?意味わからないのかもしれないけど、自暴自棄にならないで」
「・・・・・・」
「ね?」
利成が浴室の方に歩いて行くのを横目で見ながら咲良はため息が出た。
「何でわかるの?」
「何となく」
「自暴自棄なんかじゃないよ。そうしたくてしたんだよ」
「そう・・・それでも話そう」
「美園は?」
「お腹空いたって」
「そう、何か適当に食べてて」
「咲良はどうするの?」
「どうもしない」
「ちゃんと家まで送ってもらってよ」
「・・・ここどこか知ってるの?」
「多分だけどね」
「言ってみてよ」
「ホテルでしょ?」
「・・・・・・」
「咲良、少し頭の中整理しよ?」
「もうやだ」
「・・・・・・」
「美園だって言うこと聞かないし」
「美園には俺から言うよ」
「そうだね、奏空の言うことなら聞くかもね」
「咲良って、そんなにすねないでよ」
「すねてなんかない」
「迎えに行こうか?!」と奏空が少し声を荒げた。
「いらない」
咲良は通話を切った。それから利成のスマホの電源も切った。
そのままシャワーから利成が出てくるのを裸のままで少しの間待った。十分くらいで利成が出てきて「咲良も入る?」と言った。
「いい・・・」と咲良は下着を手にした。
「奏空、何だって?」
「帰って来て話そうだって」
「そう」
「何であんな冷静に言えるんだろう」と咲良はひとり言のように言った。
「冷静でもないと思うよ」
「・・・それに、私の行動わかってるみたいだし・・・」
「それはたまたまだよ」
「・・・だってここがホテルだって当てたよ?」
「そうか・・・俺といるとしたらそうだと思ったんじゃない?」
「・・・・・・」
「咲良、さっき咲良が言ってたよね。お互い年取ったって・・・」
「うん・・・」
「今のところ咲良が俺の最後で更新されてないんだよ」
「え?嘘でしょ?」
本気で驚いたら利成が少し笑った。
「ほんとだよ。もう俺もそろそろ潮時だしね」
「まだ早いでしょ?」
「そうでもないよ。まあ、今回は思いっきりできたからね、心残りはないし」
「何だか死ぬみたいな言い方しないで」
「ハハハ・・・そうか、ごめん。でも死があるかどうかということはとりあえず置いて置いて、死ぬ日は今日かもしれないし、明日かもしれないんだよ。思いは残らないようにしたいね」
「そうだけど・・・思いは残りまくりだよ」
「ハハハ・・・どんな思い?」
「・・・全部・・・」
「全部?」
「利成が好きなのに奏空と結婚しちゃった」
咲良の目から急に涙がこぼれた。自分で声にして本当にそうだと思ったのだ。
「どちらにしても、俺とは結婚できなかったからそれでいいんだよ」
「でも・・・自分に嘘をついてた。奏空にも悪いし」
「奏空は知ってて咲良と結婚したんだから、奏空の責任だよ」
「美園を見るたびにダメなの。全部利成に似てるんだもの・・・自分の過ちをいつも突き付けられている気がして・・・」
「まずね、俺とのことを”過ち”だとするのをやめてみたら?」
「過ちだよ。私、ずっと復讐したかったんだよ、利成に・・・」
「そうか、してくれて良かったのに」
「・・・良くないよ。私明希さんを傷つけようとしてたんだもの。しなくて本当に良かったよ」
「咲良は明希が好きだからね」
「・・・明希さん、彼氏がいるって本当?」
「奏空が言ったの?」
「うん・・・」
「・・・ほんとだよ」
「そんなの利成はいいの?」
「俺はとやかく言えないからね」
「でも・・・」
「明希が決めたことだよ。俺も決めればいいだけ。俺はそれでもいいよって決めたんだよ」
「それでもいいの?」
「良くはないけど、夫婦でいることに支障はないからね」
「私、明希さんみたいになりたかった・・・」
「・・・何で?」
「だって利成にそんなに愛されてるんだもの」
「・・・咲良は奏空に愛されてるよ」
「愛されてなんかないよ」
そう言ったら利成が咲良を抱きよせた。
「今日は咲良は子供にかえったみたいだね」
「・・・・・・」
「結婚はできないけど、俺のところにおいで」
「そんなことしたら・・・」
「奏空に捨てられる?」
「・・・捨てるっていうか・・・」
「奏空も好き?」
「奏空も好きだよ。でも、利成とは違う好きなんだよ」
「そうか・・・」
「今更だけど、もっと自分の声を聞けば良かった・・・」
「そうだね、でも、聞こえない時もあるからね」
「じゃあ、どうしたらいいの?」
咲良は利成の顔を見つめた。
「そうだね・・・まず、未来のために今を使うのをやめてみたらいいよ」
「どういうこと?」
「明日これがあるからこうしよう、一年後にこうなりたいから今は我慢しよう・・・大抵の人はそんな風に思いながら生活してるんだよ」
「でもそれは普通でしょ?明日のために今日準備しなければならないこともあるし」
「そうだね、バランスかな?ぶれてもすぐ戻せるようにね。今したいことに焦点を合わせると、自然と上手くいくようになってるんだよ」
「そうかな・・・あんまりそうは思えないけど・・・利成はずっとそうしてきたの?未来のこと考えなかったの?」
「そうだね、もちろん明日出かけるのにこれが必要だからとか、そういう準備はしたよ。でも後は今やりたいことにフォーカスしてたよ。絵も歌もその他のこともやりたいことをやってきた。でも俺でもたまに上手くいかない時はあったよ」
「利成が?どういう時?」
「焦燥感や苛立ち、すべてがくだらなく見えたりしてね・・・そういう時にセックスをしたよ」
「そうなんだ・・・私とも?」
「咲良とも最初はそういう気持ちかな。途中からは変わったけどね」
「どういう風に変わったの?」
「そうだな・・・気持ちが引っ張られてね・・・まずいと思ったよ」
そう言って利成が笑った。
「まずいって?」
「んー・・・それまでの女性関係は全部さっき言った苛立ちの処理みたいなところもあったからね、全部とは言わないけど。だけど咲良とはそういう気持ちじゃない時でも会いたくなったんだよ」
「そうなんだ・・・でも、いきなり捨てたよね?」
「そうだね、明希にばれたら基本的にはジ・エンドだったんだよ。決めてたってわけでもないけど、何となくそういう感じにはなってたよ」
「それだけ明希さんが好きだったの?」
「明希は特別だったからね。奏空みたいな話になるけど、ずっと昔からの因縁でね。それをはっきり自覚したのは咲良とのことがバレた時だけどね」
「あの私とのことが週刊誌に載った時?」
「そうだよ。明希が俺と別れようとしてることがわかった時、それならいっそのこと明希の心を壊してしまおうって思ったんだよ。それを奏空に悟らされた時に思い出したんだよ」
「前世とかいう話し?」
「そうだね。奏空が言ってた?」
「うん、聞いたよ。奏空の話し、でも私はあまり信じてないの」
「そうか、それでいいと思うよ。すべては個人個人だから、俺の話がそのまま咲良に当てはまるわけじゃないからね」
「そうなの?何だかよくわからない・・・」
「うん、いいんだよ、それで。じゃあ、そろそろ出ようか?」
「・・・・・・」
「・・・延長しようか?」
「ううん、いい・・・」
本当は帰りたくなかった。このまま利成と話していたかった。
車に乗り込んでからはほとんど二人共無言だった。マンションの前まで来た時に咲良は思い出して言った。
「利成のスマホの電源切っちゃってたの。入れておいて」
「スマホの?」
「ほらさっき奏空からかかって来た時、私に替わってっていわれたっていって借りたでしょ?あの時電源も切っちゃったの」
「そうか、じゃあ、戻しておくよ」
「うん、ごめんね」
咲良は車から降りてからもう一度車の中を覗き込んで利成に言った。
「今日のは利成の勝ちなの?」
「さあ、どうだろうね。奏空に聞いてみて」
利成が微笑む。咲良は「じゃあ・・・」と車のドアを閉めた。
玄関を開けると中は静まっていた。けれどリビングからは明かりが漏れている。
「ただいま」
咲良はリビングのドアを開けて、ソファに座ってパソコンの画面を見ていた奏空に言った。
「おかえり」と奏空が言う。いつもよりどことなく素っ気なく感じた。
「ご飯どうした?」と咲良が聞くと「外食したよ。美園と」と奏空が言った。
「そう・・・」
「咲良はどうしたの?食べた?」
「食べてないけどいらない」
「そう・・・シャワー入る?」
「うん・・・」
咲良は着替えをてに浴室に行った。今日利成に抱かれた身体がまだうずいている。それを振り払うように洗い流した。
シャワーから出てリビングに行くと奏空の姿がなかった。
(寝室かな・・・)
咲良は寝室に行った。ベッドに寝そべってスマホを奏空が見ていた。
「奏空」と咲良が言うと奏空が顔を上げた。
「何?」
「怒んないの?」
「怒られたい?」
「・・・・・・」
「怒ってるよ」
「・・・・・・」
「最後までした?」
「・・・してない・・・」
「そう」
奏空がまたスマホを見始めた。
「奏空」と咲良がまた言うと今度はスマホを見たまま「何?」と奏空が返事をした。
「美園が利成にそっくりなのどう思う?」
「・・・別に似てないよ」
「似てるでしょ?考え方も外見も」
そう言ったら奏空がスマホをベッドの棚に置いた。
「咲良にはそう見えるだけだよ」
「そんなことない。前に他の人にも言われたよ」
「他の人とは?」
「うちの親とか」
「そうなんだ」
「だから・・・」
「だから愛せない?」
「・・・・・・」
「今怒ってるけど、話くらいはできるよ。咲良が聞く気あるなら」
「・・・聞く気はあるよ」
「そう?じゃあ、ここにきてよ」と奏空がベッドの上に起き上がった。
咲良は奏空の隣に座った。
「美園が利成さんとの子供だって言う思いをまず捨ててくれる?」
「・・・・・・」
「美園は俺と咲良の子供だよ。利成さんは関係ない」
「そんなの・・・ごまかしでしょ?」
「ごまかしっていうかね・・・んー・・・また咲良に意味不明って言われちゃうからな・・・」
「意味不明でもいいから話して」
「んー・・・とにかく、美園と利成さんの呪縛から解き放たれないと、いくら話ししても弾かれちゃうんだよ」
「呪縛って・・・そういうんじゃないよ。血液型だって・・・だから・・・」
「血液型、性格、外見、利成さんと一緒だとするよ?でも咲良がそこに不快感を持ったり、負い目を持つ必要性なんてないんだよ」
「あるよ。私が中途半端なことしたから・・・」
「そうだよ、今日はね」
「・・・・・・」
「でも、前の時は違うんだよ。咲良がいつまでもこだわっているのは何故か?考えてみなよ」
「こだわるでしょ?普通」
「俺はこだわらないよ」
「それは奏空は特別なんだよ。皆とは違う」
「いい?百人のうち九十九人が”普通”をえらんだとして、一人が別な方向を選べば”特別”というのかもしれないけど、それは同時に「間違っている」という考えも内包してるだろ?いや間違っているというより、”特別”だと言うことで、自分とは違うと排斥できるんだよ」
「・・・だから?」
「自分とは違うから考えなくていいって理屈。咲良はそれを言ってるんだよ?」
「だから何よ?私がおかしいってこと?」
「そうじゃないよ。咲良は肝心なところから目を背けてるから、ずっとそこから動けないんだよ」
「肝心なところって?」
「・・・少し自分で考えたら?」
「あ、そう?じゃあ、いいわもう」
咲良は立ち上がった。
「咲良?!座って!まだ話し終わってないから」と奏空が少し大きな声を出した。
「いいってもう!」
咲良が寝室から出ようとすると奏空に腕をつかまれた。
「俺との子供ができないのはね、咲良がそこに向き合ってくれないからなんだよ」
その言葉に咲良は思わず振り返って奏空の顔を見た。
「どういうこと?」
「・・・・・・」
「奏空?」
「はぁー」と奏空がいきなり大きなため息をついた。
「どういうことよ?」
「咲良がそこのところ気づいてくれないからね・・・」
「だから何に?」
「それは言えない。咲良が自分で気がつかないと」
「中途半端なのは奏空じゃない?最後まで言いなさいよ」
「咲良の利成さんへの思いが蓋をしてるんだよ」
「何に?」
「・・・わかりやすくいうと、子宮に」
「・・・・・・」
「でも、子供のことはいいんだよ。美園は二人の子供なんだから」
「良くないでしょ」
そう言ったら奏空がまたため息をついた。
「・・・もう寝ようか?やっぱり話はまた明日にしよう」
「何で?何で私のせいで子供ができないの?」
「・・・・・・」
奏空が答えずに無言でベッドに入って行く。
「奏空?!」と咲良は大きな声を出した。
すると奏空が布団を頭までかけた。
「ちょっと!言いなさいよ」
奏空がそれでも無視をしているので、頭にきた咲良は奏空が被っている布団を引っ張ってはがした。すると、奏空がすぐに起き上がってまた布団を頭まで被った。
「・・・そう?教えてくれないならいいよ」と咲良はクローゼットまで行って着替えを始めた。それから寝室を出て行こうとしたら、奏空が「咲良、どこ行く?」と聞いてきた。
「さあ?」と言って部屋を出ようとしたら奏空が起き上がって咲良の腕をつかんだ。
「子供ができない理由聞いても、咲良が自分で気づかないと意味ないんだよ」
「あ、そう?もういいよ、子供なんていらないから」
「・・・・・・」
「じゃあね!」と咲良は奏空の手を振り払った。
「咲良!」と奏空がいきなり咲良を抱きしめた。
「ちょっと、何よ?離して!」
「・・・俺を見て・・・そしたらわかるんだよ」
「・・・・・・」
「咲良は利成さんばかり見てるから、俺のことも美園のことも見えないんだよ」
「・・・・・・」
「大丈夫だから・・・誰も咲良を責めてない。咲良が咲良自身を責めなければ俺のことが見えるよ」
「・・・わからないよ、またいつもの話しでしょ?」
「・・・・・・」
「利成なんかのこともう思ってないし、奏空のこともちゃんと見てるよ」
「・・・・・・」
「美園のことも愛してるし・・・それでもういいでしょ?」
そう言ったら奏空が咲良を抱きしめる手に力をこめた。
「咲良・・・子供欲しい?」
「は?何よ?いきなり。もう欲しくないよ。今から子育てなんてしたくないもの」
「・・・利成さんとはしないで。今日はセーフだったみたいだけど・・・次はないよ」
「・・・・・・」
「いい?」と奏空が咲良から身体を離して咲良の目を見た。
「・・・そんなのわからない・・・」
「咲良?!」と奏空が大声をだした。
するといきなり寝室のドアが開いた。咲良が振り向くと美園が立っている。
「うるさいんだけど、何やってるの?」と軽蔑したかのような目で美園が咲良を見た。
「うるさかった?ごめんね」と奏空が言った。
「喧嘩?」
「まあね」と奏空が答えた。
「私のことじゃないよね?」と美園が言う。
「違うよ」と奏空が言うので咲良は「美園も関係してるよ」と言った。
美園が咲良の方を見てから言う。
「どう関係してるの?昼間のこと?」
「そうだよ。あんたがカーターナイフなんかでクラスの子脅したりするから」
「だからそれは言ったよね?咲良を侮辱してきたんだよ?そのくらい当然でしょ?」
「ナイフまで出すのはいきすぎだよ」
「・・・そんなんだから女優売れなかったんだよ」
(は?)と美園の言葉に咲良は唖然とした。
「どういうことよ?!」と美園を睨みつけた。
「咲良が甘い考えだから失敗したんだと思うよ?」
「あんたに何がわかるのよ?!」と咲良は怒鳴った。
「咲良!、美園も!やめなって」と奏空が仲裁に入る。
「咲良が出てた昔のドラマとか見たんだけど、何だかパッとしなかったもんね」と美園が奏空を無視して言った。
咲良は美園の言葉にカッときて手を振り上げた。
「ストップ!」と奏空が咲良の振り上げた手をつかんだ。
「あ、体罰は虐待だよ」と美園が言う。
「美園!もういいから部屋に戻って!」と奏空が言った。
「わかったよ」と美園が咲良を軽蔑したような目で一瞥してから自分の部屋に戻って行った。
美園がいなくなると咲良は急に脱力してベッドに座った。
「・・・あの子、何なの?」と咲良は呟いた。
「・・・・・・」
「何であんな子になっちゃったの?」
「・・・咲良・・・」と奏空が咲良の肩を抱いて自分の方に引き寄せた。
「私が悪いってこと?育て方が悪かったの?」
「咲良は悪くないよ」
「・・・悪いんだよ、きっと。女優売れなかったのはほんとのことだし」
「・・・・・・」
奏空が咲良の髪に口づけてから言う。
「・・・自分のこと責めないで・・・咲良は悪くないから。・・・もう寝よ?」
奏空が咲良の身体を押してベッドに横たわらせた。それから奏空も咲良の横に入ってきて布団をかけた。
「おやすみ」と奏空が咲良にキスをした。
「・・・・・・」
咲良は返事ができないままで目を閉じた。ひどく身体も心も疲れていた。
ゴールデンウィークに入っても、咲良はまだ美園のことでモヤモヤとした日々を送っていた。奏空は最近ドラマに出ていて、撮影で毎日忙しいようだった。美園は友達と出かけたり、利成のところに行ってピアノを習ったりしていた。
「咲良さん、大丈夫?」と明希が紅茶を出しながら言った。
「え?どうしてですか?」
「何か顔色悪いから」
「そうですか?全然大丈夫です」
「そう?ならいいけど・・・。みっちゃん、ピアノかなり上達して、麻美さんが奏空の時みたく期待してるみたいだよ」と明希が面白そうに言って紅茶を一口飲んだ。
「そうなんですか?」
「うん、歌も上手いし・・・美園も奏空みたくアイドルになるのかな?」と明希はあくまでも楽しそうだ。今の明希には以前のような儚さや寂しさの影はない。
咲良はそれには答えずに紅茶を一口飲んだ。
するとリビングに美園が入って来てソファに座った。
「あ、終わったの?」と明希が聞く。
「うん。喉渇いた」
「何がいい?ジュース?お茶?」
「アイスコーヒー」と美園が言う。
「みっちゃん、コーヒー飲めるの?」
「飲めるよ」と美園が答える。
「オッケー、じゃあ、キッチンに一緒に来て。コーヒーとゼリーもあるよ」と明希が言って「ほんと?」と美園が立ち上がった。
二人がキッチンに行ってしまうと、咲良は立ち上がってピアノの部屋に行った。利成がまだピアノを弾いていた。
(やっぱりうまいな・・・奏空もだけど・・・才能あるんだよね・・・私と違って)
咲良は美園に言われた”だから女優売れなかったんだよ”という言葉が尾を引いていた。
曲を弾き終わると利成がピアノを片付けている。咲良は立ったままその後ろ姿をぼんやりと見つめた。
「どうかした?」と咲良に気が付いた利成が言う。
「ピアノ・・・うまいね」
「そう?美園もだいぶ上達したよ」
「そう・・・利成の娘だもんね」と咲良が言ったらピアノの蓋を閉めた利成が咲良の方を見た。
「何かあった?」と聞かれる。
「何も」
そう言ったら利成が咲良の立っているドアの前まできた。
「こないだ奏空と喧嘩したんだって?」
「・・・美園にでも聞いたの?」
「そうだよ。夜中に喧嘩してたって」
「・・・喧嘩でもないんだけどね」
「・・・疲れてるみたいだね」
「疲れてなんかないよ。さっき明希さんにも言われたけど」
「奏空はストレートだからね。疲れることもあるんじゃない?」
「・・・そんなことないよ」
利成が部屋のドアを開けて出て行こうとして、突っ立ったままの咲良を振り返った。
「行かないの?」
「ん・・・少しここにいる」
咲良はピアノの椅子のところまで行って座った。
「ピアノ、教えようか?」
「・・・いいよ。私、できないもの」
「やってみてないのにできないは早いよ」と利成が隣に座って来た。そして今しまったばかりのピアノの蓋をあける。
「ドレミはわかるでしょ?」
「さすがにそれは小学校でやったからね」
「じゃあ、大丈夫だよ。俺の真似して弾いてみなよ」
利成が右手だけ何かのメロディーを引き始めた。咲良も何となく真似て右手で弾いてみる。利成の後を追いかけて一フレーズ弾き終わると「ほら、弾けるでしょ?」と言った。
「こんなの誰でもできることでしょ」
「誰にもできないことしたい?」
「そうだね。それが出来たら女優業もやめなくてすんだのかもね」
「何、急に」
「美園に売れなかった女優って言われたからね」
「そうなんだ」
「そうだよ。あの時脱げばよかったのかもね。そしたらもう少し稼げたかも」
「・・・そうだね」
「利成もそう思うでしょ?でも私、バカだからそういうのは絶対やらないって決めて上京したんだよ。美園に甘いって言われてもしょうがないよね」
「そうか・・・脱いだところで一時のことだよ」
「そうだけど・・・」
「・・・もう少し弾く?」
「ううん、もういい・・・」
「そう」と利成がピアノの蓋を閉める。
「奏空とは休みの日どうしてる?」
「休みの日?奏空は最近忙しいみたいで休みも少ないよ」
「そうか・・・。俺もそういう時もあったけど、最近はわりとゆっくりしてるよ」
「そうなんだ」
「だから咲良の相手もしてあげれるよ」
「ふうん・・・相手って?」
「例えばこうやって話も聞いてあげれるし」
「利成が私の話を聞いてくれるの?」
「聞くよ」
「ふうん・・・」
咲良は気のないふうに言うと自分の足元に視線を移した。今更話しを聞いてもらったって仕方がないじゃないかと思う。
「それとも温もりの方がいい?」
利成の言葉に咲良は顔を上げて利成を見た。ふざけた感じでもなく普通の表情だった。
「さあ・・・温もりなら明希さんにあげなよ」と咲良は立ち上がった。
「そうか、残念」と利成も立ち上がる。
咲良がドアの方に行こうとしたらいきなり引き寄せられて口づけられた。無理矢理唇を割って舌を押し込めてくる。咲良は慌てて利成の身体を押し戻した。
「何考えてるの?」
咲良はちらっとドアの方を見た。美園にでも見られたら大変なことだ。
「咲良が欲しそうにしてたからだよ」
「・・・欲しくなんか・・・」
(あれ?)と思う。また涙が出てくる。あーこれはもう絶対更年期だ。
その時いきなりドアが開いて「利成さん」と美園が顔を出した。それから咲良の方を見て怪訝そうな表情をする。
「何で泣いてるの?」と美園が言う。
「泣いてなんかないよ」と咲良は目尻の涙を拭った。
「泣いてるじゃん」と咲良が利成の方を見た。
「何でもないよ」と利成も言う。
咲良は美園の横を通りぬけてピアノ室から出た。リビングには誰もいなかった。咲良はソファに座ってスマホを取り出して意味もなく見始めた。すると何故かまた涙が出てくる。
(あーもう・・・何なの?)
咲良は立ち上がって玄関まで行き表に出た。もう外は薄暗い。
(何だか最近ダメだな・・・奏空の言う通り、美園のこと愛せない・・・)
咲良は何となく歩き出した。空にはうっすらと月が見えた。
(こんな気持ち、ずっとなったことなかったのに・・・)
咲良はひどく寂しさを感じ、しかもそれは奏空では埋まらないのだ。何故か利成とでなければ埋まらない。
(サイアク・・・)
商店街の方まで歩いていると、店の前に明希の姿が見えた。
(あれ?)
買い物に出てたのかと思って咲良は明希に近づこうとしてハッとした。明希の後から男性が出て来たからだ。二人はとても親し気だ。
(まさか・・・彼氏とか?)
明希は他に彼氏を作ったんだと奏空から聞いた。何となく半信半疑だったけれど本当だったのかと思う。
明希がその男性の車に乗り込んでいる。どこかに行くのかと思ったら自宅の方向に車が走って行った。
(え?まさか家に来るわけじゃないよね?)
咲良は車を見送って思った。
その日マンションに戻ってから今日の明希のことを思い出した。あの後咲良が戻ってもあの男性はいなかった。車で送ってもらっただけなのだろう。
シャワーをかけてリビングでテレビをつけた。そろそろ奏空の出ているドラマが始まる。美園はあまり関心がないらしく見ていない。咲良も関心があるほどではないけど、恋愛物だと聞いてどんなのだろうと見始めていた。
(キスシーンがあるとか?)
そのあたりは奏空が教えてくれない。でも奏空だってもう三十過ぎたんだもんね。そういうシーンがあっても不思議じゃないだろう。
(最初はまだ十代だったんだよなぁ・・・)と咲良はテレビの中の奏空を見た。
相手の女性は二十代半ばくらいの少し色っぽい感じの人気女優だった。
(あーサイアク・・・)
咲良はその若い女優の顔を見た。そう言えば奏空は浮気したことないのだろうか?今まで考えたことがなかったのが不思議だった。奏空とてこの華やかな世界に長年いるのだ。綺麗な女性に囲まれてそういう気持ちになることだってあるのではないか?
その時玄関のドアがガタンと音をたてた。少し経ってリビングに奏空が入ってくる。
「ただいま」といつもの明るい声だ。
「おかえり。今、いいところだよ」と咲良はテレビを見た。
「何が?」と奏空もテレビをのぞいてから「あっ!」と大声を出した。
「な、何?耳元で大きな声出さないでよ」と咲良が耳を塞いだ途端、奏空がテレビを切った。
「ちょっと!何で切るのよ?今、いいところだったでしょ?」
「ダメ!これ以上は」
「は?」
咲良はリモコンでテレビをつけた。いきなり奏空とその女優のキスシーンが映る。
(あ・・・)と咲良は一瞬呆気に取られたかのようにテレビの画面を見た。するといきなり奏空がまたテレビを切った。
「もう!何で見てるの?こないだ見てないって言ったよね?」と奏空が不服そうに言う。
「・・・そういうこと?」と咲良が奏空を見ると、奏空がバツが悪そうな顔をした。
「無理矢理言われたんだよ。断ったんだけど」
「へぇ・・・断るなんてできるんだ。奏空も偉くなったね」
「は?そこ?」
「そこだよ。仕事を選ぶなんて私はできなかったからね。後半は何でもやったよ。死体の役だってね」
「そうなんだ」
「そうだよ」と咲良は立ち上がってキッチンに行った。
「ご飯は?」と奏空に聞く。
「ごめん、食べた」
「そう」と咲良はキッチンから出てリビングのドアを開けた。
「咲良」と呼び止められる。
「何?」
「寝るの?」
「寝るよ」
「ちょっと待ってて。シャワー入るから」
「何で待たなきゃならないの?」
「待ってよ。今日しようよ」
奏空の言葉に「は?」と咲良は奏空の顔を見つめた。
「いいでしょ?」
「美園がまだ起きてるよ」
「いいじゃない?起きてても」
「ダメでしょ、普通」
「じゃあ、わかった。シャワーやめてもう俺も一緒に行く」
「・・・急に何?」
「子供欲しいんでしょ?」
「あーあれ?欲しくないよ。私もう四十になるんだよ?今から子供育てるなんて考えたら面倒だってわかったのよ。それに今日してもできないよ」
「そうなの?でもいいじゃん」
「・・・・・・」
結局奏空がシャワーから出てくるまで待つことになる。
(何だろ?急に)
美園が大きくなってからは奏空とはあまりしていなかった。やはり子供が大きくなると気になってしまうところがある。咲良はベッドに入ってさっきのキスシーンを思い出した。スマホでツイッターを開いてみたら奏空のドラマがかなり話題になっていた。
(ん?)
その相手役の女優と奏空との怪しいという噂もあるらしい。
(へぇ・・・でも初めてじゃない?こういう噂)
奏空も大人になったんだなと思う。
(いや、どうして奏空だと親目線に?)と自分にツッコミを入れた。
咲良の方が六つも年上だというのと、知り合った時の奏空がまだ高校生だったというところが尾を引いているのかもしれない。
「おまたせしました」と奏空がまだ濡れた髪のままベッドに入って来る。その表情はやっぱりまだ子供っぽく見える。
「奏空、あの女優と噂あるんだね」と咲良が言うと奏空がきょとんとした顔をした。
「あの女優?」
「ドラマの子だよ」
「あ、ともかちゃんのこと?」
「そうそうその”ともか”だかいう子だよ」
「噂って?どんな?」
「・・・それわざと?」
「何が?」
「天然のふり?」
「天然のふりとは?」
「女優と噂って、熱愛とかその類に決まってるでしょ?利成の息子のくせにへんなぶりっ子やめてくれない?」
「ぶりっこって・・・ほんとに何の噂かと思ったんだよ」
「はいはいそうですか」と咲良は布団に入った。
「そんなことないからね」と奏空も布団に入って来る。
「そんなこととは?」
「熱愛だよ」
「ふうん・・・」
「焼きもち焼いてくれてる?」
「別に」
「少し焼いてくれたら嬉しいけどね」
「バカみたい」
「咲良さ、俺のこと好きでしょ?」
「まあね」
「じゃあ、そういうとげとげしいのやめてくれない?」
「とげとげしくなんかないよ」
「とげとげしいよ」と奏空が後ろから咲良の胸を触ってくる。
「奏空って今まで浮気はないの?」
「浮気?」
「そう。他の人とやったことある?」
「ないよ」
「それ嘘だよね?」
「ほんと」
「だってもう奏空と結婚して十年以上?その間一度もないなんて信じられないよ」
奏空がそれには答えずに咲良のパジャマのズボンの中に手を入れてきた。
「そうでしょ?」と咲良が言うと奏空の手が止まった。
「もう、もっとムード出してくれない?」
「先に質問に答えてよ」
「何の?」
「誰ともしてないは嘘でしょ?」
「はいはい嘘です。これで満足?」
「何よ?その言い方」
「咲良が「嘘でしょ?」っていうから「嘘だよ」って答えてあげたの。そういう答えが欲しいんでしょ?」
「とげとげしいのはどっちよ」
「もう、いいから集中してよ」
奏空が口づけてきた。それを受け止めながら咲良はやはりあまり感じない自分を感じていた。利成との時はキスだけであんなに感じたというのに、何故奏空だとこうなのだろう。
奏空の指が入ってきても感じない。咲良は少し焦った。久しぶりにしているのにまったく感じないのだ。奏空の唇が下半身に移動してきてようやく少し感じてきたが、やはりすぐに冷めてしまう。
(どうしよう・・・)
咲良は昼間の利成とのキスを思った。その途端、急に身体が反応した。
「あっ・・・」と声が出る。
乱暴に胸をつかまれたり、無理矢理利成のを口に入れられたりすると咲良はひどく感じていた。ただ性欲をぶつけてくるだけの動物的な利成とのセックス・・・それは冷たいセックスだったが咲良は何故か求めていた。
奏楽が咲良の中で果てる。けれど余韻も持たずにすぐに咲良から離れた。奏空が無言のまま咲良の横に裸のままで仰向けになる。
「・・・何かさ・・・咲良って俺のこと見てくれてないんだね」
奏空が天井を見たまま言う。
「見てるよ。何で?」
「・・・感じてないでしょ?俺だと」
「そんなことないでしょ。感じてたでしょ?」
「・・・そうだね・・・感じてたよ、利成さんに」
「・・・・・・」
「利成さんのこと考えないと感じないんでしょ?」
「そんなことない。今は奏空のこと思ってたよ」
「俺に嘘は通じないって知ってるでしょ?」
そう言って奏空が咲良の方を見た。
「・・・・・・」
「あー今世も負けかな・・・咲良はまったく気がついてくれない」
「勝ちとか負けとかやめてよ」
そう言ってから咲良は奏空をみてハッとした。奏空が泣いていたからだ。
「奏空?」
「咲良、俺じゃダメ?」と奏空が咲良の頬に手を伸ばして来る。
「そんなことないよ」
「そんなことあるんだよ?今の咲良は」
「・・・・・・」
「別れる?」
「え?」
咲良は驚いて奏空の顔を見つめた。そんなことを奏空が言ったのは初めてだった。
「俺がもう無理かもしれない」
「何で・・・?」
「心が痛い・・・」
「奏空・・・」
咲良はどうしようかと奏空を見つめた。別れるなんて考えたことなどない。奏空はいつも明るくていつも自分を・・・。
「ごめん・・・」と奏空が咲良から目をそらした。
「待ってよ。私奏空が好きだし、別れるなんて・・・」
「俺はもう別れたい」
「・・・・・・」
「別れたいっていうか、一緒にいられないよ」
「何で?」
「胸が痛くて・・・息が苦しい・・・」
「・・・・・・」
「・・・もう寝るね」
奏空が咲良に背を向けた。咲良の目に涙が溜まっていった。奏空と出会ってから今日まで、奏空がこんな風に自分に背を向けたことなどなかった。
(どうしよう・・・)
咲良は途方にくれた。次の日から奏空の帰りがいつもよりも更に遅くなっていった。
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