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フローライト第六話

元旦の朝目を覚ますとベッドに一人で寝ていた。
(あれ?ここって・・・)と一瞬わからなかった。けれどすぐにその後思い出した。ここは利成のアトリエだった。
(あー・・・そうだ・・・)
またダメだったのだ。これって一生治らないのだろうか・・・。
トイレに行ってからいつものアトリエのドアを開けたら利成が絵を描いていた。それは明希がモデルになった絵だった。
「おはよ」と明希に気が付いた利成はそう言ってから、「あ、あけましておめでとうだね」と付け加えた。
「あけましておめでとう」と明希も言った。
「この絵、もう後は仕上げだから」と利成が言う。
「そう・・・」
絵が出来上がるのは嬉しかったけれど、もう利成とはお別れだと思うと寂しくてしょうがなかった。
洗面所に行って顔を洗っていたら利成が来て、「これ使って」と洗面所の引き出しから新しい歯ブラシを出してくれた。
歯を磨きながらもう絶対男の人とはつきあうのはやめようと思った。もう無理なんだ・・・。
アトリエに戻ると利成がキッチンに立っていた。
「元旦の朝はいつも何食べてるの?」と聞かれた。
「お雑煮とか・・・」
「そう。でもお餅がないからな」と棚を開けてみている。
「いい。何もいらないから」と言った。早く帰りたかった。
「じゃあ、一緒にコーヒーでも飲もう」と利成が言った。
 
利成が入れてくれたコーヒーを飲みながら明希は哀しくてしょうがなかった。翔太ともあの時別れたくなかったけれど、利成とももちろん別れたくなかった。
「明希、大丈夫?」
利成に聞かれた。
「大丈夫」と答えた。
(そう答えるしかないよ・・・)
向かい合わせにいた利成が立ち上がって明希の隣に座った。
「大丈夫なの?ほんとに?」
利成がそう言って手を握ってきた。
「うん・・・」
「・・・・・・」
利成が明希の手を少しさすった。
「明希、今日も一緒にいれる?」と聞かれて「え?」と利成の顔を見た。
「今日も一緒にいよう」
「でも・・・」
「明希は歌うまいから、カラオケとか行きたいね」
「カラオケ?」
「でも元旦だしね、やってないかな」
「ちょっと待って」と利成がアトリエの隅のテーブルに置いてあるパソコンを開いている。
「やってるけど、料金はちょっと高めだね。でもいいか」と利成が言っている。
(えーと・・・だってもう・・・)と明希の頭の中がグルグルしてきた。もう振られるのに今日も一緒になんて・・・。
「あの、もう私のこと嫌でしょ?だから気を使わないで」
そう言うと、利成がちょっと驚いたように目を見開いてから明希のそばまで来て隣に座った。
「気なんか使ってないよ。それに何で明希のことが嫌なの?」
「だって・・・あんな風に・・・」とそこまで言って口をつぐんだ。
「あのね、あれは一種のパニック障害みたいなのだよ。強いトラウマを受けてどうしてもその時のことがフラッシュバックしちゃうんでしょ?」
「うん・・・」
「だから急には無理だろうけど、治らないわけじゃないと思うよ」
「え・・・ほんとに?」
「うん、普段はどうなの?急に恐怖心が起きたりすることある?」
「ううん、ない。あの時だけ」
「じゃあ、多分だけど単純にその時の強い恐怖心が何度も再現されてるだけだから、少しずつでも良くなるよ。必要なら精神科や心療内科に行くか、カウンセリング受けるとかも有りだよ」
「カウンセリング?そんなの恥ずかしい・・・」
「明希はね、昔から我慢しすぎててそれが当たり前見たく思ってるから“恥ずかしい”なんて思うんだよ。風邪引いて病院行くのに「恥ずかしい」なんて思わないでしょ?それと同じだよ」
「そうなの?」
「そう。何でもまず我慢しないで。大丈夫じゃない時は言わないとね」
「うん・・・」
何だか狐につままれたみたいだった。もう一生こうなのかもと絶望してたのだから。
「リラックスできれば少しずつ治ると思うから、ゆっくりやろうよ」
「うん・・・でも、利成は?いいの?」
「何が?」
「だって・・・できないでしょ・・・」
そう言ってから恥ずかしくなって頬を赤らめてうつむいた。
「いいよ。待つから」
「でも・・・」
「でもはなし」と利成が笑った。
それから利成と一緒にカラオケに行った。利成の歌がうますぎてずっと聴いていたいくらいだった。なのにすぐにマイクを渡されて「はい、歌って」と言われる。
カラオケを散々歌ってから、帰りにスーパーに寄って食材を買った。利成が夕食を作ってあげるというので一緒に明希も手伝った。
「利成って何でもできるんだね」
一緒に作ったオムレツを食べながら言った。
「ただのオムレツだよ。誰でもできる」
「えー・・・前も風景画の時に言ってたけど、それはできる人のセリフだから」
「ハハ・・・そう?」
 
「そろそろ帰る」と言ったら利成が「うん、またおいでよ」と言った。利成が車で送ってくれるというので二人で車に乗り込んだ。車を発進させる前に「明希」と呼ばれたので振り向くと利成にキスされた。その後顔をじっと見つめられたので明希は恥ずかしくなってうつむいた。
「今度バンドのライブやるから明希もおいでよ」
そう言われて顔をあげた。
「ほんと?利成のバンド?」
「そう」
「えー、ほんとに?行きたいから絶対誘ってね」と言った。
「うん。明希も歌うまいんだからもっと人前で歌いなよ」
「えー・・・無理無理」
(そんなの恥ずかしすぎる・・・ユーチューブがやっと・・・)
「明希は昔から奥ゆかしいからね」
そんなことを言われた。いつも“引っ込み思案”“消極的”とは言われてたけど・・・言葉の表現一つでかなり印象が変わるなと思った。
「じゃあね」と手を振る利成の車を見えなくなるまで見送った。だんだんと翔太のことは忘れつつあった。
 


お正月が済んで専門学校がまた始まった。プログラムはなかなか大変だった。試験もあったし、資格を取るための勉強もあり、頭がごちゃごちゃだ。
そんな中での二月末、利成のバンドのライブに招待されて一人で出かけた。ライブ会場は狭かったけど、人がびっしりだった。利成はギターを持って歌を歌っていた。明希は一番後ろの方で皆と一緒に手を叩いた。
ライブが終わると会場を出ようとして知らない人に呼び止められた。
「天城が呼んでるから」と言う。その男性にバンドの人たちがいる部屋に通された。中に入るとバンドのメンバーの人たちに一斉に注目されたので、ドギマギしてうつむいてしまった。
「明希」と一番奥にいた利成が呼んだのでホッとして利成のところまで行った。
「天城の彼女?」と他のメンバーの男性から聞かれる。
「そう」と利成が答えている。
「へぇ・・・ここに入れるなんて珍しいな。俺高橋、よろしくね」と言われて頭を下げた。皆もそれぞれ名乗ってきたので明希も「咲坂です」と頭を下げた。
利成が「じゃあ、行こう」と言ったのでホッとして利成と一緒にその部屋を出ようとした時にドアが急に開いてぶつかってしまった。
「あ、すみません。大丈夫」と言われて顔を上げた。
(あ・・・)
「あ・・・」とその男性が言った。それから目を見開いて「明希?」と言った。
「翔太・・・・?」
(何で・・・?)
その場に茫然とたちすくんでいると、後ろから「おお、夏目。ちょっと待ってな」と言う声が聞こえた。
(何で?何で翔太が???)
まだ動けずにいると、利成が肩を抱いて明希の身体を前へ押した。そしてそのまま翔太の横を通り抜けた。身体が何だかガタガタ震えた。翔太も自分にとってトラウマなのだ。
後ろでドアが閉まる気配がする。利成に肩を抱かれたまま表に出るための階段を上った。
「車、ちょっと遠いんだ」と利成が言った。
「うん・・・」
明希はまだショックから立ち直れずにいた。
車に乗ると利成が「さっきの・・・もしかして元カレ?」と聞いてきた。
「うん・・・」と自分の手を組み合わせるように握りしめた。
「そう」
利成はそれだけ言うと何も聞かなかった。 
その日は金曜日だったので、そのまま利成のアトリエに泊ることにした。父にはもう本当のことを言ってあった。父も利成だと黙認している。
「今日はどうだった?」と利成に聞かれたので「すごく良かった。楽しかった」と答えた。もちろんお世辞でもなんでもなくすごく良かった。そういうと利成は嬉しそうに笑顔を作った。明希も笑顔を返すと利成にキスされた。最近はキスはまったく平気になっていた。以前はキスでも若干の緊張を感じてたのだからだいぶ良くなってきたんだと感じる。
同じベッドに入っても利成はキス以上はしてこなかった。でも利成だと否定を感じないのだから不思議だ。なので回を重ねるたびに明希はだんだんリラックスするようになっていた。
「じゃあ、お休み」と利成が言った時、明希のスマホが鳴った。利成がベッドのサイドテーブルに目線を送る。明希がスマホを取って画面を見た時、一瞬凍り付いた。
<元気だった?今日はびっくりしたよ>
(翔太・・・)
翔太のラインはそのままになっていたが、翔太の方は明希をブロックしていたはずだ。あれから何度ラインを送っても既読がつかなかったのだから。
「利成、これどうしよう・・・」
どうしていいかわからず利成にラインを見せた。利成が翔太からのラインを見ている。
「明希はどうしたいの?」
「・・・わかんない・・・」
心が揺れていた。やっと忘れかけていたのに・・・。
「じゃあ、そのままにしときなよ」
「うん・・・」
利成にそう言われて明希は翔太にラインの返事をしなかった。心が揺れていて怖かった。今度は自分が翔太をブロックすればいい。なのにできなかった。だけどこの時ブロックして翔太からの連絡を絶ってしまえば良かったのだと後々後悔することになった。




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