ハチから米津玄師に変わる時手放したものは何だったのか?
2012年5月に発売された米津玄師の1stアルバム「diorama」
20歳を迎えた米津のデビューアルバムである。
「ハチ」から「米津玄師」へ変わる時、手放したものはまさに今まで親しまれてきた名前「ハチ」であり、新しい場所とは、おそらく彼の望んでいたメジャーデビューできる「芸能界」であろうと思う。
「郷に入っては郷に従え」とはよく言ったもので、彼は今まで愛してきた「初音ミク」という媒体をある意味で”捨て”て、自らの声を媒体とした「アーティスト」としてメジャーデビューした。
そして見事「米津玄師」を手に入れた彼はこう言う。
1stアルバム「diorama」は、2011年に起きた「東日本大地震」を意識して作られたものだという。
恐らく米津はそれまで「箱庭」と言う、ある種の狭いおもちゃ箱のような世界観の中で「ボカロ」を作ってきて、多くの人々の支持を得てきた。
けれどアルバム「diorama」は、「ハチ」名義のそのボカロという「世界観」を捨て、ある意味で「俗」な芸能界に身を投じ、あえて「郷に従う」ことにより得た「名声」をボカロ民に還元する道を選んだ。
「元々、箱庭的な街という世界観を作りあげたいって気持ちがあったんです」という米津。
恐らくだが、幼い頃から人と違った価値観を持っていた米津が、自分だけの世界(箱庭)の中で構築したストーリーを持って、ある種の社会との摩擦を癒していたのではないかと想像する。
会話していたって、つながっているのか、つながっていないかわからないみたいだったという米津が、その世界をそのまま表現してみたかったという。
彼が求めても得られなかった「つながり」は、今じゃインスタントにつながりを得られる「SNS」の中にまぎれてしまい、もはや見つけるのは不可能な気さえする。
何もかも「自分一人で」というのは、閉鎖的ではなく、私としては相当なこだわりがあるように感じた。
これは一歩間違えば、かなりな傲慢な人間になりそうなところだが、米津の持つもう一つの特性、以前にも書いた「俯瞰視点」というものに救われているのだろう。
負の感情の方が創作意欲が湧く。
「ディスコミュニケーション」とは、言わば回路が繋がっていても、電気が流れない状態とでも言おうか。
「安っぽいつながりはどうかな」という米津の理想は、きっと「深いつながり」ではなく「安い」の反対語である「高い」つながりなのではないだろうか?
自分を安売りしたくない、先ほどの一人でやるという「こだわり」は、一歩間違えば傲慢になると書いたが、一方では高い理想、すなわち彼の「プライド」とも言える。
音楽と言うのはあってなきもの、日常生活の中でも必要で必要でないもの。
というのも、今のこのコロナ禍において、人が命を脅かされた時求めたものは何だったのか?
そして米津は「音楽だけが社会とつながる接点」と言った。
果たして人が求めているのは、歌を媒体とした自分の気持ちの代弁なのか?
それとも「米津玄師」というパーソナリティなのか?
楽曲「vivi」は、イマジナリーフレンドのことを歌ったものだという歌詞考察もある。
最初の方に書いた「箱庭」にも通じるが、世界には万物だけではない「人間」すなわち登場人物がいなければ成り立たない。
冒頭に引用した米津の言葉、「何かを手放さなければ、手に入れることができないモノってあると思うんですよ」は、これは私の想像だが、箱庭の中の登場人物、つまりそれは米津の世界観そのものだったが、それすらも一度手放さなければならない。
新たな出発を前にしての「diorama」は、変な話だが彼の「ジレンマ」と「葛藤」があり、「ボーカロイド」を離れるどこか後ろめたさも伴い、
ある意味、励まされお世話になった「ハチ」時代のファン達へ向けて、ひたすら彼は「愛してるよ vivi」と繰り返した。
他人と百パーセントわかりあえたと思ったとしたら、それは幻想だろう。
なぜなら人はどうしても自分以外の人にはなれないからだ。
けれど米津の悲しさは、きっとそんな大袈裟なものではなく、集団生活というある種の狭い空間の中での人間関係において、どうにもうまくいかなかったという経験のことを意味するのだろう。
米津のこの言葉は、ある人には「諦め」に聞こえ、そしてどこか「達観」した言葉にも聞こえるかもしれない。けれど私には「後ろめたさ」つまりボーカロイドを離れる、どこか「罪悪感」を納得させる言葉にも聞こえる。
「何かを得るには何かを捨てなければならない」
あえてボカロ時代のヒット曲を入れず、全曲新曲で、そして本名を名乗り、自ら歌うアルバムを制作したという米津。
もう戻ることのないネットというある意味での「箱庭」に別れを告げる一方で、でもみんなついてきて欲しいという意味で「愛してるよ vivi」と歌いあげた1stアルバム「diorama」。
デビュー当時の米津の決意と勇気に敬慕の情を送りたい。そして最後にもう一度彼の言葉をここに引用して、今回の記事を終りたいと思う。
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